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【1989年100日旅】5日目。モスクワ

1989年4月10日。父の暮らす寮で、隣室のドイツ人と一緒に夕食。その日のご飯はカレー。持って行ったゼリーやおせんべも一緒に食べたらしい。「ソ連にも(ドイツ人だけど)楽しい人がいるんだなと思った」と日記にある。

父はモスクワ大学の寮に住んでいた。寮には自由に使える大きなキッチンがあって、様々な国の人が料理をしていた。モロッコ人のお兄さんが大きな長方形の包丁でドンと肉をぶった切っていたり、酸っぱい黒パンでサンドイッチを作っていたり。

チェス部屋もあった。昼間はかなり空いていたので、チェスがわからない私ときょうだいは駒を寄せ集めて、チェス盤で無理やりオセロをやった。チェス世界王者も輩出するモスクワ大学チェスクラブの皆さんなら、ポーンが3倍あったり、一切ポーンがなかったりするチェス盤を楽しんでくださったんじゃないかと思う。(ごめんなさい!)

モスクワ大学の寮には守衛さんがいて、子供であってもパスを見せる必要があった。非常に厳しく、もう顔パスだろうと思うほど通った後も、パスなしでは入れてくれなかった。そのなのに敷地を囲む格子フェンスの隙間はかなり広く、パスを持っていくのを忘れた日には格子の隙間をすり抜けてやすやすと中に入った。

旅の初期の日記にはまるでソ連の人々が全員嫌な奴だと思っているかのように書いているけれど、実際にはそういうわけではなく(当たり前だ)、特に子供には仏頂面のまま優しかった。怖そうな警察官すら、5歳の弟には何かと目をかけてくれ、信号を渡るときには警笛を鳴らしつつ、「マーリンキ、アスタロージナ!(ちびっこ、気をつけて!)」とよく叫ばれた。甘ったるくない、無骨な優しさを感じた。

そんな感じの5日目。旅は残り95日。


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