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自家自走ジェットコースター。

昨日でnoteを10日連続で書いて、「偉業を達成したな」と悦に浸っていたのだけど、一方でずっとはてなブログを放置してるのが気にかかって開いてみると、今日1日でどうかしてる程のアクセスがあった。

それは密かに「1日でこれくらいアクセス数があったら人気ブログみたいで嬉しいな」と夢見てた数字で、瞬間的にとても喜んだのだけど、すぐに間違って自分で自分のブログにアクセスしたのかもとか、Twitterでは鍵アカの人がコメントしたりリツイートしたりする嫌がらせがあるらしいから数字だけではわからんぞと不安にもなった。
でも純粋に見てくれたのなら嬉しいな。まぁどうせ真相は分かり得ないんだし数字だけ見て喜んでおこう。

今日読んだ本

現実との密着を試み、現実をそのまま映すかのような「透明な文章」をめざしたとしても、それだけ大きな「虚」への入り口に至るだけである。なぜなら、そもそも書くということ、語るということは宿命的に虚構をまとうからである。

noteに貼り付けた写真にちょくちょく映り込んでいるこの本。
なかなか読み終わらないので、出演回数がなかなか多くなってしまっている。

面白くてスピード感よく読んでたんだけど、忙しくなって頭に入らなくなってからはめっきりスローペース。
だけど面白さは変わらない。

『人間失格』の主人公の幼さとか、村上春樹の主人公の幼さが、どのように物語に作用しているのか書かれてるところとか、武田百合子の『富士日記』での書き手と読み手の話とか、読み応えがあって面白かった。

この本の主題の幼さとは話がずれるけど、こうして毎日文章を書いてると、「それって本当のことかな?」「本当にそんなこと思ってる?カッコつけてない?」等々、自分に問いかけられることも多々ある。


でも前に本を読む時、ストーリーや人物とか前後関係とか関係なく、好きだと思える一文に出会えればそれでいいと書いたのは本当で、それを書くことに援用すれば、自分が好きだと思える一文が書ければ、それが多少嘘でもカッコつけでもいい。
自分の書いた文章に酔えればいいのだ。

私ははなから、現実をそのまま映す透明な文章を目指していない。

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