(掌編)雨あがり

 油断した。雨はあがったと思っていた。買い物の帰り道、ぽつりと雨が一滴、頭にあたった。気づいてからは早かった。雨はどんどん強くなっていった。家まではまだ歩かねばならない。走っていける距離でもない。
 たまの休みなんだからと、歩きに出てきてみたのにな。カフェで新商品を飲んで、書店で本を見て、おいしいパンも買えたのに。濡れないようにする努力はもう放棄していた。普通の速度で歩いていた。服に広がっていく染み。髪からしたたる滴。顔を伝う水。きっと中も濡れている鞄。なにもかもが不快だ。なんてついてないんだろう。
 「どうぞ」
 急に右側から声が聞こえた。そちらに目を向けると、ビニール傘、とそれを差し出している背広姿のおじさん。彼はビルの前の入口に立っている。えっ? 私に?
 「私はここでもう使わないから、返さなくていいです」
 「でも」
 「濡れて帰るのは大変でしょう」
 その言葉を聞いてはっとした。私は、不快をそのまま顔に出していた。きっと酷い顔をしていた。雨に降られただけなのに、なにもかもうまくいかないみたいに思い込んでいた。そんな私のかもしだす嫌な雰囲気に、おじさんは気づいて、しかも親切にしてくれたのだ。
 「あ、ありがとうございます!」
 ビニール傘を受け取る。おじさんはちょっと笑って、ビルの中へ入っていった。その後ろ姿を見送って、傘を広げる。そして、歩きだす。
 家まで、安心して歩いていけそうだ。私の顔も、少しは元に戻っただろうか。さっきまでの楽しかった休日の顔が、戻ってきただろうか。そう思ったときに気が付いた。雨は止んでいるのではないか。傘を小さく叩く音がしなくなっていた。道路の水たまりは静まっている。向こうの空は水色を見せている。
 でも、まだこの傘をさしていたい。そんな気持ちだった。

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