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「将来のため」は「今の自分」を潰していないか?


「将来」はいつ?


将来困らないように貯金しておこう
将来も安定的に働ける所に就職しよう

そうな風に「将来」を見据えて未来の自分が困らないような選択を、私たちはごく自然に行っています。

確かにとても大切なことですよね。

でも果たして、その「将来」は本当に来るのでしょうか?


一番それを体現するのが「死」です
死んでしまうと将来は無くなる

そして人は殆どの場合、いつ自分が死を迎えるか知らずに死んでいきます。

その瞬間に何を思うのか?

「もっと貯金すれば良かった」
「もっと安定した仕事すれば良かった」

…とは多分思わないですよね


自分の人生を振り返りながら、

「もっとやりたい事すれば良かった」
「もっと家族との時間を過ごせば良かった」

自分が今、将来の為に犠牲にしてる自由な資金や時間について悔やんでいます


人は生きている限り「将来」を想像します
そして「未来のため」の行動をします

けれど果たして「将来」とはいつのことなのでしょうか?


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「将来」に限りをつける


将来を考えすぎて後悔したくない。

とはいえ「今が良ければ全て良し!」みたいな道を進むのは怖すぎますよね…

「今月のお給料をいつ死ぬか分からないから全て使ってしまおう! 」なんて事をしていたら困るのは明日の自分や1週間後の自分です。


「将来を考える事」と「将来を考えすぎない事」
この相反する2つの思考をどちらも大切にしたい場合、重要なのは「将来」に限りをつけることだと私は考えています。


「将来」 を10年、20年先、老後…そんな遠くのものとしているからいつまでも将来が来ないのです。

そうではなくて、「将来」とする幅を長くても1年くらいに留めておく。


同じ「将来」という言葉でも、その中に含まれる長さの解釈が異なれば全く別物になります。


「将来困らないように貯金しよう」

①将来が老後だとした場合、40年も先までの貯金なんていくらしても足りません。そして老後までの何十年という月日をその為に費やすことになります。


②将来が1年後だとした場合、「困らないような貯金」とは収入が0になってもなんとか1年暮らせる位で十分です。
もちろん、①の場合よりも使えるお金も時間も余裕が生まれるので、その分「今の自分」とじっくり向き合う事も出来ますよね。


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「将来」は想像に過ぎない


これまで散々将来について語ってきましたが、事実として「将来」は想像に過ぎません

だって「今」起きていないことだから


このあと1秒後の出来事で、想像していた「将来」とは全く別物の「将来」が訪れることもある。

ならば、そんな想像にばかり目を向けて「今」を過ごしているのは勿体ないですよね。


「今の自分」があるから、「将来の自分」がいる

もっと今の自分に耳を傾けて「やりたいこと」や「大切にしたいこと」に向き合っていいんじゃないかな


私たちは小さい頃から「将来」を考えて行動する大切さを自然と学んできました。そして、学びすぎて「将来を生きる脳」になってしまっているんです。

しかし、どれだけ頭の中で将来を考えても私たちがいるのは「今」です。

だから「今この瞬間」をもっと大切に過ごしていきたい。

「将来のため」に「今の自分」を諦める様な生き方はしたくないものです。


 
と、昨日はそんな事を考えながら眠りにつきました。

皆さんはこの事についてどの様な考えをお持ちですか?もし良かったらコメント欄で教えて頂けると嬉しいです♩


sayamo

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【関連note】


最後まで読んでくださりありがとうございます!