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日本社会におけるハーフでいることの大変さ

皆さんこんにちは。Sayakaです!今回の記事は「日本社会におけるハーフでいることの大変さ」について述べていこうと思います。私は生まれも育ちも日本ですが、父親がアメリカ人で母親が日本人であるため、日本の世間一般でいう「ハーフ」という分類にカテゴライズされながら生きてきました。日本にいれば「ガイジン」と言われ、アメリカにいてもアメリカは私の母国ではない。私は長年自分の居場所を感じることができず、ずっと中間で生きている存在、要するにどちらの国においても「半分的」な存在であると、そんなアイデンティティーの葛藤をしながら今まで生きてきました。現在の日本社会はある程度「多様化」し、国際結婚も増えたため、ハーフはそんな珍しい存在ではなくなりました。しかし、アイデンティティーの葛藤や、日本社会において様々な面で辛い思いをしているハーフは、少なからずまだいると思います。そのように、少しでも悩んでいる人の救いになれたらなと思い、このブログを作成しようと思いました。

この記事には自分がハーフとして今まで生きてきて感じたこと、経験したこと、全て述べていこうと思います。自分が思うことを文字化することって本当に難しくて、文字でうまく相手に伝わるかどうか不安になってしまって、かつブログになると多くの人が目にすることになるから躊躇してしまって、、、、なかなか記事を作成することには勇気が出なかったのですが、実はこの内容に関する記事はずっと前から書きたかったので頑張りました(笑)自分の人生経験をもとに、自分の観点から自分のアイデンティティーについて述べるので、納得できない人や反論を述べたがる人もしるかもしれません。しかし、この記事によって救われる人も、多くいると思うんです。私がハーフでいることに対して悩んでいた幼少期の時に、この記事を読んでいたらどんだけ救われたであろうか、と、そう思うからです。だから、しっかり書こうと思います。良かったら読んでください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー✴︎私はハーフという表現方法は嫌いだが、多くの日本人はきっとダブルよりハーフという言葉に聞き慣れているし、理解もしているから、今回の記事ではハーフという言葉を使おうと思います。仕方なくね。✴︎

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まず、私は日本人とアメリカ人のハーフである。祖父がオランダのアムステルダムで生まれたので、正確にいうとアメリカ人ではなくオランダ人ではあるが、祖父はのちにアメリカ国籍を取得したのでアメリカ人と日本人のハーフである。

そして私は白人とアジア人のハーフであるため、日本社会的に「日本人らしい」顔つきをしていない。(もう顔つきなんてどうでもいいのにね)よって、自分と初対面の人に会うと99.9%「ハーフ?」と聞かれる。もうこれは自己紹介の一環であり、定番だ。否定はしない、気になるもんね。そこからエスカレートして......

「英語は話せるの?」「父親母親どっちが外国人?」「親同士はどうやって出会ったの?」「ぱっと見、外人っぽくないね!」「えーすごいい!」「羨ましい!」

.....。

ハーフというだけで相手は次々と個人的な質問を聞いてきたり、特別扱いをしだすのだ。そこで私は心の中で相手に叫ぶ。じゃあ逆に日本人が日本人に見えなかったら「日本人っぽくないね!」なんて言わないでしょう。ハーフじゃなかったら「親同士はどうやって出会ったの?」なんて軽々しく聞けないでしょう。失礼だ!!

ハーフというだけで、、、容姿が周りの過半数の人たちと少し違って目立つだけで、、、なんで私はこんなに特別扱いを受けなければいけないのだろう。私は幼少期から、ずっと隠れた言葉の差別に苦しんできた。相手は悪気がないのはわかっているし、もはや差別だとすら思っていないのもわかっている。でも、私はずっと何気ないハーフに関する発言に苦しんできたのだ。一番辛いのは、自分は日本生まれで日本育ちの日本人であるのに、日本人であると認められないことで、ずっとハーフという分類にカテゴライズされてしまうことだ。お父さんはアメリカ人かもしれないけど、私は日本人でもあるのだ。日本のパスポートを持っているし、日本語が母国語だ。自分は日本人なんだよ!!でもそのアイデンティティーをぶち壊すような環境が常に周りにあった。外人と呼ばれたことも、何度あったか。いくら「私は日本人だよ!」と主張しても、理解してくれない人すらいた。悔しかった。そんなアイデンティティーの葛藤を私は物心つくころから感じていた。

今から自分の人生のステージを4つに分けて、ハーフとして経験したことを述べていこうと思う。「幼稚園」「小学校」「中学校高校」「大学」の4つのステージに分ける。個人的な話であるので、嫌な人は読むことを飛ばしても良い。ただ、私と同じような経験をしている人は、他にもいるのではないかと思う。

.....

ステージ1「幼稚園」

私の地毛はアフロのような天然パーマで、髪色がほぼ赤毛であったため容姿が目立ち、幼稚園ではよくクラスメイトから言葉の暴力を受けた。「外人外人!」と呼ばれたことは当たり前であったし、髪の毛をいじられることは日常茶飯事だ。この時から私は自分のことを「周りに馴染めない存在」と認識していた。心細かったし、辛かった。寂しかったし、そんな惨めな自分が嫌いであった。「なんで私だけ周りと違うの」と親に聞いたことは、今でも覚えている。でも私はただ周りの子と同じようになりたいだけだった。同じ髪色、同じ肌色、周りとすべて同じなら、こんな寂しい思いもしなくていいのに、、、そう思う日々だった。幼稚園の外でも、幼いながらも他人の視線には敏感だった。少しでも視線を感じると、「私は周りと違うからだ」と思い込んだりしたし、親と歩いていて「お子様はハーフ?羨ましい〜」と言われると、言った本人は悪気はないし、褒めているはずなのに私はバカにされているように感じた。私は幼少期から自分がハーフでいることにコンプレックスを感じていた。

「自分はいつ、日本人になれるんだろう」日本人なのに、私は自分が何者か、ずっと悩み苦しんでいた。私は幼稚園の時の自分に言ってあげたい。「あなたは日本人だよ」と。

ステージ2「小学校」

小学校にあがると言葉の暴力は加速していった。そして私が恐れていた「いじめ」がはじまったのである。私は小学一年生の時から六年生までの六年間を通して、いじめられていた。よく六年間学校をやめずに耐えたと思う。そんな六年間いじめられるわけ、、、と思うかもしれない。けど、事実なのだ。私は、ひたすらいじめられ続けた。あまりにも小学校は地獄であったため、実際のところ小学校の頃の記憶はあまり残っていない。本当に嫌なことが起きると、その時の記憶が頭からぶっ飛んでしまうというのは事実なのである。いじめの内容は詳しくは書かない。けれど、私はこれだけは覚えている。毎晩泣くようなことが多々あったし、自分を恨んでいた。そして毎晩「次の日はいじめられませんように」とお守りを持って祈っていた。そのお守りは今も持っている。掃除の時間に低学年に「外人は帰れ〜!」と叫ばれたこともある。髪の毛にボンドをつけられたこともある。あんなことや、こんなこと、数えきれないほど。どれだけ、辛かったか。

私は小学生の時はコンプレックスであった天然パーマの赤毛を隠すため、小学校六年間は髪型をみつあみにして学校へ登校した。小学校にいる間は髪の毛を下ろしたことは一度もなく、ただただ髪の毛を隠したくて、毎日みつあみをして登校した。汚い話ではあるが、修学旅行の時とかも髪の毛を洗わず、みつあみでいることを貫き通した。それくらい、コンプレックスであり、隠し通したかったのだ。そしてみつあみはいつも親がやってくれた。毎朝六年間、みつあみをやってくれた。ちょっとでも髪の毛がみつあみからでていたり、ちょっとでもみつあみの形が崩れていると、私は親に怒り狂った。親には本当、たくさん迷惑をかけたと思う。でも親にかける迷惑なんかより、いじめられるのことの方が何百倍も心配だったし、その時は怖かった。

そんな私をみていたからか、親は私を二ヶ月間、アメリカに住んでいる祖母の家へ送り出してくれた。私が小学校五年生の時だ。二ヶ月間アメリカの現地の小学校へ通い、現地の生活を味わってみなさいと言われ、私はアメリカへ旅立った。そしてその二ヶ月は私にとって人生の「解放」だった。何が解放だったかって、まずそもそもいじめられることがなくなったのである。そしてアメリカの小学校のクラスメイト、みんなそれぞれ容姿が違うのだ。当時、日本でしか暮らしたことなかった私にとっては大きな驚きだった。金髪、茶髪、黒髪の子もいるし、肌の色が皆違う。目の色すら違う!様々な人種が混じり合った環境に私ははじめて身を置いて「安堵」する感覚を覚えた。「私も違っていいんだ」と。

そこで私は今まで結んでいたみつあみを下ろした。初めて、髪の毛を下ろして学校へ登校した。今まですごく勇気が必要だったし、怖かった。せっかくクラスメイトに受け入れられたのに、またジャッジされるんじゃないか、いじめられるんじゃないか。でも、クラスメイトの多様性を信じて、私は髪の毛を下ろしてクラスに入った。すると、、、

          「何も言われない、いじめられない!」

誰も私の髪の毛についてコメントする人はいなかった。「髪の毛をおろすなんて珍しいね」くらい。ここは楽園か?!日本の小学校では絶対できなかったこと。ありのままの自分が認められた気がして、凄く嬉しかった。あたたかくて、安心して、涙が出そうだった。それ以来、私は自分の好きなヘアスタイルをしたし、自分の髪をおろして学校へ登校した。優しい友達はたくさんできたし、幸せな二ヶ月だった。アメリカが大好きになったし、自分はアメリカ人でもあることに誇りを持った。でもいずれは日本に帰らなければいかない。帰ってからも、この幸せは続くかなと不安だった。

幸せな二ヶ月のあと、私は日本へ帰国した。もちろん、小学校にも戻った。その時悩んだのが髪型である。私はアメリカでは髪の毛を下ろして、ありのままの自分で毎日学校へ登校した。アメリカでは何も言われなかったし、いじめもなかった。もしかしたら、日本でやっても何も言われないかもしれない。そう思って、髪の毛を下ろして小学校へ行った。それをした自分がアホだった。

案の定、いじめられた。後ろから男の子にえんぴつで髪を突かれ、「なんだこの髪の毛」と言われた。友達からはいきなり髪の毛どうしたの?とコメントされた。その他「外人っぽい髪の毛だね!」「外人になって帰ってきたか?!」飛び交う、隠れた差別発言。私は失望したし、耐えきれなかった。たった二ヶ月で、状況なんて変わるわけないか。私は知らずうちに髪の毛をおろすことにまた恐怖を感じ、髪型をみつあみにして学校に登校した。しかしアメリカから帰国後、小学校の環境は変わらなかったけど、一つだけ変わったことがある。それは自分自身の中の「価値観」である。違う世界を見て、違う環境に飛び込んでみて、その中で自分のアイデンティティーを見つめ直すことができた。私はこの時から少しづつ「みんな違ってみんないいんだ」というマインドを徐々に自分の中で大きくさせていったのである。

ステージ3「中学校高校」

ー私は中学校にあがると状況は一変した。もういじめられたくないと思い、私は地元の中学へ入学することを避け「多様性」を重視した国際的な中学校へ入学した。(その中学校は中高一貫である)その中学校は私の地元からもかなり遠いし、別に偏差値が高いわけでもない。駐在員の子供や帰国子女が行くような学校だから、学費が高額で、私の身の丈に合う学校ではなかった。でも親が私のためを思ってその中学校へ進学させてくれた。その選択は私を救う選択となったのである。

また、中学校からは縮毛矯正をかけ、髪の毛に関する悩みはなくなった。地毛は赤毛でそれに関して最初は色々言われることはあったが、いじめられることはなくなった。一生の友達もできて、中学校への入学は暗黒な人生から抜け出せるきっかけであった。中学校での生活は、私の本来の明るい性格を導き出してくれた。本当に中学校、そしてそのまま高校には感謝しきれない。

しかし私が高校生くらいになると謎のブームが現れた。「ハーフブーム」である。この時、ローラやトリンドル、ダレノガレなど、いわゆるハーフ芸能人(この名称もあまり納得できないが)が流行りだしたのである。ハーフ=流行りの対象となった。それ以来、なんとなくではあるが、ハーフでいることに対して可愛いといわれるようになった。最悪な言い方だと、ハーフの需要が高まったのである。実際、ハーフだから可愛い、とも言われたことがある。いやいやハーフだからって、違うでしょう。(笑)全然嬉しくなかったなぁ。

しかもわかってほしいのが、ハーフにも様々なハーフが存在するということだ。多くの日本人がイメージしているハーフは白人とアジア人のハーフかもしれない。けど、ハーフはハーフ。アジアとアジアのハーフもいれば、ヨーロッパとヨーロッパのハーフもいる。ハーフのカテゴリーはそんな狭くないっていうのをわかってほしい。日本人は「単一民族」と呼ばれているかもしれないけど、ルーツを辿れば違うことだってあるんだから。それを踏まえた上で発言をよろしく頼む。

あと、今でもたまに感じる「ハーフだからきっと可愛いプレッシャー」ハーフは特別な存在でも、宇宙人でもなんでもない。ハーフだから特別!ハーフだから可愛い!ハーフの子供は可愛いから外国人と結婚したい!そういう発言はモラルがないから、やめましょう。

ステージ4「大学」

私は大学へ入学をし、中高一貫であった高校から卒業し、また新たな環境へと突入した。もちろん大学で会う人は初対面の人が多く、私がハーフであることに対してコメントしたり、突っ込まれることは多かった。しかし、いじめらたわけでもないし、ハーフとして人生を歩んできて「慣れ」という免疫力ができたので、案外平気であった。もう人の発言に対して悩んでも仕方ない。半分諦めたのである。しかし、自分の中で大切にしていることが小学校から変わらず一つあった。それはアメリカへ二ヶ月間行った時に感じた「みんな違ってみんないい」という考えである。この考えのおかげで、私はモラルのない発言、心ない発言に対しても、放っておけるようになった。また、大学生になると私はfacebookやtwitter、instergram を通して度々自分がハーフとして悩んできたことを投稿していた。そうすると、思いもよらぬ人から共感の声が届いていたり、またそこでコミュニティーができて理解が深まっていったりしていって、自分は一人ではないと感じることができるようになったのである。SNSの普及には感謝である。

そして今の話をすると、私は現在髪の毛を黒く染め、縮毛矯正を未だかけている。縮毛矯正に関しては、ステージ3にも述べたように中学生へ入学した頃から現在22歳になるまで、絶え間なくかけている。これが私の中の「守り」なのかもしれない。守りと同時に「逃げ」なのかもしれない。本当の自分を隠す守り、そして逃げ。ある程度社会や周りの環境に溶け込んでいれば、攻撃されることはない。昔のトラウマが今の行動につながっているのだと、たまに感じる。もちろん、私は自分の地毛の髪色髪質で生きていきたいし、隠していたくない。ありのままの自分を愛したいし、ありのままの自分のままで生きていたい。でも、それがどれだけ難しいか。過去がどれだけそれを難しくさせてしまったか。そしてどれだけ攻撃されないことが楽か、知ってしまったからなかなか戻すことは難しい。

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このように、自分の人生を4つのステージに分けて、経験を述べた。殴り書きのように述べたから、筋が通ってない文章もあるかもしれないけど、スルーしてね(笑)でも私がとりあえず最後に結論としてしっかり述べたいのは...

「日本社会でハーフとして生きるのは、そう簡単ではないということ。そしてそれを多くの人に理解してほしい」ということだ。

日本という国は基本的に「日本人」で成り立っている。多国籍国家ではない。昔長年鎖国をし、その上島国なんだから、それは仕方ない。アメリカのように「サラダボウル国家」ではないのだ。だから、ハーフという存在を物珍しく感じたり(特にお年寄りの者)、なんとなく無意識に特別扱いをしてしまう気持ちもわからなくはない。しかし、少しは理解をしてほしい、というのが願いである。

私は別にハーフに対して「ハーフ?」って聞くのを強制的にやめろ!って訴えているわけではない。そういう観点で物事を話していない。でも、少しだけ、発言する前に今から発言することは相手はどう感じ取るのか?一度考えてから発言してほしい。そして、日本社会には色んなハーフがいて、日本社会に生きるハーフは様々な人生背景を持っていることを理解してほしい。そのちょっとした心がけが、様々な人にとっていきやすい社会を実現させるきっかけになると感じるし、嫌な思いをする人も減っていくと思う。

人種に関する差別は日本だけで起きていることではないし、先ほど述べたサラダボウル国家であるアメリカですら、多くのひどい差別がそこらじゅうで起きている。でも、自分でできることから直していけばいいのではないかと思う。本当にその子に「ガイジン」と呼ぶ必要性があるのか、「ハーフか〜いいな〜」という必要性はあるのか。ちょっとした発言の気遣いが、大きな変化につながると考える。

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最後に、私は日本人でもあり、アメリカ人でもある。両方の国籍を持っているのである。そして私はこの事実に対して誇りに思う。ハーフでいることに対して、22年の年月を経て、やっと誇りに持てるようになったのである。上記に述べたようにそのプロセスは長かったけど、今このように思えるようになったのは自分自身の成長があるからだと思っている。今までの22年という短い人生、多種多様な人と出会って、様々なコミュニティーに所属して、様々な価値観を受け入れて、辛い思いも嬉しい思いもして、、、、今までの経験が、こう思える自分に繋がったと考える。

私は幼稚園の時、夜遅くにベッドでお祈りしていた弱かった自分に言ってあげたい。「大丈夫だよ」と。そして「22歳のSayakaは強い女性になっているよ」と言ってあげたい。幼稚園の時からアイデンティティーに葛藤をして、生き方について深く考えてきたからこそ、今こういうことが言えるし、そういう過去があるからこそ、「多様性を受け入れる」ということは本当に大切で様々な人を救えると理解できる。

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以上で、今回の記事でした!いかがだったでしょうか。(笑)もっと書きたいことあるし、なんなら全て書ききれていないが、たらたら自分の経験を述べても仕方がないので。(笑)最終的に私が何を結論として述べたいか、理解していただけたら幸いです。この記事に関しては読む人の境遇が違えば、それによって内容の捉え方も違う記事であると思います。この記事を読んで、何か心に響くものがあるといいな...ていうか、そういう記事をいつか書きたいな...と思います。

ハーフに関する記事は多々あって、私よりはるかに簡潔で読みやすいものに仕上がっている記事がほとんどなので、いくつかURLを下記に貼っておきます。暇があれば、ぜひ読んでみてくださいね。ではまた:) See you guys soon!!!

URL:

https://www.youtube.com/watch?v=GXj2taVey-Ihttps://president.jp/articles/-/30772?page=2https://www.huffingtonpost.jp/entry/mixed-roots_jp_5d57a7fce4b0d8840ff3802f


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