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イヤイヤ期は、「魔の2歳児」ではなく「無敵の2歳児」説。

2歳児といえばイヤイヤ期。

自我が強くなり、それを周りに伝えるための「言葉」や「行動力」もついてくるので、大人は手を焼く時期です。特に我々大人は「時間」や「計画」にいつも追われているので、時間に間に合わない!って時にわがまま言い出してギャン泣きでもされようものならもう大変。。2歳児は「魔の2歳児」なんてよく言われます。

でも、そもそも、わがままとは「我が儘」と書き、「ありのまま」という意味なのだと、以前教えてもらったことがあります。わがままは周りにとっては困ることかもしれないけど、本人にとっては「自分に対して正直に振る舞っている」という、ある意味自分に誠実な行動なのかもしれません。



「思考・言動・行動」を一致させることの重要性

私が人生において大切にしていることのひとつに、「思考」と「言動」と「行動」を一致させる、というものがあります。人間にとって、それらが一致している状態が最も幸福で安定している状態なのだと、ずっと前にどこかで読んだことがあるからです。(どこで聞いた言葉だったか忘れちゃった…誰かに教えてもらったのだったかな)

思考と言動と行動が一致。これは簡単なことに思いがちですが、けっこう難しく、ほとんどの大人はそれらがちぐはぐのまま生きてしまっていると思います。それは「思ったことを素直に言う」「宣言したことを実行する」といった、単純な話でもありません。

多くの人は「思考」の段階で、「思ったことを、素直に思えていない」のです。自分の本当の本音を、責任感・世間体・嫉妬・同調圧力・失敗への恐れ・怒られることの怖さ・恥ずかしさ…などによって、「でもそんなこと思っちゃダメダメ」と瞬時に封じ込めて、「誰かに無意識に刷り込まれた意見」をさも自分の要望かのように「思って」しまうのです。そして出た言動はもちろん本音とは乖離していて、実現しようと思っても深層心理でそう思っていないものだからなかなか実現できない。結果、なんで人生こんなに上手くいかないんだろう?となる。人生における問題はほぼこの構図なのではないでしょうか。

例えば、こんな状態↓

思考:人の命や精神を救う仕事がしたいと思っている。本音を言うと医療に従事したいと思っている。でも、今の段階で全然違う分野の事務仕事をしていて、この年齢と偏差値と貯金では今更とても転職できっこない、実際現場は大変そうだし自分に務まるか自信がない、周りに身の程知らずと思われたくない、と思っている。両親にも小さい時から「身の丈にあった堅実な生き方をしろ」と言われてきた。なのでせめて医療現場に関係あるような事務仕事ならできるかなと思っている。

言動:「転職先?えっと、また事務職とかが現実的だと思ってて…あっ実は医療事務とか興味があって。。」と周りに言う。

行動:医療事務の仕事はないけど営業事務の仕事なら紹介できるよ、と言われて、待遇が良いという理由で営業事務に転職する。日々の業務をこなすうちに「あれ?これがやりたかったんだっけ」となってモヤモヤが溜まっていき、激務によって身体を壊す。(心が、本音に気付いてよ!と身体を使って訴えている状態)

「思考は現実化する」などと言いますが、実際は色んな要素によって複雑に重なってしまった「思考」が、ぐちゃぐちゃになって全て「現実化」されてしまうので、上手くいかないのです。


2歳児は、思考・言動・行動が完全一致している?!

その点でいうと、2歳児は単純明快、これらが完全に気持ちよく一致しています!!!

2歳児の行動はだいたいこんな感じです!!↓

Case1
思考:だっこしたい
言動:「だっこ〜」と言う
行動:だっこしてもらう。だっこしてもらえない場合、何がなんでもたっこしてもらうための行動を取る(両手を広げて大声でだ〜っこ!をキレ気味で連呼 等)

Case2
思考:おかしたべたい
言動:「おかしたべた〜い」と言う
行動:おかしをもらう。もらえない場合、何がなんでもおかしをたべる行動をとる(お菓子の棚を指差して大声で訴える、もらえる人(親)の手を引っ張ったり足に抱きついたりする、床に突っ伏して大袈裟に泣く 等)

Case 3
思考:ほいくえんいきたくない
言動:「ほいくえんいかない!」と言う
行動:行かないとダメだよと言われても、何がなんでもほいくえんいかない行動を取る(ギャン泣きする、ギャン泣きしながら保育園の入口と逆方向に向かって地面を這う、抱っこされたら海老反り 等)

2歳児には、世間体も羞恥心もまだありません。欲求を我慢することもなければ、相手への迷惑を考えることも、どう見られるかを気にすることもありません。思ったことは100%純粋のまま言葉になり、それを聞いた周りの大人が叶えてくれ、叶えてもらえなければ全力で抵抗することもできます。

その抵抗が、大人から見れば「困ったわがまま=イヤイヤ期」となるのですが、それって大人が失ってしまった「思考と言動と行動の完全一致」の姿なのではないでしょうか?!

大人は、目の前の人を抱きしめたいと思っても、恥ずかしさとプライドが邪魔してできない。甘いものを食べたいと思っても、容姿を気にする気持ちから我慢しないといけない。会社に行きたくなくても、抱えているプロジェクトの責任が大きすぎて、行きたくないと口にすることなど許されない。イヤなことをイヤ!と思うことすらできない。

そう考えると、子供ってなんて眩しくて、羨ましいんでしょう。「魔の2歳児」はあくまで大人目線の言葉で、本人にとっては「人生で一番純粋で最強で無敵の期間」なんじゃないかと最近は思っています。



思考を「我慢し、封じ込める」人生を、できるだけ歩ませないように

もちろん、イヤイヤ期の子供には、現実的にそれが不可能であることや、代替案があること、自分の身体や周りの人を大切にすること等を教え、自分の要望と現実に折り合いをつけさせていく必要があります。

でも、「自分の本心を我慢して封じ込めること=大人になること」では絶対ないはず!!

大人の本来の役目は、いかに2歳児の純粋な気持ちを否定せず、壊さず、上手に思考を言語化する手段を教え、それを実現するための手段を教えられるか、だと思っています。「思考と言動と行動が一致した今のピカピカな状態」を、できるだけ崩さないまま成長させることに注力したいです。

とはいえ、そんな理想的なこと一体どうしたらいいのか??具体的には私もよくわかりません(´・_・`) 大人にも仕事とかやりたいこととか色々あるし忙しいし、イラッとすることもあるし。。

とりあえず、私は「子供から湧き出た一番単純で純粋な気持ち」を、一切否定せずそのまま復唱する、ということをやってみています。

  • 痛がってる時
    「痛くない痛くない!」ではなく「痛かったねぇ。」

  • 怖がってる時
    「怖くないよ〜」ではなく「怖いねぇ。」

  • 泣いた時
    「泣かないのっ!」ではなく「悲しいよねぇ or 悔しいねぇ。」

  • 怒ってる時
    「そんなことしないのっ!」ではなく「イヤだよねぇ。」

とにかくこういう「ただの共感」の言葉をひたすら(ギャン泣きしてる間の数分間)掛け続けていると、何もしなくても子供の方から何かしらの「代替案、発散法」が自発的に出てくる、ということがわかってきました。親ができることは「共感すること」のみである、といっても過言ではないくらい、共感の力ってすげ〜〜と思っているところです。(ここらへんの話も今度詳しく書いてみようと思います。)

1歳2ヶ月でイヤイヤ期に突入(早すぎる…笑)した娘も、まだ2歳9ヶ月、今も絶賛イヤイヤ期続行中。つまりまだまだ無敵の期間。これからどう成長していくかは完全未知数なので、引き続き経過観察を楽しもうと思います。