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マルチーズの小雪さん

 マルチーズを飼っていました。名前は小雪。1月生まれの白毛種の小型犬だからという理由で名付けられました。

 小雪と出会ったのは、静岡に住んでいる頃にたまたま行ったホームセンター。母と「可愛いね」と話していたら、店員さんが「ちょっと抱いてみますか?」と声を掛けてくださいました。せっかくなのでお願いしてみたら、小雪は肩にしがみつくように俊敏に肩へとよじ登ってきました。

 その様子はなにかにおびえるようでもあり、助けてと訴えているようでもありました。その様子に居ても立っても居られなくなった母は、突発的に小雪を飼う決断をしました。

 お値段は8万円でした。ついこの前まで12万円だったところ、値下げをしたそうです。その理由を店員さんはこう言いました。

「本当は12万円のお値段でお買いになったお客様がいらっしゃったんですけど、3日後に返却なさったんです。その理由が、鼻の一部が白いからで」

 よくよく見てみると、小雪の黒々した鼻の穴の横に小さく、ごまつぶくらい白い箇所がありました。そんなことまったく気にもしなかった我々は、小雪を迎え入れることを決めました。

 小雪はとても利口で、トイレの場所もお手とおかわり、待てもすぐ覚えました。身体能力に長けていて、よく走り、よく跳ぶ子でもありました。小さい身体でありながら力も強く、気も強く、だけど無駄吠えはしない。性格はクールで、びびりのくせに我慢強い。すぐに我が家に馴染みました。雷が苦手で仕事をしてるわたしの膝によく飛び乗ってきました。

 小雪が家に来てから3ヶ月くらいした頃、母が彼女の顔を見て「あれ?」と言いました。鼻にあったごまつぶサイズの白い箇所がなくなっていたのです。「小雪はうちに来るために白ごまつけてたのかもね」と言って笑いました。

 肝臓が生まれつき弱い小雪でしたが、大きな病気やけがをすることなく、2018年1月に14歳になりました。わたしが幼少期に死んでしまったマルチーズが他界した年齢。耳が遠くなってきたのか、雷に怯えることもなくなり、よく寝るようになりました。足腰が強いとはいえ心配なので、寝床であるベッドに行くまでに階段を作りました。階段をとんとんのぼる姿は元気そのものでした。

 その年の夏あたりから、咳をすることが増えました。最初はなにかが引っ掛かっているだけなのかと思いきや長引くので、病院に連れて行ってみると、心臓が腫れあがっているため起こる咳ということがわかりました。治す方法はなく、食い止めるための薬を飲むしか方法はないとのことでした。

 そこから投薬の日々が続きました。目が合うたびに頭を撫でるようになりました。そのたびに「長生きしようね」と語り掛けました。小雪はすごくこちらの顔をまっすぐ見つめる子で、そのたびにまんまるの目でこちらに視線を送ってくれました。階段もとんとんのぼるのに、毛を解こうとすると唸って文句を言うのに、こんなに元気そうなのに重病なんて。心のなかが鉛でいっぱいになるように気持ちが重かったです。

 2019年1月、15歳を迎えました。長生きしようね、というと、まんまるの目でこちらを見つめてきました。

 2019年3月の頭に、小雪より1年早く我が家にいたミックス犬の球虎(たまとら)がこの世を去りました。球虎もいろんな難病を抱えてなんとか生きてきた子でした。ちょうど咳がほとんど出なくなってきて、調子がいいみたいだね、球虎のぶんまで小雪も生きようね、と話していたところでした。

 3月24日から、小雪がごはんを食べなくなりました。なんでだろう? 咳も止まっているのに。25日も食べなかったので、26日、母が病院へ連れていくことにしました。わたしはライブ取材でした。取材が終わってすぐ母へ電話すると、「薬の効果が腎臓に追いついていない、もう先は長くないだろう」とのことでした。

 考えてみれば、小雪の尿はここ2週間ほど透明でした。小さい頃からよく水を飲む子だったので、多飲にも気付きませんでした(透明な尿と、水を飲む量が増えるのは腎臓の悪化のサインだそうです)。今年に入ってから腎臓のケアもしていたとはいえ、気付くのが遅かった。自責の念にかられました。

 「これでちょっと元気になって、ごはんを食べてくれたらいいんですが」と先生が言い、点滴を打ってくれました。小雪はいつも美味しく食べるえさを前にしても、ぷいと顔を背けてベッドに戻ってしまいました。

 それから出来る限り付き添うことにしました。27日の夜中、小雪は完全に意識を失いました。ああもうだめかもしれないと思っていた28日の朝、小雪は急に飛び起きました。いつもと同じように真ん丸の目から発せられる強い眼力でこちらを見ていました。また点滴を打ちに行きました。でもごはんは食べませんでした。

 29日までもってくれたら、と思っていました。だからまさか母の誕生日である30日も、4月も迎えられるとは思ってもみなかったです。新元号の発表を見ながら「小雪は令和を迎えられないのか」と思うと、痛烈な寂しさが襲ってきましたが、いまこうして頑張っているのに小雪に失礼だなと思い考えをあらためました。

 付き添う1週間で、1日に数回、小雪はベッドから降りようとしました。よたよた歩きになりながらも、自力で用を足そうとし、そのあとに家のすみずみまでルームツアーをするのです。これが彼女のルーティーンでした。そういえば彼女はいつもわたしの部屋にもよく顔を出してくれていました。もちろんよたよた歩きでわたしの部屋にも足を運びました。これがきっと彼女の娯楽だったんだろうなと思うと、涙がぼろぼろと零れてきました。

 相変わらずごはんは食べず、かろうじて飲んでいた水も飲まなくなりました。寝ながら用を足すようになりました。ルームツアーもしなくなりました。

 4月2日、わたしは夕方にインタビュー取材が入っていました。終わるや否や母親へ電話をしたら、小雪の耳に受話器を当ててくれました。「小雪、よく頑張ってるね。あと少しで帰るから待っててね」と声を掛けました。母によると、それを聞いた小雪は、痙攣ではなく首を動かしたとのことでした。

 それから20分経つか経たないかだったと思います。電車に乗っていたわたしのもとにメッセージが入りました。弟からでした。小雪が息を引き取ったという連絡でした。自然と涙が溢れてきて、満員電車のなかわたしは静かに泣きました。

 母は「さやこの声を聞いて安心したんじゃないかな」と言っていました。帰ってきたと錯覚させてしまったのか。だったら声をかけるんじゃなかったかな、なんて思ったけど、彼女が安心できたなら、自分の気持ちなんかよりそれがいちばんだなと思いました。言葉のとおり、眠るように息を引き取ったそうです。

 小雪も球虎も、最後の最後まで生きようとしていました。10日もごはんを食べないで、腎臓も心臓も悪いのに、あんなに小さな身体で生きたなんて、気力というものの強さを感じずにはいられませんでした。たぶん、一緒に痛いと強く思ってくれたんだと思います。

 小雪が死んでしまってもうすぐで半年経とうとしていますが、いまも普段の生活で「こんなところに食べ物置いといたら小雪が食べちゃう」なんて思ったりもします。小雪の写真を見ると涙がこみ上げてきます。でもそれだけ大事な家族だったんだなとあらためて痛感します。つらいのは幸せだった証拠とはよく言ったものですが、間違いないのでしょう。

 あの時あのホームセンターに行っていなければ、そこで店員さんが「抱いてみますか?」と声を掛けてくれなければ、小雪が我が家に来ることはなかったでしょう。わたしの人生はまったく違うものだったと思います。

 いまもパソコンデスクからふと目を離したところから見えるベッドで、小雪が寝ているような気がします。最期の最期まで気高い子でした。わたしの自慢のペットです。

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