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【1989年100日旅】22日目。モスクワ

1989年4月27日は旅の22日目。ソ連では毎朝、テレビでロシア版ラジオ体操的なものをやっていて、それを見てから学校に行った。後日、オーウェル『1984年』でテレスクリーンの体操シーンがあるのを読んだ時、それを思い出した。もっと楽しげで、セクシーなお姉さんたちだったけれど。

この日は同じ日にモスクワ日本人学校に転入したクラスの女の子がお休み。どうやら、環境変化についていけず、疲れちゃったらしかった。その子のお父さんは日本人学校の先生だったから、女子全員で手紙を託すことにした。でも、お手紙にふさわしいようなかわいい便箋は日本から持って行かなかったし、ソ連では買えそうにもない。困っていたら同じクラスの子がそっと分けてくれた。うちの父は半年前にソ連に渡っていた。勝手がわかっていたから私たちは比較的スムーズに生活が始められたのだと思う。

父がしばらく食べていなかったからか、晩御飯は和食も多かった。三つ葉が自生していたけれど、ロシア人は食べないようで、それを見つけた母は目を輝かせてお味噌汁などに使っていた。お味噌汁のお椀に使ったのはロシアの伝統工芸「ホフロマ塗り」の漆の鉢。中は金色、外には花模様が描かれていた。

そんな感じの22日目。旅は残り78日。

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