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アラフォーと子宮筋腫手術⑥入院生活

 6月23日から29日まで、子宮筋腫の開腹手術のため入院しました。ここではそのスケジュールを書いていきます。
※ほかの患者さんや医療従事者さんの話題は出していますが、個人情報に関わることは極力カットしています


6月23日 土曜日 手術1日前(入院)

 小雨の降る朝だった。仕事前の弟に大学病院まで送り届けてもらい、入室までの時間は近くのスターバックスで満腹のなかラテを飲みながらテープ起こしをした。土曜なので時間外出入口から病院に入ったら、待合室で時間つぶしをしている人がちらほらといた。水っ腹を抱えながら「ここで仕事ができたな」と後悔した。
 入院までに用意しろと言われていた腹帯とテープ式おむつを売店で買い、そのまま11時に病棟へチェックイン。第1希望だった0円の4人部屋は空いておらず、3300円の4人部屋を案内してもらう。コストがかかる以上に残念だったのは窓際ではなかったことだ。せっかくの12階なのに。

 土曜日なので事務員や薬剤師が不在で、細かい手続きや説明は術後追々になるという。書類数枚に署名をし、病棟生活のルールなどを聞いてひとりになった後は荷ほどきをする。ベッドに入る気もパジャマに着替える気も起きず、備え付けの椅子に座って終わっていないテープ起こしを再開した。
 病室にはわたし以外にふたり先客がおり、慣れた雰囲気からも既に何日か、もしくは何回か入院しているようだった。両者ともほとんど物音を立てず、部屋は誰もいないかのように静まり返っている。わたしのキーボードのタイプ音だけが淡々と響く。

床頭台とアクションワゴンをフル活用した。TVと冷蔵庫は使っていない

 正午過ぎに昼食が出る。アジのごま味噌焼きやたらもサラダ、お味噌汁など、彩り豊かなラインナップだった。美味しい。病院食のイメージを覆す、素材の味を引き立てたお料理だった。これで500円しないなら、毎日食べたいくらいだ。
 15時頃におへその掃除をオリーブオイルでしてもらい、その後は剃毛を言い渡される。シャワー室でセルフで剃るようにと電気シェーバーを手渡され、「クリームなど何もないの? 術前なのに肌が切れたらどうしよう」と恐る恐る剃る。どこまで剃ればいいかわからず、看護師さんにチェックをしてもらう時間はなかなかに羞恥心がくすぐられた。

 テープ起こしを完成させて病棟のフリーWi-Fiを経由して原稿を送信し、夕食の後に明日の手術に向けて下剤を服用する。21時以降は飲食禁止なので、これが手術前最後の飲食だった。だが下剤の力をもってしても満足な便が出ない。入院前日まで17日間飲み続けたフェログラデュメットのVENPEE効果えげつない。
 21時に消灯するも、普段深夜3時に寝ている人間が眠れるわけがない。おまけに枕も高い。ベッドが扉のすぐ隣で、人がばたばたと往来して気が休まらない。入り口前の常夜灯も気になる。ずっとのたうち回っていて、まともに眠りに就いたのは4時くらいだった。看護師さんは1時間に1回各ベッドの巡回に来た。大変な仕事だと身をもって感じる。

6月24日 月曜日 手術当日

術前

 2年前のこの日、愛猫が息を引き取った。そういえば愛猫も、他界する数年前に子宮の病気をして、全身麻酔の手術をしていた。なんだか不思議な縁を感じる。
 慣れない環境がゆえに、案の定あまり眠れなかった。飲食禁止のため水すらも飲めない。気晴らしに歯を磨く。相変わらず排便はない。
 周りの人が朝ごはんを食べているなか、TVerで『古畑任三郎』を観ていたら、主治医が研修医らしき若者たちを連れて回診に来た。「沖さん調子はどうですか?」「今日はよろしくお願いします」と言ってもらう。主治医はいつも堂々としていて自信に満ちているけれど、それを鼻にかけることがない。向上心のある人なんだろうと思う。

白衣を着ている先生もいるけれど、主治医は外来も回診もいつもスクラブ姿で手ぶらだった

 その後看護師さんから、看護学生さんの研修のため、金曜まで身の回りのお世話をさせてもらってもいいかと打診がある。若い方のお勉強になるならと快諾する。「嫌なときは嫌と言ってくれ。それも勉強になる」とのこと。ちなみに期間中一度も断らなかったし、状況を察知する能力の高い学生さんだったためとても過ごしやすかった。

 空いていた向かいのベッドに、新しい入院患者さんが入る。会話から察するにこの日から定期的に入院をして治療をしていくようで、落ち込むご本人に旦那さんが寄り添っていた。時折鼻をすする音が聞こえた。
 金属バットのラジオを聞きながらネットサーフィンをして手術を待つ。「これからわたしは全身麻酔で開腹手術をするのか」と考えるものの、あまり実感が湧かない。すると先ほど紹介していただいた看護学生さんがお話に来てくれた。大学生で世代の離れた人と世間話をするのはかなりハードルが高いと思う。立派だなと感心していた。

 13:30に始まる手術に向けてお昼に手術着に着替えて待機し、10分前にお呼びがかかる。看護師さんと看護学生さんに連れ添われて向かい、ラウンジで待機していた家族とエレベーターホールで合流した。なんとも言えない緊張感が漂うエレベーターと、なんだかふわふわとしているわたし。この時点でも今から全身麻酔で開腹手術をする実感がまったくない。
 中央手術室の入口の前で髪の毛のキャップを被せられ、家族とはお別れ。そこに入ってから奥へと歩みを進める。機材の音だけが鳴り響く、ドラマで見るような殺伐とした廊下を見渡しながら歩いていると、手術室の前で手術室看護師さんに出迎えられる。このときに初めて「ああわたしは本当に開腹手術をするんだ」と実感した。身体から押し出されるように本音が溢れた。「緊張してきた」。

ほんとこんな感じの、笑顔が素敵な優しいお姉さんだった

 引率の看護師さんと看護学生さんとはここで別れ、わたしは手術室に乗り込む。言われるがままにベッドに寝る。先生たちが4人がかりで「点滴挿しますね」「血圧計つけますね」など丁寧に説明しながらあっという間に身体にいろんなものが装着されていく。その最中に主治医が声を掛けてくれたけど、いつものような堂々としていて落ち着いた様子というよりは、緊張感と集中力が迸っていて別人のようだった。普段はしっかり目を見て話してくれるけど、そのときはわたしに背を向けて手袋をしながらだったから尚更かもしれない。わたしという患者ではなく、病気や手術そのものと向き合っていることが窺えた。

 手術室ではほのかにスピッツが流れていた気がする。まずは背中に硬膜外麻酔を打つ。感じたことのない奇妙で鈍い感覚。だが想像していたよりも痛くない。顔の上から太めのコードを通すときに、それが目に落ちてきたときのほうがドライアイ人間にはつらかった。
 硬膜外麻酔が入った後は、深呼吸を促される。全身麻酔への助走である。笑気麻酔が使われたようで、被せられる寸前のマスクからアルコールのような臭気がふわっと香ったと思ったら、そのまま瞬間的に意識を失った。言葉通り「ストンと落ちる」という感覚だった。その間は夢を見ていた。内容はあまり覚えてないけれど、居心地の悪さだけは残っている。

術後

 看護師さんから「沖さーん」と声を掛けられて、手術室にて目が覚める。「手術終わりましたよ」と言われ、わたしの意識を確認した手術チームの皆さんがてきぱきと作業をし、あれよあれよとベッドに運び込まれて手術室の外に出る。途中で母と弟が声を掛けてくれた気がする。
 病室に到着すると、机の上に用意していたテープ式おむつと腹帯、足の血栓予防の機器を看護師さんが手際よく装着し、坐薬を入れた。朦朧としたなかでされるがままだった。どこかのタイミングで酸素ボンベを取ってもらったけど、いつだったか記憶が曖昧である。後半くらいは酸素ボンベが蒸れて、早く取りはずしたくて仕方がなかった。

 開腹の傷がとにかく痛い。お腹に何かが蠢いているような、鈍く蝕む痛みだった。しばらくしてから母と弟が病室に来た。とにかく痛くて、何を話していたのかがわからない。痛い痛いと言い続けていた気がする。向かいのベッドの人が、母と弟に「痛いときは気にせずナースコールをしたほうがいい」と言っていたのがぼんやりと聞こえた。ふたりはわたしの手元にナースコールとiPhoneを置いて帰った。

押すの申し訳なさ過ぎてめっちゃ緊張する

 それから数十分後だろうか。痛みに耐えられなくて痛み止めを頼んだ。だが痛み止めの点滴をしても痛みが引かない。血栓予防の機器のエラー音が止まらなくて気が狂いそうになってもう一度ナースコールを鳴らす。このエラーはこの後4、5回続いてストレスだった。
 消灯後も痛みが引かない。痛くて眠れない。暑い。腰も痛くなってきた。朝が遠かった。来る気すら起きなかった。
 iPhoneが触れたから、眠れないことだし気晴らしに仕事のメールを返したり、手術が無事終わったことをSNSで書いたりした。自分の気持ちをしたためたらほっとしたのか、4:30くらいに眠りに就いた。手術の結果は一切聞いてなかったけど、痛みのなかで朦朧としながらも子宮はちゃんと残っている気がしたし、悪性ではない気がした。

6月25日 火曜日 術後1日目(歩行開始)

 朝、検温で37.2度。看護師さんからおむつを開いて傷をチェックされ、10時過ぎからの歩行に向けてベッドの背もたれを起こされる。急に動いたため身体が驚き、少し気持ち悪くなる。このとき手と腕の至るところに、いろんなものが刺されていた痕があることに気付いた。そして朝を迎えられたことに安堵した。
 看護師さんに「ガスは出ていますか?」と聞かれる。出ていると伝える。ここでガスが出ていないと、腸閉塞の可能性が高まるのだそうだ。

 周りの人が朝ごはんを食べているなか、熱で暑くて朦朧としたわたしのもとにお会いしたことがない白衣姿の女医さんが回診に来た。研修医らしき若者を何人か連れていた。朝の回診は若い方々が必ず来る印象がある。
 お腹の傷を見るために、女医さんは手術着をめくっておむつを開ける。おむつ姿も、おむつを開けられるのも、なかなかに屈辱的だった。女医さんが硬膜外麻酔のボトルを引っ張ったときにわたしの上半身がはだけて片乳ポロリした瞬間に、男性の研修医さんが咄嗟に目をそらした。朦朧としながらも「気を使わせてしまった」とばつが悪かった。
 女医さんは「これは大事だから」と言い、硬膜外麻酔のボトルをわたしの首にかけた。さすがにわたしでもほんとにこれ正しいの?と訝しんだ。それからしばらくして歩行訓練のために看護師さんと看護学生さんが来る。看護師さんは「これなんでぶらさげられてるんだろう?」と真っ先に硬膜外麻酔のボトルを首から外された。そうっすよね。邪魔だったもん。

たくさん管がつながれる入院生活でした

 臓器癒着を防ぐため&回復を早くするために歩く練習をする。看護師さんと看護学生さんのサポートを受けながらベッドから起き上がり、病室の外に出て5mほど歩いて引き返した。「お手洗いまで歩けそうですか?」と訊かれ、頑張ってみますと答える。ベッドに戻るとおむつを開かれて尿道カテーテルを抜かれた。これがめっちゃ痛かった。あとグロかった。
 その後に「おむつとナプキンとどっちがいい?」と訊かれ、あまり出血もなかったことから後者を選択し、着替えの手伝いをしてもらう。看護師さんが鮮やかな手つきで、点滴をつけている患者を着替えさせる様子は、なんだか知恵の輪みたいだなと思うなどする。身体も拭いてもらい、少し落ち着いた。

 お昼になると、隣のベッドから鼻をすする音が聴こえた。ごはんを食べながら泣いているようだった。何があったのかはわからない。だけどちょっと聞こえたお医者さまとの会話だと、もうこの病院でできることはないようだった。その涙の音に乗せて、わたしは目を閉じた。
 尿道カテーテルが抜けてパジャマに着替えてちょっとほっとしたのか疲れが出たのか、はたまた麻酔が抜けきっていないのか。うとうとと眠った。ずっと浅い眠りだった。看護学生さんがお話をしに来てくれたけど、ぼーっとしていてあんまりまともに話せない。全身麻酔の影響で喉がつかえてるのもあった。
 午後より飲水の許可が出たため、咳が出ないよう水を飲んで喉を潤した。「咳・くしゃみ・笑う」がとにかく傷に響くのだ。霜降り明星がよく大笑いして苦しいときに「腹ちぎれる」と言うけれど、そのときのわたしは「リアルに腹ちぎれる」だった。

 夜はなんとなくお腹がすく。やることがないからずっとスマホをいじったりPCでネットサーフィンをしていたけど、知らない間に点滴が逆流していて看護師さんから「手を下げろ」と怒られた。看護師さんは皆さん優しかったけど、ピリピリしているのはだいたい新人さんだった。患者は勝手だし、先輩も目を光らせているから板挟みだし、看護師さんに必要な資質であろう持ち前の責任感の高さから余裕がなかなか持てないのだろう。一人暮らし&社会人1年目、潰れずに耐えてほしいと願った。
 消灯後は、誰かがお手洗いに行くとなんとなくみんな居心地が悪そうに動き出す。ずっと起こしてしまったと思ってたけど、みんな起きたわけではなく、みんな寝られないんだなと気付いた。

6月26日 水曜日 術後2日目(流動食開始)

 夜中から頭が痛かった。トイレに行くと排尿時の出だしに痛みが走る。朝の検温で38.5度を記録し、ほどなくして主治医の指示で看護師さんが感染症の確認のため採血をする。その後は解熱剤の点滴を打ってもらった。排尿時の痛みはとにかく水を飲んで解決させるとのことだったので、引き続き積極的に摂取した。
 さすがに日曜以来シャワーに入っておらず、汗もかいているので頭皮がベタついてきたため、解熱剤が効いてきたタイミングで水のいらないシャンプーを使う。気持ちばかりではあるものの少しさっぱりした。あるとないとでは大違いというやつだ。
 看護師さんに身体拭きと着替えを手伝ってもらい、「病棟を5周はしてほしい」と言われる。よく歩いてねとは言われていたけれど具体的な数字は初耳だったので、慌てて歩き始めた。やはり動きに刺激されてか、子宮からの出血が増える。とはいえ10年の過多月経を考えるとこんなの微々たるものだ。
 その後、ほかの看護師さんから「よく歩いてますね」と言われ、最低でも5周しろと言われたことを明かすと、看護師さんは驚きと呆れと関心が混ざったリアクションをしていた。スパルタなんだろうなと思った。看護学生さんも歩くのに付き合ってくれた。

 お昼に看護学生さんと引率の先生が流動食を持ってきてくれた。日曜の夜ぶりのごはん! 引率の先生から「お塩は全部入れたほうがいい」「ゆっくり食べて」とアドバイスしていただいて、ゆっくり食べたけど、それでもものすごく胃がびっくりしていた。ゆっくりゆっくり味わって食べた。

この日は昼夜液状粥。夜に出たりんごジュース、美味しいのに結構きつかった

 向かいのベッドにいた人が朝10時に退院し、清掃ののち14時頃に新しい患者さんが入院した。声だけ聞いているとなかなか賑やかで気が強そうな方で、優しい旦那さんがそれを献身的にサポートしていた。
 それと同じころに主治医がひとりで回診に来る。主治医と会うのは術後初めてだった。いつもわたしは水曜の午前中に主治医の外来診察を受けていたので、きっとこの日も朝からたくさんの患者さんの診察をしていたのだと思う。優しい静かなトーンで調子を尋ねられ、熱のことを伝えると「そうだね、熱があったね。術後の発熱は多くの人が経験するものだから」「寒気はなかった? なかったなら感染症ではないから大丈夫」と笑顔を見せてくれた。ほっとした。

 15時ごろに家族が来る。今日から面会時間が30分に伸びたという。持って帰ってもらうものを頼んだり、他愛のない話をずっとしていた。
 その後はたくさん歩く。早く治したいし、癒着も怖いし、まだ便が出ていない。できる限りのことはしたかった。看護学生さんから「沖さん昨日より元気があるように見えます」と言われ、確かに昨日はずーっとぼーっとしてたし、喉も痛かったなと思い出した。喉の調子も戻っていたし、解熱剤以降頭の痛みも排尿の痛みもなくなっていた。
 夜ごはんを食べた後も歩いた。たくさん歩いたからしっかり寝られるかな? と期待したけれど全然そんなことはなく、何度も夜中に起きたりなどした。向かいの人のいびきがなかなかで、耳栓を持ってきて良かったと心底思った。

6月27日 木曜日 術後3日目(固形食開始)

 古畑任三郎や千原せいじさんのYouTubeショートをよく観ていたせいか、家族がせいじさんを殺すというとんでもない悪夢を見た。検温に来た看護師さんに起こされてそこから解放された。
 斜め前の窓際のベッドの人が「0円のベッドが空いたのでお部屋を移動しましょう」と事務員さんに声を掛けられていた。0円のベッドに移動できるのもうらやましいし、喉から手が出るほどその人のいた窓際に移動したかった。そこにはほどなくして新しく入院する患者さんが入った。

 腸の動きを感じるものの排便はなく、ひたすら水を飲んだ。とにかく暇さえあれば歩いた。プチ潔癖のわたしはシャワーに入れないのがつらすぎて、手術前に食べたものが腹の中にある事実も不潔に感じられて耐え難かったのだ。
 術後でいちばん調子が良かった。ベッドを整えたり、洗濯するものとこれから着られるものを分けたり、アクションワゴンの上に広げたものを整頓したりと、こまこまと動き回った。ごはんも五分粥になり、固形を食べられることに感動した。少しずつ日常が近づいている。

 水のいらないシャンプーで頭皮ケアをしていたら、看護学生さんが来た。彼女は水のいらないシャンプーの存在を初めて知ったようで「確かにさすが無印ですね、いい香りがします」と言った。
 その後、話のなかで彼女から「沖さんのお話はお仕事のことが多いので、お仕事がとっても充実しているんですね」と言ってもらう。無意識だった。その鋭い指摘に、自分がこれまでほんとに仕事しかしてこなかったんだな……と悲喜こもごも。そんなわたしに看護学生さんは「いいと思います。仕事に打ち込むのって素敵だし、わたしもひとりで過ごすの好きです」と笑顔を見せた。でもそんな仕事も、術後はなかなかやる気にならなかった。回復には異常なほど体力を使う。思考に回せる力はほとんどなかった。

12階から地下1階のコンビニまでお水のペットボトル3本買いに行った

 午後に主治医が回診に来て、便秘の件を伝えると夜ごはん用に下剤を出してもらった。「明日の午後に硬膜外麻酔の管を抜こう」とのこと。シャワーに入れないストレスが募っていたため「早い人は今日抜けるらしいけど、わたしは無理か……」とがっかりするが、術後当日にあれだけ痛いと主張していた患者に対してこの措置は当然だよなと思う。硬膜外麻酔のボトルを見ると、まだ少し中身が残っている。使い切るつもりなのだろう。

 夜ごはんはとうとう全粥になった。少しずつ日常生活が近づいていることに気分を良くし、さらに調子が良かった&身体をさっぱりさせたいわたしは、頑張って片手で顔を洗ってみることにした。洗面所まで石鹸と泡立てネットと歯ブラシと歯磨き粉とコップとタオルを一緒に持っていくのが大変で、心の底からスパバッグを持ってくればよかったと後悔した。月曜の朝ぶりに洗顔でさっぱり! ただ洗えなかった間でだいぶ肌荒れしてしまったようだ。案の定点滴は逆流した。
 20時ごろに腸の動きを察知し、これを逃さない手はないとお手洗いに向かった。開腹しているがゆえに力めないため、じっくり慎重に肛門に全神経を集中させる。20分以上経って、ようやく排便があった。こんなに便を見て感動したことはない。泣きそうになった。出てきたものが手術前に詰まっていたぶんだったのか、鉄剤の影響で真っ黒のがちがちだった。

6月28日 金曜日 術後4日目(硬膜外麻酔と点滴の取り外し)

 前日の夜に久しぶりの排便を終えて感動のまま眠りに就くが、夜中に点滴を変えてもらう際に必ず起きてしまう。でも献身的にお世話をしてくれる看護師さんには感謝しかない。要領がよくなければ絶対に務まらない立派なお仕事だと感心しながら、医療従事者になりたいと1mmも思ったことがない自分に恥ずかしさを感じながら、暗闇のなかでてきぱきと作業する看護師さんを薄目で眺めていた。
 いつの間にか眠りに就いていて、朝の採血で起こされる。硬膜外麻酔が切れていたため、ロキソニンと下剤を出してもらった。
 傷の様子をチェックした看護師さんに、腹帯の巻き方について「腹帯を巻いて、それをショーツで押さえるようにするとずれにくいですよ」とアドバイスをしてもらう。看護師さんごとに気が付く場所が違うため、それぞれのアドバイスやコツを聞けるのは有意義だった。看護学生さんからも退院後のシャワー浴の説明をしてもらった。メモを取りながら聞いた。

 隣のベッドの人が退院していた。物静かな人だった。いつ退院したのかも気付かなかった。立てた物音と言えば、泣きながらごはんを食べていたときだけだった。夜も朝も昼も、いつも窓のカーテンを開けている人だった。ずっと眺めていた世界に帰ったんだなと思いを馳せた。
 歯を磨いていると、看護学生さんが今日実習の最終日ということで挨拶に来てくれた。この5日間でいろいろお話をさせていただいて、彼女のことも少しだけ教えてもらったりなどしたので、寂しさから泣きそうになってしまった。
 泣いてしまうのを誤魔化すためにそっけない態度をしてしまったのが今も激しく悔やまれる。とても真摯で、優しさとタフネスと愛嬌のある、素敵な女性だった。彼女ならきっと素敵な看護師さんになれると思う。「陰ながら応援しています」という言葉に、その思いを込めた。

お昼から常食になりました! 麦ごはんとビーフシチューでした。ヘビー!

 14時過ぎからは栄養士さんに退院後のお食事のレクチャーを受け、そろそろ主治医も来るのかな?と思いつつも、待ちきれなくなって病棟を歩き始めると、ラウンジにはパジャマ姿で点滴をさした10代の女の子が、ローランド
のキーボードとiPadで打ち込みをしていた。どんな音楽を作っているのか気になった。
 するとわたしが病室にいなくて踵を返したであろう主治医と鉢合わせした。咄嗟にわたしから出た言葉が「ああ、おはようございます」だった。主治医が少し驚いていた。芸事の世界の挨拶が昼も夜も「おはよう」ならば、医療の世界も時間という概念がないだろうからいつでもその日の初顔合わせの挨拶はワンチャン「おはよう」なんじゃないかと思ったが、そんなことはないようだ。

 すぐさま部屋に戻り、ほどなくして主治医も器具を持ってきた。背中の管を取ってもらう際に「背中に手を入れるので気持ち悪いですよ」と言ってもらったけど、なんならシャワーに入っていない汚い肌を触らせてすみませんの気持ちだった。硬膜外麻酔のカテーテルは、痛みを感じることもなくあっという間にするっと抜けていた。
 主治医は病室の回診時、いつもものすごくソフトで穏やかな調子だった。スポーツで培われたであろう大きな身体で、必ずカーテンを両手で握って覗き込む様子は、無礼な言い方ではあるが可愛らしかった。いらっしゃるかどうかはわからないけれど、きっとお子さんにもこんな感じに接しているのだろう。そして自分がオペをした患者は、子どもとまではいかないが、それなりに思い入れが深くなるのかもしれないなとも思った。
 緩衝材のプチプチのような傷のコーティングを取ってもらい診てもらったところ、傷の治りも良好とのことだった。取ったしこりを見せてほしいと頼むと、写真なら見せられると言ってもらった。予定通り明日退院できる運びとなった。

 退院が決まり、看護師さんから「病棟にいるとわからないと思うけど、最近本当に毎日暑いから、おうちの温度調節に気を付けて」と言われる。退院後の生活でのいちばんの懸念点は、病院のハイテクベッドにあるリクライニングや昇降機能がないことだった。起き上がるコツを教えてもらうと、お腹に力を掛けないように横向きになり、腕で起き上がれとのこと。くしゃみと咳はお腹を押さえてやると痛みが少しマシのようだ。
 硬膜外麻酔が取れて、退院も決まった。それすなわちシャワーに入れるということだ。やった!!! 傷が悪化したらどうしようという怖い気持ち以上に、早くシャワーに入りたい気持ちが数倍も上回った。気持ちいい! うれしい! こわい! 気持ちいい! 気持ちいい! 気持ちいい! こわい! うれしい! という気持ちのまま初めてのシャワー浴を終えた。

傷を洗うときめっちゃ緊張した

 興奮と緊張が入り混じる久しぶりのシャワー浴で体温が上がり、ほっかほかのゆでだこ状態になった。首が詰まったパジャマに着替えたため、汗が噴き出てくる。便も順調に出ているが、そういえばちょっと軟便が続いていた。夜に看護師さんに便の状態を問われ下痢だと伝えると、下剤をやめたほうがいいかもと言われる。もう夜の分も飲んでしまった後だった。
 すると夜中が大変! 汗をかいたあとの身体の冷えも相まって、お腹を下しまくってしまった。何度も何度もトイレに駆け込み、初めてカーディガンを引っ張り出して羽織り、さらにはずっと足元に追いやっていた掛け布団もかけた。それでなんとか朝4時に寝ることができた。

6月29日 土曜日 術後5日目(退院)

 下痢に悩む朝。だが身体をあたためたら幾分かマシになった。検温をすると平熱だった。
 同じ部屋の人が前日に手術を受けたようだが、腹腔鏡手術だったようでわたしなんかより断然回復が早かった。ケロっとした調子で歩いていて、さらにはもうごはんも食べていて、うらやましいことこの上なしである。
 土曜かつ月末なので、病棟が閑散としていた。ゆっくりと顔を洗い、朝ごはんを食べたあと荷づくりを始めた。結局0円の部屋は空かないまま、わたしは3300円の部屋で7日間を過ごした。でも結果的には良かったかもしれない。窓際でないのが悲しかったが、4つのベッドのなかでいちばんスペースも広かったし、扉の動きは目に入らなかったためラッキーだったと思う。移動も面倒だし、住めば都というやつだ。

 入院時に着てきた服に着替えてカチャカチャと動いていると、その音を聞いていた向かいのベッドの人から、カーテン越しに「あらあなたもしかして退院なの?」と声を掛けられる。お向かいさんは漏れてくる会話からもおしゃべり好きであることが窺えたため、これまでも顔を合わせると挨拶に世間話を交えたり、夜中も痛い痛いと苦しそうだったときにわたしから声を掛けたりなどしていた。
 「寂しいわね」と言われて、お互いのカーテン越しにこれまでにはしなかった話をした。もうおひとりの同じ病室の方には少しご迷惑を掛けているなと恐縮しながらも、この会話は必要だと判断したため話を続けた。お向かいさんはかなりハードな治療を続けているようで、壮絶な治療工程にどう返答していいのかわからなかった。それでもお向かいさんはカラッとしたたくましい雰囲気があって、昭和の女の強さを目の当たりにした。「旦那さまお優しそうですね」と言うと、照れながらまんざらでもない様子だったのが、とても微笑ましかった。

 看護師さんがその人の元に来たタイミングで、わたしも家族が迎えに来た。最後にその人とちゃんと顔を合わせて「○○さん、陰ながら良くなるように祈ってます」と初めて名前を呼んでお別れをした。きっともう会うことはないと思う。でもどうか健やかな気持ちで末永く生きてほしいと思った。旦那様と一緒に。

 閑散としたナースステーションに挨拶をして、岐路を辿った。家にひとり、ダイニングの椅子に腰掛けたら、目の前に広がる日常と病棟での7日間の記憶、この10年以上悩み続けた症状、子宮全摘を言い渡されたときの傷心、2ヶ月かけて子宮全摘を決意した苦悩、無事子宮を温存して帰宅した安堵感などがない交ぜになって、涙がぼろぼろと出てきて止まらなくなってしまった。
 病棟で過ごした7日間はなんだか非現実的で、例えが合っているかわからないが、不思議の国のアリスは不思議の国に迷い込んだときにこんな気持ちだったのだろうかと思った。全身麻酔をして身体にメスを入れて、皮膚を切り、脂肪を切り、筋肉を切り、内臓を切るなんて、神秘的すぎる行為だ。いくら子宮筋腫とはいえ、途轍もない経験をしたと噛み締める。

退院後ももう少し外来は続く

 10cm超えのお腹の傷は死ぬまで残るだろうけど、きっと傷痕を見ればこの7日間のことを思い出す。カーテン越しに聞いた鼻をすする音、同じ病室の人との会話、看護学生さんの笑顔、看護師さんの美しい仕事ぶり、新人看護師さんの奮闘ぶり、主治医の手術前の真剣な空気感と手術後の優しく包み込むような包容力、術後の痛み、全身麻酔にかかったときの感覚など、病棟で過ごしたすべてがこの傷とともに身体に刻まれる。
 とはいいつつ、二度と開腹手術はしたくないですけどね。笑 着々と老いていくアラフォー、イカしたババア目指して健康に過ごしたいものです。

 次回、退院生活編!

最後までお読みいただきありがとうございます。