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ひとりぽっちよりの跡


蹴った   蹴った   蹴った   蹴った

伸びた

蹴った   蹴った   蹴った   蹴った

伸びた

蹴った   伸びた   蹴った   蹴った

産まれた

産まれた   生まれた   産まれた   生まれた

泣いた

鳴いた?   鳴いた   泣いた!   泣いた

立った

立っち   立った   立っち   立った

転んだ










開かれたアルバムを背に
家を出ていった母親は
無音の部屋に轟いた
人形の夢と寝覚めを
聴く由もなかった
無論
お湯はりのボタンを押した覚えも
風呂栓を閉めた覚えも
無い









んあああ   あうあ うう   
うーんうあ   
あう   ううう   んん   わ

あっ

あうう   うばばばあうう らはあっ   あう

うばやああああああばうああ


まんま      まま    あう   

ばっば   

ぷぅぁぱ        ぱぱ







足早に玄関の面前までかけて来た母親は、
かじかんだ手で苦戦しながら鞄をまさぐり家の鍵を取り出した。
ふと聴こえてきたのは
少し重たい、バラード調のクラシックのような
鼻歌だった。


ただいま。








↓以下らくがき

物事を客観して見た時初めて過去は生まれる。逆に物事を進める推進力は必ず主観によって生まれ、これは安直な対比として未来を生むという事でもある。しかし世界の事象とはそもそも観測することによって成り立ち決定する。観測という概念に過去も未来もない。観測は瞬間瞬間、今によって行われ続ける。

「今」の連続は同時に未来の殺戮であり過去の誕生の連続でもある。
生死の二面性を常に孕む時空間線上に立つ私たち物質生命はそれを産むことも殺すことも出来ない。

過去も未来も存在しない。在るのはただ今だけ。ならば人間の幸福とはより良質な今を作り出し続けることに尽きる。
決して今を犠牲にせず、未来の幸福な今を作ることに尽力することが人間の幸福の最も大雑把な究極論だろう。

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