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持続化給付金を満額もらって、うれしくなかった話

 持続化給付金が振り込まれていた。お世話になっている人から「申請ができると思う」とお声掛けいただき、免許証、今年の収入額がわかる帳簿、入金を希望する通帳の表紙と中面をスキャンして、申請をお願いしたものだった。

 持続化給付金とはざっくり言うと、2020年1月以降、新型コロナウイルス感染症拡大の影響等により、前年同月比で事業収入が50%以上減少した月が存在する事業主が受けられる給付。個人事業主も対象となった。わたしは3月が対象月となり、個人事業主の満額である100万円が入金された。

 100万円という金額は、貯金も満足にできない庶民のわたしには具体性のない数字。加えて4月5月と人にも会わず、仕事もなく、無気力に過ごしていたので、「お声掛けいただいたし、もらえんならもろとけ」くらいの軽い気持ちだった。

通帳に突如出現した「1,000,000」という数字

 5月26日、iPhoneから三井住友銀行の残高照会のページにログインした。すると残高の欄には「1,XXX,XXX」と想像してもみない7桁の数字が並んでいた。「えっ」と声が出た。一瞬なにがなんだかわからなかった。

 支払いのために入金されていたギャランティを下ろして、それでも足りないぶんは別の通帳に入れている貯金を切り崩そうと思っていた。だが100万円入金されたので、貯金用の通帳を触る必要はなかった。15万円を下ろし、もろもろの支払いを済ませた。

 だがなんだかおかしい。100万円が入金されたら「うおー激アツやんけ」とか「労働せずに100万ゲット! ラッキーラッキー」くらい浮かれるのかと思いきや、なんだかぽっかり穴が開いたような気持ちになったのだ。

 最初それは「100万という大金をもらったことに現実味がないから」だと思っていた。だけどその気持ちの正体にのちのち気付くことになる。

極貧ライター時代で芽生えた「稼ぎたい」欲

 わたしは30年以上の人生で、ものすごく裕福だったときもあれば、死を考えるほど実家が事業存続のために借金まみれだったこともある。お金の大切さはなによりも身に染みている。

 経済的な理由で大学を諦めざるを得ず、同い年の友人たちが社会人2年目となったタイミングで専門学校に入学したわたしは、後れを取っているという劣等感があった。卒業したあともアルバイトをしながら数少ないライター業を行い、月収10万に満たない時期も長かった。

 同い年の友人が18で車を買い、23で結婚をし、そのまま出世をし29で家を買っているのに、わたしは結婚の予定も、仕事で成功する兆しもない。せめて仕事くらいはなんとか軌道に乗せたかった。父が死んでから女手ひとつで育ててもらい、ずっと迷惑を掛けている母に、親孝行したかった。そのためにももっと稼ぎたい。その欲は仕事のモチベーションのひとつにもなっていった。

 30を超えて、2016年の秋にようやくアルバイトを辞めた。フリーランスは月によって収入にばらつきがあるが、2019年には40万を超えた月があった。天にも昇る気持ちだった。つらかったことも報われたような気がした。

 毎年毎年還付金が振り込まれるたびに「やったぜ~!」と手放しで喜んでいた。それなのに100万振り込まれても、一切うれしくもなければ、喜びも生まれない。なぜだろうか?

自分の労働でお金を手にしたかった

 ここ2ヶ月ほとんど仕事がなく、朝起きるのもだいたい11時くらいで、ぐったりしていると午後に起きることも多い。そんな自分に100万円という大金が舞い込んだ。ふと思った。「本当だったらこの金額、自分で稼いでいたはずなんだよな」と――喜べない原因はここだったのだ。

 自分の芸でお金を稼ぐことは、自分を肯定できる手段のひとつだった。こんな状況になっても、普段通りばりばり依頼があって働いているライターさんはたくさんいらっしゃって、だけどわたしのところにはそんな依頼がほとんど来ない。「お前はこういう状況になると仕事が回ってこないレベルの人間やぞ」と突きつけられているのと同義だった。

 面倒くさがりだからだらだらできることは喜ばしくもあり、思う存分YouTubeでお笑い動画を観たり、ラジオを聞いたりするのも楽しいし、隅々まで掃除できるのも気持ちがいいのだが、そんな好き勝手な生活をしている自分が突如手にした100万円。経済的には非常にありがたい反面、ライターとしてのプライドをずたずたにするには充分すぎるほどの追い打ちだったのだ。

 「持続化給付金もらえないよ〜」と言っている同業者さんはこの状況でも仕事があるという証拠だ。今年の5月でライター10周年を迎え、存分に浮かれる予定だったのが、実際はコロナのせいでお祝い会も全部流れ、経済的にも物理的にもひとりで豪勢な外食をすることもできず、なにより驚くくらい仕事がない。祝ってる場合か。

 10年経っても辛酸を舐めなければいけない。10年経ってもうだつが上がらない。自分の才能のなさにどっと落ち込んだ。おかげで調子に乗らずに済むのかもしれないけれど。

落ち込んでいるわたしに母が言った言葉

 朝起きてお台所に向かうと、同居している母がiPadでNetflixを観ていた。その横でいつものシリアルを惰性で食べているときに、溜息のように「働かないでお金もらってもうれしくないんやね」と零すと、母はこう言った。

 「これだけのお金がもらえるのは、あなたの過去の労働が認められたってことよ。なんもしてない人は、こんな大金もらえないよ?」

 いまにも割れそうなくらい膨らんだ風船から、急に空気が抜けてしぼんでいったようだった。そうか、過去の仕事を認めてもらったから、これだけのお金をいただけたのか。「持続化給付金」という名のとおり、この100万円は「これからもこの仕事を続けられるように」という意味で投資してもらったお金なのだ。ありがたいことこの上ない。

 仕事がいただけない状況に途轍もない自己嫌悪を抱いていた自分は、完全に視野が狭くなっていたと反省した。10年続けていてもいまだに無名の自分が非常に恥ずかしくもあるいっぽう、元○○編集部という肩書きもなくここまで続けてこれたこと、あたたかい言葉をかけていただいたことはとても幸運で、かけがえのない財産である。

 「10年も続けてるのに」という身勝手な気持ちがふくらみすぎて、傲りがあったことはとても反省しているが、冷静になってやはり思う。お金は自分で稼ぎたいと。金銭を得ることは、労働の見返りであってほしいと。

 持続化給付金の100万円は、10周年という節目で腐らずにがんばろうとあらためて思わせてくれただけでなく、この先の10年をどう生きていくかを考えさせてくれた出来事だ。10年選手になっても、まだまだ足りないものばかりで気が遠くなるが、きっとこの先もずっとそう思い続けるのだろう。足りないながらもやるしかない。

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沖 さやこ
最後までお読みいただきありがとうございます。