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さやのもゆ/読書会ノート2024.1.20 『おかげで、死ぬのが楽しみになった』 遠未真幸/著    【note版】ー第1部ー

【掛川ほんわかブッククラブ読書会】

日時:2024年1月20日(土)10:00~11:30
場所:掛川中央図書館 会議室
〈テキスト〉
『おかげで、死ぬのが楽しみになった』
     著者:遠未真幸(とうみ・まさき)
         サンマーク出版、2023

初春の、花の季節。
平年より10日ほど早い白梅(しらうめ)も、匂い立っていた事と思います。
寒暖をくり返す日々のなか、体温調節にも気をつかうところ。皆さまは、この冬をいかがお過ごしだったでしょうか?

2024年最初の読書会は、作者ご本人をお迎えしての、楽しく充実した1日となりました。
また、読書会の後には、図書館からほど近い逆川(さかがわ)河畔にあるカレーのお店「JAN」さんで“ランチ読書会”。午後からは再び図書館に移動して『高校生が選ぶ・掛川文学賞』ーシンポジウム&交流会ーに参加しました(第2部)。

ここでは、第一部として「掛川ほんわかブッククラブ読書会」の様子を、記事に編集しております。
なお、ベースは「ほんわかブッククラブ読書会ノート」でありまして、こちらはA4コピー紙・14ページの手書き新聞で発行しているもの。
掛川市の「走る本屋さん・高久書店」さんにて、店主・高木久直さんのご厚意により配布していただいております。
今回、初の試みとして「note版・読書会ノート』に編集し、投稿させていただきました。
読書会記録としては、かなり長い部類に入るかとは思いますがー。
当日ご参加できなかった皆様や、読書会に参加した事のない方々にも、読書会の魅力を楽しくお伝えできれば、嬉しいです。

【第一部・ほんわかブッククラブ読書会】
〈司会者あいさつ〉
本日は『おかげで、死ぬのが楽しみになった』(以下、『おかげでー』)の作者・遠未真幸先生をお迎えしての読書会になります。
今回は椅子席のみで、遠未先生と参加者が向かい合う形を取らせていただきました。
このような場合、先生にはひたすら、皆さんのお話を聞いていただくーいわゆる、"まな板のコイ"ですね。
皆さん、少々緊張気味のご様子ですが、いつものようにお願いします。
(遠未先生《以下、"遠未"と略称》ー僕は圧力をかけないですから(笑)。本音モードで大丈夫ですよ。)
事前に引いてもらったクジの番号が、発表順となります。さて、1番は誰でしょうか?
(当選者?が即答)
では、1番の方からお願いします。

📖 高校生が手に取らないであろう本を選んだ

私は、掛川文学賞のノミネート作品(5作)を選書した委員のひとり(市民選書委員)です。
高校生のためには、どんな本が良いかと考え、色々と調べたうえで『おかげでー』に決めました。なぜかと言いますとー。
本書は〝70代トリオが応援団を結成する〝物語が描かれていますので、おそらく高校生は手に取らないだろうと思われたからです。
しかし、未来ある彼らが、自分達が高齢になってからの事を想像するのは、なかなかに難しい。
そこへ行くと、『おかげでー』を高校生が読むことで、"未来の自分"を擬似体験することができ、彼らへの応援にもつながるのではと、考えたのです。

📖 章ごとに変わる主人公。主観が変わり、読     んでいくうちに面白くなる。

自分と同世代の作者が、高齢者を主役に小説を執筆されたという事で、興味深く読ませて頂きました。
物語の展開と相まって、章が変わるごとに主人公も変わる。主観もまた、変わっていったのですがー。“板垣さん”は、元教諭の頼もしいキャラだけど、心に抱えてることがあったりする。
読み進めていくうちに、ドンドン面白くなって行きました。
最終章の「巣立進目線」や、孫娘の希(のぞみ)ちゃんもイイとこあるし。読みやすくて、読後感も良かったです。
あと、第3話で"板垣さん"が「俺の『ガンバレ』が、アイツを追いつめー」と、過去を悔やむ場面がありましたがー。
自分としては、応援の気持ちは持っていて良いと思います。
「どう伝えれば良いのだろう」と、考えてしまう部分はあるけれど、葛藤(かっとう)しながらでも、伝えてあげたい。
そんな風に思いつつ、読ませていただきました。

📖 私は、タイトルに相応しい年齢だ。でも、
いくつになっても死ぬのは怖い。

私は、本書のタイトルそのもの。まるで、私のために選んで頂いたようなものです。
本文の文字(サイズ)も大きいし、有り難いと思いましたね。
そうは言っても、やはり死ぬのは何歳になっても、まだまだ怖いものです。
一番怖いのは病気。でも、こればっかりはどうしようも無いから、日々粛々(しゅくしゅく)と生きています。
本書を読みまして、これは「“老い”の物語」ではなく、「“青春”小説」だと思いました。
私にも高校時代はありましたけどー当時の仲間が集まると、すぐ高校生に戻れるんですね。
高校生が、掛川文学賞に『おかげでー』を選んだのも納得できるが、彼らの本音もお聞きしたいところです。
今日、遠未先生は掛川にお越し下さった。
その姿勢が素晴らしいと思いましたし、本書は上からーではなく、弱者の目線で描かれているような気がします。

📖 普段は小説を手にする事が少ないけど、
この本で「もっと小説を読もう」と。

今日、ここへ来たキッカケは、高久書店の本棚に本書があったのと、高校の先生のSNS投稿記事を読んで気になり、買おうと思ったコト。
そうしたら、『おかげでー』をテキストにした読書会があると知りました。
これは、「年齢も立場も違う人同士が語り合える」良い機会だと思いまして、参加することに決めたのです。
私は普段、小説を手にすることは少ないのですが、この本に出会ってからは「もっと文学作品を読もう」という考えに変わりました。
親子愛や夫婦愛だったり、青春時代を思い返して。今のシニア世代が、どんな事を感じているのか?など、どのページにもクスッと笑えるものがあって・・・意外と早く読了。
特に、物語のラストは心に残りました。

📖 この本のように生きられたならー
ほんとに「死ぬのが、楽しみ」になる。

『おかげでー』は、ユーモアやシャレが至る所に散りばめられており、テンポが良いですね。まるで、良質なコメディ映画を観ているようでした。
お年寄りだけでなく、若い人が読んで面白いのではないかと思います。
もし、『おかげでー』のように生きられたなら、“ほんとに、死ぬのが楽しみになる”。
ーそうなったらと、願います。

📖 「老化は、走るな」は、この本の真髄。

僕はもともと読書がキライでしたが、おととしになって急に、本に目覚めました。
そのキッカケを下さったのは、高久書店店主、高木さんです。
あのとき、『無理しなくても大丈夫。読めなくたって、いいんですよ。』と、言われた途端に読めるようになりー
今では相当、貢(みつ)いでます(笑)。
『おかげでー』の冒頭で主役のひとり、“宮瀬実”がピンク色に髪を染めて登場したときは、
「染める髪があって、ウラヤマシイ」(笑)と、思いましたし、こんな風に生きがいをもって生きられたら、どんなに良いだろうと。
それから、本文のあちこちに見られる『ダジャレ』に、〝クスッ〟とか〝ニヤニヤ〟したり。
あと、話をするときに「こんな切り返しがあるとイイよな」と、思えるセリフがあったりしてー。
これまた、ウラヤマシイと感じましたね。
なかでも、『老化は、走るな』(本文323頁)は、この本の真髄(しんずい)かなと。「走ったら寿命が縮まる」という所が、身に沁(し)みました。

📖 なりたい自分に「なるしかない」人と、「なれない」人。実際は「微妙な差」では?

『おかげでー』は、至るところ(名言)にあふれており、面白いところがたくさんありました。
なかでも興味深かったのは、本書の第3章。
ここでは、いじめ問題が描かれていますが、「いじめる側」と「いじめられる側」の違いって、「微妙な差」だと思うんですね。他の分野ー例えば芸術にしても、同じ事が言えるのではと思います。
でも、この「微妙な差」というのが、意外と大きかったりします。それでも、敢えて乗り越えたいのが「微妙な差」なのかな?そんなことを考えました。

📖 「ナンセンスなおじいちゃん」たちが
要所々々で、私を応援してくれる。

『おかげでー』を手にした時、最初は「高校生はどうして、この本を掛川文学賞に選んだのだろう」という目線で読んでいました。が、
読み進めていくうちに「ナンセンスなおじいちゃんズ」が、要所々々で私を応援してくれてる言葉を、心地よく感じながら読ませていただきました。例えば、
「オレにはオレがついている。だからオレはひとりじゃないんだなー」   (第1話/17頁)
「人類史上、一番当たるジンクスは『ジンクスを信じても、ロクなことはない』だそうです」                 
              (第2話/210頁)
ーなどなど、今の私にピッタリな言葉が、いっぱいでした。
私の方こそ、この本に応援してもらいました。

📖 『おかげでー』は、切っても切っても、
「進言の金太郎アメ」状態!?

これまでのところ、皆さんのホメ言葉が続いてますので(笑)、僕はちょっと違う視点から、言ってみたいと思います。
本書のことを「読みやすい」と、おっしゃる方が結構、居ましたがー僕の場合はその逆でして、何度もつっかえながら読んだんですよ。
なんでかな?と思って再読したところ、原因は、作中に満載された進言の多さにあったのだと、気づきました。
例えば、第1話の16~17頁をみても、
「ラブ・ニヤニヤ。」
「思わずニヤニヤしちゃう方へ進んでさえいれば、人生はオールハッピーになる」
など、2頁のあいだに4箇所ほどの割合で、進言が続いています。
そんなわけで、読んでる途中「決めゼリフ」的なくだりに差し掛かると、立ち止まってしまうーという具合に、リズム良く行かなかったみたいです。
でも、本書のような“シャイニング”のおじいさん達が、ひたすら応援している姿を描いた小説に、このツッコミは宜しくないのかもしれませんが。
それに、作者である遠未先生が、物語を通じてメッセージを一生懸命送っているのが、伝わってくるんですよ。
もしかしたら、先生ご自身に普段から言いたい事がたくさんあるのでしょうか?
(遠未)
飲み会とかで「語っちゃう」タイプではありませんが(笑)。おっしゃる事、わかりますよ。
僕としては『おかげでー』の中に、言いたいことを詰めるだけ詰める・・そういう作品を創りたかったんです。
どこを切っても、ある意味「格言」が出てくるーそう思わせる様なものを。
どうしてかと言うと、日常の中で思っていても口にできない事や、しゃべった後になって「もっと、こう言えば良かった」と、思い直した時にー文章なら、それが「書き切れる」からです。

📖 わたし的には「70代、もうちょっと若いかな?」

本書の冒頭には、登場人物の紹介がありましたので、親近感を覚えながら読ませていただきました。
自分をかばう訳じゃないけど・・70代は、もうちょっと若いかと(笑)。
先日観たテレビで、こんな言葉がありました。
「人は、容姿が老いても、愛や魂などの精神的な部分は〝衰え知らず〟なんですね」。
だから、私もこの本で自分に〝カツ〟を入れて、〝ニヤニヤ〟と頑張りたいです。

📖 〝おかげで〟遺書の意味が変わったー

まず、この本のタイトルー
『おかげで、死ぬのが楽しみになった』って、どういう事?と、思いましたがー。
読んでいくうちに〝遺書〟というものは、生きる人たちに希望を与え、その残された人生をも豊かにするのだと感じました。
遺書に対する、固定的なイメージが変わりましたね。
将来、私が〝遺書〟を書くとしたら、金品とかの財産ではなく、もっと違う意味のものを子供たちに遺せたらと、思います。そうしたら自分もまた、残された人たちに希望を与えられるのかもしれません。
「お母さんって、面白いね。」
そんな風に言ってもらえるような遺書を、書きたいものです。

📖 「ラブ・ニヤニヤ」が、忘れられない。

『おかげでー』を読み終えてからも、「ラブ・ニヤニヤ」が忘れられません。きっとこれからも、折々に思い返すのだろうと思います。
物語のなかでは、それぞれの登場人物がみんな主人公。とにかく、キャラが〝立って〟います。
でも、それはパズル的に構成された伏線、ではなくてーひとりひとりに込められた、作者の愛情なんだと。
デコボコのままに良さを引き出すことで、物語が成りたっているーこのことが、この本を読んだ私を幸せな気持ちにしてくれました。

📖 生きることの、「王道」。

『おかげで、死ぬのが楽しみになった』。
まず第一に本書の作者がお若い方、というのに驚きましたし、高校生が「掛川文学賞」に選んだことも然り、です。
作中には、素晴らしい言葉がたくさんありました。特に印象深かったのは、「自分のために貫(つらぬ)いたことは、意外と誰かのためになったりする(192頁)」のところでした。
最近よく言われる〝街づくり〟のように、大上段にかまえて「◯◯をしてやる」というのではなくてー。
例えば今、こうしてみんなで本を読み合っているのも、これに当てはまると思います。
むしろ、そうした事が日常の中にたくさんある方が、(生活が)豊かなのではないでしょうか。
『おかげでー』は「老い」の物語ではなく、「生きることの〝王道〟」を描いたものだと感じました。

📖 「希望」は、自分のなかにあったー。
そういう生き方をしている人の〝文章〟

『おかげでー』には、作者のアツい想いがストレートに描かれていますがー。
同時に、屈折的な部分もあるように見受けられました。
例えば、第4話。巣立希(すだち・のぞみ)の通う美大に特別講師として来校した画家の、出で立ちを描写したところですが、
「切れ長の瞳に浮かんでいたのは、飢えだった」(392頁)
このくだりを読んだ時、サラッと描いているようで、実は作者の心の表れではないか、と感じたのです。
遠未さんご自身の、裡(うち)なる思いー渇望(かつぼう)であり、そうした精神面の強さや厳しさーが、垣間見えるのだけど、それを直接、読者に感じさせない文章表現が為されているところに、グッときました。
失われた世代と称される、厳しい時代のなかを生きてこられた中で、「希望」の在り処(ありか)にたどり着いたのかなと。
この本を読んでいるとやはり、そういう生き方をしている人の文章なのだと感じられてー心に
響きます。

📖 老人どうしの掛け合いが楽しい。
銭湯のある日常ーこういう、ブッ飛んだ神経の持ち主、いるいる?!

この一冊を、非常に楽しませていただき、ありがとうございました。皆さん仰るように〝老い〟というテーマで、またはオチに換えての老人どうしの〝掛け合い〟プラス〝コント〟の連続。
「次はどんなのが出てくるかな」と、楽しみでした。
第2話に登場する山田さんの話にあるように、
「平凡な日常って幸せなんだよね」という普遍的なテーマが、物語の根底を流れているように思います。
銭湯(巣立湯)が主舞台、というのも、そこに起因しているのではないかと。
ちなみに、私も銭湯が好きでして、関東の温泉にも入った事があるのですがーすごく熱くて。
湯温が何と、45℃以上もあるものだから、とても入れなくて泣きそうになっていました。
そこへ、知らない老人がトコトコとやって来て・・〝ザブン〟と入ったんです。で、ひと言「ぬるい」と。
「これぞ、江戸っ子ダァ!」と思いましたね(笑)。
その事を思い出すにつけても、本書に出てくる老人のような「ブッ飛んだ神経の持ち主」って、ホントに居るんだろうなと、思います。

📖 『おかげでー』に応援されて、
〝自分も誰かを応援できるかもしれない〟。
最終章は、辛かったけど・・

私は、この本を読むために(体が不自由なので、家にいたら『寝っ転がって』しまうと思い)、ファミレスに三日間通いました。
はじめの所は楽しくて、自分が応援されているように、元気をもらえました。
もしかしたら、他のだれかを応援できるかも?と、思えたくらい。だから、でしょうか。
もともと歌う事が好きなんですが、そんな私にもステージで歌う機会をいただいた事がありました。
もしかしたら、私の歌う姿を見た人が「自分もできる」と、思ってくれるのではと思いつつ、読んでいったのですがー。
最終章を読んだ時は、私自身が身内を看取った時の事が思い出され、シュンとしてしまいました。
病院で看取ることも叶わず、どんな思いで死んでいったのか。いろんな思いがあるはずなのに、最期の思いを聞けなかったことをー。
最後の章で、たくさんの言葉を目にした時、
「実際には、こんなことを思っていたんだ。私にも、こんな風に聞けたなら良かったのに」と、心底思いました。
身内にとって、残された者にとってー最後の章は、辛かった。でも、楽しく読むことができました。

📖 親の世話、というゾーンに入った私に、
『おかげでー』の言葉は〝お守り〟。

『おかげで、死ぬのが楽しみになった』。
今年、一番最初に読む本と思って、楽しみにしていました。
私も最近〝親の世話〟というゾーンに入ったと感じているのですがー。そんな私にとって、
この本の言葉(格言)は〝お守り〟と言っても良いくらいです。
なかでも、好きな言葉は「努力の年末調整」(第1話、91頁)とか、「緊張するってことは、強い気持ちで臨んでる証拠」(第1話、61頁)。
また、遠未さんのようなお若い方が、70代の人達を如何にして観察・モデル化したのだろうと思いますね。

話は変わりますがー。
私の娘は中学生時代からコロナ禍を過ごしてきました。学校生活ではマスクのために表情が分かりにくいなど、リアルな対面のやり取りが制限されていましたが、ツールを駆使して、それなりに楽しんでいたようです。
これに対して『おかげでー』は、〝ナマ(生)〟の感じでアツいものがあり、うらやましいですよね。きっと、高校生の皆さんも、同じようなことを思ったのかなと。

📖 あっという間に、時は過ぎたけれどー。
精神的には、〝枯れてない〟

『おかげでー』の主役は、70代の男性三人組。
この会場内には、そんな〝シャイニング〟の方々がたくさんいらっしゃいます。

ちなみに、私の場合はー
18才の時は「30才になったら、人生終わり」と、考えていたので、40代・50代なんて「信じられない」心境でした。
そうしたら今、あっという間に60代の手前まできてしまったのですが・・。
でも、精神的には、さほど枯れてない自分がいます。
遠未先生は、現在(いま)の私の心境を、『おかげでー』に、こんな風に書いて下さいました。
ありがとうございます。

📖 世代間交流ーコミュニティの大切さを思った一冊。

この本を読ませて頂いて、やはり〝世代間交流〟というものの大切さを痛感しました。現代では子供の数が減っており、さらに言えばコミュニティの数も減っています。
そんな社会状況のなか、『おかげでー』の作中では70代の男性たちが〝青春真っただ中〟と、言わんばかりに、幸せそうに頑張っていて。
その姿に勇気づけられ、自分も彼らのようになりたいと思いました。
私自身、両親を60代前後で亡くしているというのもありますがーそんな時にもし、近所の方たちが親代わりのように支えてくれたなら、その子供たちは幸せですよね。
コミュニティで、世代をつなぐー。
そのために頑張っている人々が、まわりを元気にしてくれるのですから。

📖 誰を応援する?結局はー。

「元気ですか?」「ときどき病気」とか、笑っちゃいましたけど、最後はホロッときちゃいました。
やはり、誰であっても人は誰かを応援したいですよね。けれど、いざとなると何だかんだ理由をつけて踏み出せない。
主人公の3人も最初は「誰を応援しようか」と、話し合っていましたけれどー。
結局は、皆が〝自分自身〟を応援した形になりましたね。そして、みんなが元気になって終わっていくーあったかい気持ちになれて、さわやかな読後感でした。

📖 「シャイン(shine)」は、ローマ字読みで
◯◯だけど・・・?

ドイツ人哲学者・ハイデッガーは、「人間の存在(人生)は、本質的には『死』に向かっている」と、定義しています。
今回のテキスト『おかげで、死ぬのが楽しみになった』の応援団名は〝シャイニング〟。これをローマ字表記にすると〝shine〟、
日本語で読めば〝死ね〟となりますね。
これを転じて、本書にハイデッガ-の理論を当てはめてみますとー。
「私たちは『死』に向かって〝プラン〟することができ、同時に〝輝く存在〟にもなれる」。
このようにも言えるかと思います。
だからこそ、あえて〝シャイニング〟と命名したのかなと考えました。

ちなみに、話はスゴく変わるのですがー。
私の持っている『おかげでー』に貼りまくってあるフセン、これは、すべて『ダジャレ』です(笑)。

読書会の終わりにー作者・遠未真幸先生よりー

みなさん、今日はありがとうございます。
貴重なお時間をいただき、うれしいですね。
朝、早起きをして掛川へ来たかいがありました。
正直言って僕は、読書会というものに参加するのも、自分の本を読んで下さった読者の方々と対面で言葉を交わすのも、はじめてでした。
ですから「今日はどうなるんだろう」と、思っていたのですがー。
今、読書会を終えての率直な感想は〝みなさんに応援していただいた気分〟です。
もっともこれは、ホメてもらえたから、ではありません。色々な意見があって、例えば「読んでる途中で、止まっちゃった」と、言って下さったことも含めてーすべてが、僕への〝応援〟だと思っています。
しかもそれを、僕に直接言おうと心に決めて、自分で一線を越えてきて下さった。
おそらく、どこまで言ったら良いのかーそんな葛藤もあったことでしょう。
そうして僕に言って下さった時の、ハラハラやドキドキもやはり、伝わってくるんですよ。
皆さんが、各々に感想の言葉を伝えようとなさっている時の眼差しや、その温もりー。
これは、直接の対話であればこそ、伝わってきたのだと思います。
今日、こうして掛川に来たことで、『対話』というものの意味を身をもって感じることが出来ました。
これが『おかげで、死ぬのが楽しみになった』を書いて、一番良かったことです。
僕に、こんなご褒美が待っていたなんてー。
この本を執筆中、いいものを作りたいと苦しんで来たことの、賜物(たまもの)です。
それに、作者の僕よりもたくさん、フセンを貼って下さってる方もいらっしゃいますし(笑)。今日のことを、過去の自分に伝えたい位です。『おかげで、死ぬのが楽しみになった』の感想を、作者である僕に伝えて下さる、という貴重な経験を、ありがとうございました。
             (第2部につづく)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『おかげで、死ぬのが楽しみになった』 
ーあらすじー
「応援団を復活してほしい。」なぞの遺言をのこして他界した、巣立進。かつての応援団員・引間、宮瀬、板垣の3人はさっそく応援団「シャイニング」を再結成するが・・・?

主役は、70代の男性トリオ。『いったい、何を応援するのか?』最初は困惑した彼らだったが、周囲を巻き込みながらの“応援”で、たどり着いた答えとは?

そして、巣立進の真意とは、何だったのかー。

"巣立湯"を拠点に、世代の垣根を越えて繰り広げられた、「老春(おいしゅん)」コミュ・ストーリー。

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