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自分を許す理由なんてなくても。

ここ数日のこの体の怠さはなんなんだろう。
探してみればいくつか心当たりはあるけれど、いくつかある分、これだ!という決め手にかける。

今日読んだ本。

目覚めると音に囲まれていた。
音の正体もだが、自分がどこにいるかも把握できず、「新鮮な不安」というようなものを覚えた。いつだって、目覚めれば寝る前の続きであり、みえるものも寝る前と同じ景色なのが道理だ。それをして「日常」と呼ぶ人も多い。「目覚めて異なる(と感じる)景色」は引っ越しをした当座しか感じられないことだが、朦朧としていたためそこまで考えは至らず、不安が混じったのだ。


『三の隣は五号室』は第一藤岡荘の三号室の歴代住民たちのファミリーヒストリーならぬアパートヒストリー。

変な間取りの三号室にどんな人が住んでいて、それぞれどんな生活で人生だったのか、住んでいる時にどんなことが起こったのか、時に日記のように、時に俯瞰的な記録のように書かれている。

前の住民が残していった些細な傷や遺物にもその住民の生活があって、それがアパートの物語となって、積み上がっていく。
五号室が第一藤岡荘がもう一人の登場人物に思えてくる。

小説のなかで、登場人物が引っ越してきたり引っ越していったりしているのを読んでいて、気づいた。

私のこの怠さは引っ越して1か月程経って、この家に慣れてきたから、それまでなんとなく緊張し続けてきたのが緩んで、どっと疲れがでたのではないかと。

引っ越したばかりの頃は殺風景で落ち着かなくて、各部屋のドアを開け閉めしようにもノールックではあらぬ方向に空振りしていたのも、今ではノールックで開け閉めできるようになり、くつろげるソファを買って、そのソファの存在にも慣れてきて、何日もそこでだらだら過ごすうちに、この家でくつろげるスペースができたことで、心身ともに緩んだ結果、この怠さなのではないか。

今日は急にあったかくなった気温差というのもあるかもしれないけど。
ここにきて疲れが出たのだというのも、大いに納得できる。

これだ!と思い当たる節があれば、自分を責めることなく思う存分怠惰に過ごすことができる。
本当は理由なんてなくても、怠ければ心置きなく寝ていられる性分であればいいのだけど。

夜、台所の柱の脇から出ているモジェラー口に電話機をつなぎ、やっと家に電話をかけた。携帯電話では私用電話をしたくなかったのだ。
「引っ越しは疲れるから」妻も部下と同じ言葉で保を励ました。

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