ピアノの練習をしない娘との攻防の末に見えた「境界性を引く」ということ
7歳の長女はピアノを習っている。
一年ほど前に、初めて娘から「習ってみたい」と言って始めた習い事。子どもがやりたいならやらせてみようと思って通わせることに。
習い始めて
ピアノは楽しいと言って、最初こそたくさん練習していました。弾けるようになったら、先生からハナマルを付けて貰えて、次の曲に進める。
好奇心旺盛な娘は、早く新しい曲が弾きたかったのです。
3ヵ月程すると家ではあまり練習しなくなりました。
だんだん難しくなってきて、数回練習したくらいでは弾けるようにならない。反復練習が苦手な娘は、「難しい」と言うようになりました。
「楽しくないならピアノ辞めてもいいよ」と何回も言いました。
正直、ピアノの月謝は高いし、練習しないならレッスン代がもったいなく感じたのです。
それでも、レッスンに行くと「楽しい」と言って辞めたがることはなかったのです。
更に3ヵ月程すると、もうほとんど家では練習しなくなりました。
レッスンの前に10分くらい復習すればいい程のレベルです。
さすがに私もやるからには練習してほしいという気持ちがある。
「ピアノの練習したら?」とか「一緒に弾いてみよう」とか誘ってみるもなかなか乗ってこない。
「練習しないなら、もうピアノ辞めよう。」と言っても、なかなかしない。毎回練習を促すストレスもあるが、子どもが辞めると言わないものを無理に辞めさせるのもどうだろうと葛藤の日々は続いたのです。
辞めようと言いながらも、私の本心は「ちゃんと練習して、続けてほしい」でした。途中で諦めたという経験をさせたくないと思ったのです。
「練習させたい」の葛藤
ある時、もう練習について執着するのをやめようと思ったのです。
私自身、フラダンスを長年続けています。
私も、家でほとんど練習していない。。でもレッスンが楽しくて、この時間が自分の心身を整える時間になっている。
<人のこと言えない。。>
この子が好きで続けたいのなら、応援しようと思ったのです。
それから練習について言わなくなると、不思議と自分から少し弾いたりするようになりました。
執着を手放すって大切な事だったんだなと思いながら、練習する娘を愛おしい気持ちで眺めていました。
そして、また試練が訪れたのです。
それは、娘が初めてのテストを受けることになったのです。
次のテキストに進むために必須のテストということで受ける事になりました。
ちょうど、同じ時間帯に隣の部屋でレッスンしている男の子がぐんぐん進んできていました。娘より一つ年下の男の子で、最初は娘が過去に練習していた曲を練習していたものの、あっという間に同じところに来ていました。そして、テストも娘より早くに受ける事が決まったのです。
テストの模擬練習をしているところをたまたま聞いた時、複雑な感情が芽生えたのです。その男の子の演奏はとても正確でものすごく上手だったのです。心がざわつきました。こんなにちゃんと練習をして着々と進んでいる子がいる。
それに比べて、、とつい我が子を比べていました。
<ちゃんと練習させないと>という気持ちがまたむくむくと育ってきているのを感じました。
そしてその日から、「ピアノの練習しようか」と言ってしまう私に逆戻りしてしまったのです。不思議なもので、そのせいなのか、また全然練習をしたがらなくなったのです。
執着しないようにしようと思っても、やはり焦りが湧いてきます。
受験日という期日もあるため、この日まではどうにか練習をさせたいと思ってしまう。練習しないで失敗したら自信をなくしてしまうのではないか。やはり、練習して合格して自信をつけさせてあげたい。そうして、また娘との攻防の日々が始まったのです。
ピアノのテスト
それでもやはり、なかなか練習は進みませんでした。他の新しい曲に興味がそれたりして、同じ曲を長く引き続けるということが嫌そうでした。
だんだん、
<もし、練習せずにうまくいかなくても、それも大切な学びなのかもしれない>と思うようになりました。
子どもの自主性に任せて、どんな経験も大切な経験なのだろうと思うようになりました。結局、週に二回程10分練習できたかどうかという感じでした。模擬形式で練習させるも、一度も間違える事なく弾き終えるということがなかったのです。
これは当日緊張したら、うまくいかないだろうと不安になってきました。
口出ししないと思っても、つい、
「練習をしっかりしないと、本番緊張してうまくできないものだよ」と言ってしまいます。
本番の3日前、2日前、前日もやっぱり途中で間違えたりして
「あ、やり直し」とか言いながら弾きなおしてます。
「だから、本番はやり直しとかないの」と私。
焦る私と反対に、本人は100点の出来とか言ってる。
そして迎えた本番の朝、
「最後の練習だよ」と言うも緊張感なし。
やっぱり途中で間違えたりしています。
<あちゃー、これは難しいかも>と思います。
二回目はだいぶいい感じになったので、そのイメージのまま会場へ移動。
テスト会場はやはり緊張感がありました。
時間になるまで廊下で待ちます。
アナウンスがあり、6人の受験する子供たちと保護者が教室前まで入室。名前を呼ばれて順にテストです。娘は6人中最後でした。なんとテストしている会場から音が聞こえてきてます。
1人目。ミスなく弾き終わりました。
2人目も3人目も上手です。
並んで待っている娘の顔をドキドキしながら覗きます。
<緊張していないかな。プレッシャーになっていないかな。>
こんなに子供のことで緊張するのは初めてです。
運動会や発表会もドキドキしましたが、あくまでも楽しい催しという認識でした。今回はテストで合格か不合格か白黒出るのです。
4人目、5人目もそつない演奏。
いよいよ娘の番です。
<大丈夫かな。>と心臓バクバクです。
最初の音が始まるまで、ものすごく長く感じました。
曲がはじまります。
<止まらないかな。音間違えないかな。>
やはり心配でした。
最後まで終わって、特にミスや止まったりということはありませんでした。ほっと胸をなでおろし、教室から出てきた娘を笑顔で迎えます。
娘は何事もなかったかのようにしています。
「緊張しなかった?」と聞いても
「ううん」と言っています。
「頑張ったね!!」と言っても、
「うん」とケロッとしています。
試験は頑張らないといけない。
頑張らないと失敗する。
本番は緊張する。
失敗したら恥ずかしい。
これってただの私の経験による思い込みなだけなのですね。
娘は娘の人生の出来事があり、娘なりの捉え方がある。
少し長く生きて経験も多いからと言って、
私がそこにとやかく言う必要はないのです。
娘は娘。娘に必要な学びがある。
娘と私の間に健全に境界線を引くということを教えてもらったように思いました。
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