マガジンのカバー画像

1989年100日間世界旅行記

101
1989年4月6日からの100日間の旅行を、2020年の同日朝7時に投稿します。
運営しているクリエイター

2020年6月の記事一覧

【1989年100日旅】57日目。イナリ→ロヴァニエミ

1989年6月1日。旅は57日目。この日から夏休みのはずなのに、イナリは朝から雪! 風花ではない…

FelixSayaka
4年前
3

【1989年100日旅】58日目。ヘルシンキ

1989年6月2日。旅は58日目。寝台列車で朝ヘルシンキに到着。シベリウス公園へ。パイプを組み合…

FelixSayaka
4年前
7

【1989年100日旅】59日目。ウプサラ

1989年6月3日。旅は59日目。スカンジナビア航空でスウェーデンへ。ウプサラ大学という北欧最古…

FelixSayaka
4年前
6

【1989年100日旅】60日目。ウプサラ

1989年6月4日。旅は60日目。ウプサラ城へ。今まで見たような城とは違い、凝った飾りはなくどこ…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】61日目。ウプサラ

1989年6月5日。旅は61日目。分類学の父カール・リンネの植物園へ。千種類以上の草花が植えられ…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】62日目。ウプサラ

1989年6月6日。旅は62日目。ウプサラ大学の教職員用家族寮へ引っ越し。4LDKで洗濯機も広い台所…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】63日目。ウプサラ

1989年6月7日。旅は63日目。歴史博物館へ。1600年代にウプサラ大の解剖学の講義が行われた解剖劇場という部屋を見た。採光用の丸天井の直下に解剖台があり、周りを囲んで急勾配の階段教室になっていた。時に市民も券を買って解剖を見たらしい。よりによって小雨の降る日で、ぞわっとした。 ウプサラ大学は科学が強い大学のようで、ノーベル賞受賞者を多数輩出している。同じ寮に滞在しているウプサラ大学への日本人留学生はみな医師だったらしい。解剖劇場があるしなあ、と子供心に思った。この日の午

【1989年100日旅】64日目。ウプサラ

1989年6月8日。64日目。ガムラ・ウプサラ(旧ウプサラ)へ。古代北欧の神々の神殿があった場所…

FelixSayaka
4年前
3

【1989年100日旅】65日目。ストックホルム

1989年6月9日。旅は65日目。観光バスでストックホルムへ日帰り旅行。 ストックホルムは14の島…

FelixSayaka
4年前
3

【1989年100日旅】66日目。コペンハーゲン経由東ベルリン

1989年6月10日。旅は66日目。ウプサラを出発。まずはスカンジナビア航空の飛行機に乗り、デン…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】67日目。ロストック

1989年6月11日は旅の67日目。バルト海に面した港町ロストックへ。ここへはストックホルムかコ…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】68日目。ロストック

1989年6月12日は68日目。前夜に食べた食事の塩気が強すぎて、喉の渇きで目がさめる。水ばかり…

FelixSayaka
4年前
3

【1989年100日旅】69日目。ロストック

1989年6月13日、旅は69日目。考古学者ハインリッヒ・シュリーマンの生家がロストックから近い…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】70日目。東ベルリン

1989年6月14日は旅の70日目。再び東ベルリンへ。ホテルは前回同様パラストホテル。ロストックのホテルがかなり狭く掃除も行き届いていなかったので、戻ってこられたのがとてもうれしかった。ホテルの朝食はバイキング。日替わりで数種類のムースが出た。チョコレートムースが特に好きだった。 現在ラディソンブルーホテルがある場所にパラストホテルがあった。ホテルの目の前にはシュプレー川が流れ、その向こうにはベルリン大聖堂が見えた。ベルリン大聖堂のバロック様式の丸屋根の緑青はグレーが混ざり