(劇評)踊りたいんだ、僕は

アクラム・カーン カンパニー『Chotto Desh チョット・デッシュ』の劇評です。
2018年8月17日(金)14:00 金沢21世紀美術館 シアター21

撮影:池田ひらく 写真提供:金沢21世紀美術館

 これが僕のやりたいこと。
 君のやりたいことは何?
 アクラム・カーン カンパニーの『Chotto Desh チョット・デッシュ』は、満面の笑顔でそう問いかけてくるような作品だった。

 何も置かれていない黒い床。背景は灰色の壁面に白いもやのようなものが描かれている。そこに、アクラム(8月17日出演:ニコラス・リッチーニ)が携帯電話で話しながら登場する。アクラムをはじめ登場人物の声は、日本人の俳優が日本語で演じたものが流される。困った様子が強調された動きで、アクラムは訴える。彼の携帯のカレンダー機能が壊れてしまい、サポートセンターに電話しているのだ。彼がいるのはロンドンだが、電話はなぜか、彼の父親の故郷であるバングラデシュにつながっていた。しかも、電話の相手はジュイという12歳の女の子。
 ユニセフのサイト( https://www.unicef.or.jp/children/children_now/bangladesh/sek_ba5.html )によると、バングラデシュの大都市では、35万人の働いている子ども(10〜14歳)がいると推定されているそうだ。子ども達の労働条件は悪く、賃金も低い。ジュイの登場で、バングラデシュの抱える大きな問題がそっと顔を見せている。
 彼女は故障を直すために携帯電話のパスワードを尋ねるが、アクラムは思い出せない。もしかするとそれは、幼い頃に好きだったお話の登場人物だったかもしれない。

撮影:池田ひらく 写真提供:金沢21世紀美術館

 アクラムは、雑踏の音に包まれる。あちらこちらからやってくる、車や人を彼は避けて動く。そこは記憶の中のバングラデシュ。小さな頃、お父さんに連れて帰られたのだ。アクラムのお父さんは、バングラデシュの村でコックをしていた。
 アクラムは何かを取り出し、自分の頭頂部に線と丸を描く。そこに人の顔が現れた。アクラムのお父さんだ。頭を下げたまま動かすと、描かれた顔が本当にそこにある顔のように見える。巧みに動かされるアクラムの頭は、スムーズな動きでコミカルに、父親の姿を表現する。

撮影:池田ひらく 写真提供:金沢21世紀美術館

 頭に描かれた顔を拭いて、アクラムは舞台下手から小さな椅子を持ってきた。でも椅子におとなしく座りはしない。高い身体能力で、椅子の周りをぐるぐる回ったり、飛び越えたり。落ち着きがないアクラムに、父親は困りはてている。でも、祖母がお話を聴かせてくれるときだけは、アクラムは椅子に座ったのだ。
 祖母のお話は、アクラムに似た少年、ショウヌの物語。たくさんのみつばちが生息する不思議な森へ、お腹が空いた彼は、父親の言いつけを破って蜜を取りにいく。
 不思議な森の物語は、白い線で描かれたアニメーションで表現される。背景に映し出された幻想的なアニメーションと、アクラムの動きが見事に融合する。舟に乗り森に着き、道を進み蛇や象に出会い、木に登り、みつばちの巣から蜜を取る。アクラムは本当に森の中を探検しているかのようだ。

撮影:池田ひらく 写真提供:金沢21世紀美術館

 大きくなったアクラムは、部屋でダンスの練習に夢中。仕事を手伝わない彼を、父親は叱る。大人になりなさいと。現実を見なければならないと。再び映像が映し出される。大きな戦車が彼を威嚇する。彼は伏して命を請う。怒りを露わにする多くの人々。彼は恐怖を体験する。
 この夏に、バングラデシュの首都ダッカでは、無免許のバス運転手による事故に端を発した、中高生による抗議活動が起こった。( http://www.bd.emb-japan.go.jp/itpr_ja/anzen010818-2.html )そこでは抗議活動を行った学生への攻撃が行われている。アクラムの体験した恐怖は、夢の話ではないのだ。

 アクラムが再び持ってきた小さな椅子と戯れていると、下手よりアクラムの背丈を越える、車輪が付いた大きな椅子が現れる。大きな椅子に跳び登り、椅子の上でポーズを取るアクラム。
 小さな椅子は、子どもの頃を。高くて遠くまで見渡せる大きな椅子は、大人の世界を意味しているのだろう。アクラムは、大きな椅子に乗れるくらいに成長した。社会で起こっている事も知った。自分の後を継いで欲しい父親の気持ちもわかっている。その上で、アクラムは何を選んでいくのか。
 アクラムは、動く椅子とぐるぐる回る。ただただその動作が楽しくて仕方ないというふうに、椅子と踊る。大きな世界を相手に踊る。そして彼は一人で踊ってみせる。卓越した身体能力と技術を活かしながら、そのダンスは自然でまっすぐだ。彼のダンスには、心からの願いが体現されている。踊りたい気持ちがあふれ出して、周囲に温かく溶け出して、空間に伝わっていく。

撮影:池田ひらく 写真提供:金沢21世紀美術館

 みつばちの巣を落としたショウヌはどうなったのか。森の神様が彼を助けてくれたのだ。そしてアクラムも。アクラムが思い出した携帯電話のパスワード、それは森の神様の名前だった。

 客席では、ヒップホップなどのダンスをやっている子どもも多く観ていた。もしかしたらその子どもたちには、自分が今踊っているダンスの先にある光景が見えたかもしれない。ダンスには縁がなかった子どもも、興味を持ったかもしれない。アニメーションに惹かれた子どもがいるかもしれない。子どもたちの可能性を『チョット・デッシュ』は刺激したはずだ。そして大人たちには、日頃忘れがちな想像力を見せてくれた。いや、大人にだってまだまだ可能性はあるとすら、感じさせてくれた。
 何かやりたいことがあるのなら、まずは体を自由に動かしてみればいい。いつかその動きはさまざまな何かと出会って、形になって夢へとつながっていく。ダンスと舞台と音と照明とアニメーションが出会って、『チョット・デッシュ』が生まれたように。もし未来に、自分のやりたいことも自分のいる場所もわからなくなるようなことが起きたって、平気だ。『チョット・デッシュ』の、力強く夢を誓うダンスを思い出すことができたなら。

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