見出し画像

「冥府の建築家:ジルベール・クラヴェル伝」伝播するオブセッションズ

クラヴェル。ダイナマイトで岩を爆破しながら、岩窟の住居を生涯かけてつくった狂者であり真のアーティスト。400ページを越える大著に挑んだが、おもしろすぎて2日で読了した。(この壮大な、、クラヴェルの初の伝記が日本語で出版されていることを感謝し噛み締めながら拝読した。もちろん精読には相当の時間がかかる)

ジルベール・クラヴェル(Gilbert Clavel, 1883-1927)はバーゼル出身。岩窟にオリジナル建造物を生涯かけてつくったアーティストである。結核を患い、生涯にわたって身体の不調に苦しんだ、小柄でせむしの人物。わたしはハラルド・ゼーマンの資料を読むなかでこの奇妙なアーティストを知った。

ゼーマンの中期の展覧会三部作であり、オブセッションズ美術館という彼の頭のなかにだけ存在するシンクタンクを体現したような展覧会「独身者機械」「モンテ・ヴェリタ:真実の乳房」「総合芸術作品へ向かって:1800年以降のヨーロッパのユートピア」がある。クラヴェルはこの三部作におけるさまざまなテーマや、通底するオブセッション、そしてヨーロッパ文化における謎が交差した存在であると著者の田中氏は書いている。実際に、本書を読み解いていくとゼーマンの展覧会を追っているような感覚になってくる。オブセッションという謎。自分のなかのオブセッションの認識を更新しないと、ゼーマンの展覧会の理解は深まっていかない。

「ヴィジョナリー・スイス(Visionare Schweiz)」
表紙はEttore Jelmoriniの作品Croce Svizzera(スイスの十字)

クラヴェルはゼーマンの展覧会「ヴィジョナリー・スイス(Visionare Schweiz)」(1992年)で大々的に扱われている。上述の展覧会三部作のあと、ヨーロッパの国をテーマにした「バラのレースのオーストリア」や「ヴィジョナリー・ベルギー」などをゼーマンは編んでいく。「ヴィジョナリー・スイス」以後もゼーマンはクラヴェルの文書の調査を続けていたらしい。「モンテ・ヴェリタ」と同じく、クラヴェルはゼーマンが生涯をかけて追いかけていたテーマということである。手元に「Visionare Schweiz」のカタログがあるが、ゼーマンはアーティスト紹介のページと別に巻末にクラヴェルの日記を掲載している。そのくらいクラヴェルへの理解を深めようとしていたということだろう(なお、田中純先生は「幻視のスイス」と展覧会を邦訳されているが、ヴィジョナリーはなぜ「幻視」なのだろう?わたしはやはり「幻」ではなく過去や未来を含めた現実も含んだ言葉のように思える。語源などからの邦訳なのだろうか。)

さて、クラヴェルの代表作であり、もっとも妄執を感じられるのが「クラヴェル城」と呼ばれるイタリアのポジターノにある建築群である。クラヴェルは1909年に廃墟となっていた監視塔(16世紀にイスラム教徒の襲来を見張るための監視塔だった)を買い取り、現地の職人を雇い入れて監視塔を造り変えていく。そして徐々に塔の周辺の土地を買収したクラヴェルは、ダウジングで地中の空洞を探し当て、岩壁を爆破させながら地下通路を孔け、監視塔を拡張していく。

本書によるとクラヴェルは身体の痛み、病との格闘のなかで、思いどおりに扱えない謎に満ちた身体を「建築物の観察の場合と何ら変わらない(p127)」と書いている。開腹手術を受けた身体と重ねるように、岩壁を爆破していたのか?とイメージしてしまう。しかしもっと冷静に客観視するための建築だということが徐々にわかる。

距離をもって一望のもとにとらえられたこの堅固な法則性にあたるものを、クラヴェルは自分の肉体を冷静に客観視する観察を通じ、病を抱えたみずからの生における「普遍的な何か」として認識しようと努めていた。

p128

この考察は日記を丁寧に解読している中で登場するのだが、建築のプロジェクトを生涯かけて行った、他のアーティストを考えるときにも大いなるヒントになると感じた。ゼーマンが取り上げたシュヴァルの理想宮、エティエンヌ=マルタンの纏う住居、クルト・シュヴィッターズのメルツバウなどを理解するときにもこの身体との重なりと客観視のためのツールとしての建築はヒントになる(もちろん個々の作品には別の背景があるのでひとまとめにはできないが。)
クラヴェルが自分の身体に潜るように作った洞窟群は自分を客観視するためのツールにもなっている。この客観性は「苦痛によって責めさいなむ「骸(むくろ)」としての自分の肉体に関する距離感p147」なのである。自然と身体の融合によるホリスティックな感覚や自然を支配するように建物の構造を作りこむ全能感とは全く異なる。
簡単には扱えない石の硬さや冷たさ、それなのに生き物のようでもあるという唯一無二の存在の構造物がクラヴェルの手がけた建築群でもある。苦痛に満ちた身体は前にあげたアーティストには無い背景であるところもポイントだろう。

「風景内部に胚胎されていた統一性が、のちに芸術において人間化されたのだ」「自然が自分自身を様式化しているんだ!136」とも日記に記しておりエジプト旅行を通じて古代エジプトや現代ヨーロッパに通底する、表現の本質に向き合っている。

余談ではあるが、ポジターノの岩窟住居は現在はイタリア貴族の夏の別荘にもなっていると言う。この高級感よ…世界は変容してしまっている。

https://luxuryhomegate.com/listings/villa-positano-amalfi-coast-terrace-and-bbq/

本書の感想や考えたことはまだまだある。クラヴェルについて引き続き考えてみる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?