自分で生み出すこと

 8月30日に右目を、9月1日に左目を痛め、両目が不自由な時期が10日間ほど続きました。目が不自由だとできることがなにもなくて、ただただ布団に寝っ転がって、金属バットのYouTubeラジオ「金属バットのラジオバンダリー」を聞いていました。

 金属バットの軽妙で愛嬌のあるトークは、ワードセンスもあってどこかアーティスティックで、わたしも言葉を扱う者の端くれとして非常に刺激的な時間でした。ふたりの声はキャラが全然かぶっていないのに相性が良くて、テンポもぴったり。ヴィジュアルや佇まいにも華がある。ひたすらにしゃべくりだけで突き進むところもポリシー感じる。漫才をやるために生まれてきた、とても才能のある人たちだと思います。最近ちょっと炎上してますが。

 芸人さんは上が詰まっているので、わたしと同世代の金属バットでさえ若手扱い。そしてわたしがいるライター界も、芸人さんと同じく上の世代(40~50代)がとても元気な業界です。両目が見えなくなり、一気に仕事ができなくなって、自分の状況を落ち着いて考えていくうちに「ずっとこの仕事をしていきたいと思ってなんとかしがみついてきたけれど、プロになって9年以上経って、わたしはいまだに渋滞にはまっているぞ。このままでいいのだろうか?」とぼんやりとした不安を抱くようになりました。

 そんなことを考えているときに、とあるバンドマンさんから「沖さんはもっと表現者でいいんじゃないですか?」「小説を書いてみたらどうですか?」と言ってもらいました。それをきっかけに見様見真似で小説を書くようになり、少しずつ「自分で生み出すこと」の面白さに気付いてきました。

 ライターの仕事は「作品ありき」のものばかりです。自分の正直な気持ちを綴ってはいますが、なによりも作品/アーティストさんを主役にした記事にすること、読者さんが想いを寄せられるスペースを作ることを心がけています。原稿が自己表現の場だとは捉えていません。あくまで裏方でいたいと思っています。それはこの先も変わらないでしょう。

 小さい頃から悪目立ちしてしまうタイプだったので、「お前なんかが」とあざ笑われることが怖く、とにかく息を殺して生きてきました。ずっと黒子のように裏方としての職務をまっとうしたいと思ってきました。でも「自分が主役になる場所を作ってみるのもいいんじゃないか?」と思える勇気を、目を傷めてからのいろんな出来事からいただいた気がします。仕事がそれほど詰まっていないことも功を奏したようです。

 小説も新しいものをひとまず書ききりました。ですがこれまで書いた2作よりも実話成分が少ないため、より細かく情景や心理描写をしていかないといけないな、と思っているところです。美少女アシスタントのASHIさんと話し合って、音声配信第2回も今日録音することにしました。来年秋のライブイベント開催のためにライブハウスを仮押さえしました。来年の春あたりまでに個人的なzineを作ってみようかなと思っています。

 ワンタンマガジンも水面下でいろいろと動いています。今日はエッセイ「就職できなかったフリーランスライターの日常」の最新回をアップしました。テーマは「夢追い人のバイト問題」です。

 仕事は〆切の近いレビュー1本とライブレポート2本があって(時間的にだいぶぎりぎりになってきてやばい正直こんなnote書いてる場合ちゃう)、今週はインタビューも入っています。いつもよりゆったりペースだけど、少ないということは「ほかにやるべきことがあるぞ」というお達しなのかな、なんて思っています。

 これは自惚れでもなんでもないのですが、1ヶ月前の自分が書いたとある記事を昨日読んでいたら、他人事のように「すごくいい記事だな」と感動しました。それでもわたしはいまだに無名だし、仕事もそれほど多くない。わたしはずっと待ちの姿勢を保ちながら自分を鍛えてきたけれど、ワンタンマガジンを5年前に立ち上げたときのように、自分から事を興していく必要があるかもしれないなと思ったのでした。

 もちろんライターとしてこれからも頑張っていきたいので、自分の美学やポリシーはもっともっと精度を高めていく所存です。いろんなことをやってみる意欲が湧いているのは、シンプルに「やってないことやってみたいな」「面白そう」という好奇心と、ライター業への還元のためという気がしています。

 というわけで、ぬるっとやんわり見守っていただけたら幸いです。かしこ。

最後までお読みいただきありがとうございます。