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【コロナ感染】自分だけはかからないと思ってた

(このブログは8月2日に作成し始めたものです。よって現状が前後しています。8月2日に起きてることとして、認識していただければ光栄です)

皆さんこんにちは!sayakaです。

最初の挨拶どうこうの前に、読者の皆さんはタイトルで「え?」ってなったのではないでしょうか(笑)

はい、タイトルの通り、新型コロナウイルスにかかってしまいました。日本で流行り始めて一年以上が過ぎ、さすがに今までコロナにかからずここまでコロナ禍の中を生きてくると、「本当にコロナなんてないんじゃないか?」とか、「私は絶対かからないわ」とか、そういった謎の自信が出てくるんですよね。実際コロナ禍の中で旅行も行ったし、たくさん出かけました。

「絶対私はかからない」

そう思っていたけど、ワクチンが出始めたこの時期にかかってしまいました。正直、とっても悔しかったし、精神的なダメージが凄かったです。

感染経路は大体分かったけど、別に人がいっぱいいる居酒屋やクラブに行ったわけでもないし、東京で拾ったわけでもない。たまたま友達とご飯に行って、多分そこでもらってきました。そこで思ったのは、、、

確かに消毒、手洗い、うがい、いろいろ気をつけていればかからなかったかもしれない、けど、それでもかかるかもしれない可能性も十分にあるってこと。むしろ、かからない方が奇跡なんだなぁ、、、と思ってしまいました。ここで、出かけている限りコロナにかかってしまうのは仕方ないこと、避けては通れないこと、であるということに気付きました。いや〜まさか自分がかかるとは思わなかった、、、危機感がたりなかったわ。でもかかるひとは「みんな」そう思うみたいですね。

現在発症して8日目くらいで、ホテルにて隔離生活をしています。
あと2日間くらいでホテルを退室して、日常の生活に戻れるんですが…今までが、色々と壮絶すぎました。本気で「死にたい」って思う時もありました。これは割とガチで。でも身体的なキツさではなく、精神的なキツさがどんどん私を苦しめました。

今日はその話をしていこうと思います。

【土曜日】いつもとは違う体のだるさで起床。でも仕事の掛け持ちをしていたので、体の疲れが出てしまったのかなって思ってしまった。熱は測らず、その日は買い物をしたりした。(ここがいけなかった、、、みんな、熱が出たらすぐにコロナを疑おう!)

【日曜日】まだ熱っぽかったので体温測ったらまさかの37.2。でも微熱だし、そんなに気にしてなかった。保健所から濃厚接触者の連絡もなかったし、コロナだとは疑わなかった。(自分と数日前にあった人がコロナ陽性だと、濃厚接触者として保健所から連絡がかかってきます。)

【月曜日〜火曜日】微熱が続き、とにかく身体の怠さが凄かった。しかし、それでもまだコロナを疑わず、ずっと在宅ワークをしていた。本来なら真っ先にPCRを受けて、ホテル隔離をすべきだったのが…私はアホだった。「自分だけは違う」という先入観で、物事を判断しちゃいけないと学んだ。

【水曜日】金曜日に一緒にご飯を食べた友達から「陽性だった」と連絡が来た。その時の恐怖はもう忘れない。自分が疑いもしなかったコロナになっているかもしれない、、、と震えたし、ほぼ確信した。この数日間、コロナ菌を持ったまま家族と接していたということに、恐怖を覚えた。「家族がコロナにかかって死んだら全部私のせい」罪悪感と責任感が押し寄せてた。すぐさまPCRの予約をした。

【木曜日】PCRを受け、結果を待っていた。私は自分の部屋で隔離され、味覚がなくなっていくのを感じた。一人でこの恐怖と向き合いながらPCR検査の結果を待っていると…「陽性」という二文字のメールが届き、コロナは確定だった。消えていく味覚を体験したことにより、頭の中では分かってはいながらも実際に陽性であることがわかると、非常にショックだった。大袈裟に聞こえるかもしれないが、まるで余命宣告を受けたかのような感じ。これは自分自身、コロナウイルスを他人事だと思っていたからだと思う。テレビの中で起きていることが私の身に起きた悔しさ、恐怖、不安、いろんな感情が混じって頭の中はパニック。でもやはり一番精神的にキツかったのが「家族の心配」。おばぁちゃんを含め、家族全員と住んでいたから私のせいで家族が全員「濃厚接触者」になってしまった。濃厚接触者になると、最低でも二週間は自宅待機をしなければならない。親は仕事できないし、妹や弟も夏休みの予定を全部キャンセルしなければならなかった。謝っても謝っても事実は変えられないし、申し訳なさでいっぱいでいっそ死んでしまいたいという感情にも駆られた。

正直、自分自身がコロナにかかったのは仕方ないし、謝る必要もないと思う。ただ、かかったのは自分。この時、謝る必要はないんだと頭では思いつつ、申し訳なさのあまり、私は謝ることしかできなかった。

味覚嗅覚が皆無の状態で、恐怖と向き合いながら過ごした夜。「もう二度と家族と一緒にご飯が食べれなくなったらどうしよう」これまた大袈裟に聞こえるかもしれないが、私は号泣しながらこういうことを考えていた。みんなで平和に過ごせること、ハグができること、一緒にテレビを見ながら食事ができること、、、当たり前だと思っていたことが全部愛おしくなって、遠い過去に思えた。そしてそれができなくなったのは全部私のせい。もう気が狂いそうだった。

【金曜日】不安だったので私は「ホテル隔離」を申請。家族もその方が安心だろう。しかしこの日、私の母親が発熱をしてしまい、PCR検査を受けたら「陽性」だった。一番恐れていた心配が現実になった。幸い、軽症で深刻な症状にはならなかったが、仕事はもちろん休み、怖い思いをすることになった。不幸中の幸いは、私と母親以外は陰性で、健康体であることだけ。


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これ以降、私と私の母は10日間のホテル隔離をされ、軽症で済んだので予定通り自宅に戻ることはできた。家族も二週間の自宅待機を終え、今はみんな仕事やら学校やら、通常の日常に戻ることができた。私と母は軽症だったので、本当によかった。

まさに不幸中の幸い。重症者が増えている中、軽症ですみ、今まで通りの日常を送れていることが奇跡であると思う。ここで私は「日常が奪われる恐怖」を改めて味わった。普段、何気なく過ごしている日常。そんな日常がいきなりなくなるなんて、想像もしたことがなかった。けれど、今回の隔離生活やらを通して、日常なんて簡単になくなっちゃうものなんだ、と確信した。だから、コロナを通して今ある日常に感謝しよう、今ある時間を大切にしようと学んだ。

現在感染者が莫大に増えていますが、私は決して他人に「外へ出るな」とは言わない、というか言えない。強制はできないのだ。どうしても出なきゃいけない人もいるし、私も外出はしていたので、、、しかし、やはりここまでくると「自己判断」というものが大事になってくるんじゃないかと思った。メディアの情報を信じるか、信じないかも自己判断。だって政府がロックダウンをするわけでもないし、決して政府の口から出る情報が全て真実だとも思えない。「じゃあ、どうすればいいんだ」そう思うかもしれないけど、「でも、こうするしかないんだ」と自分で自分を守る方法を決めなきゃいけない時代になってしまったんだ。

みなさんどうかコロナには気をつけて。


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