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20年経ったら・・・

20年前の1月13日。両親と大学の先輩と従姉妹に見送られ、成田空港を飛び立った。空港の電光掲示板がやけに大きくて、行き先「Copenhagen」がくっきり目に飛び込んだ。「心配なことなんてない!」って言ったけれど、飛行機に乗ったら不安で少し泣いた。

それから20年たった2024年1月13日。私は12歳の次男と成田空港の電光掲示板を眺めていた。次男が私たちの飛行機を掲示板で見つける。5年ぶりの家族四人での里帰り。Mと長男は1週間先に帰国。私と次男は全部で4週間の里帰りだった。

納豆と本
20年前送別会で、「心配なことはないの?」と聞かれると、「本と納豆が買えないのが心配。」と答えていた。

20年の間にネットが発達して、毎日日本語の活字に触れられるようになった。活字に飢える事はない。本はKindleで読めるようになった。専門書、手元に置きたい本、雑誌「暮しの手帖」バックナンバーは、里帰りに合わせてネットで注文。紙の本でお持ち帰り。納豆は手作りをしている。今回はついにヨーグルティアというヨーグルトメーカーを購入。これを使えば、一定温度で納豆を発酵できるらしい。今までの手作り納豆は、床暖房の予熱で作っていた。本も納豆も心配ない。無敵だ。


20年前「気をつけて!」と送り出してくれた友達。

20年経っても「よく帰ってきた!」と変わらず迎えてくれ、久しぶりに20歳の頃のように大笑いしながら昔話に近況報告。あの頃に一瞬で戻れる仲間がいて幸せだなぁ。


荷造り
20年前の出発2日前。親友のHちゃんが泊りがけで荷作りをしてくれた。私は壊滅的にパッキングが出来なかった。

今回の里帰りでは、相変わらずパッキングに苦戦する私に変わって、次男がパッキングしてくれた。世代交代。

コペンハーゲン空港
20年前ドキドキワクワクしながら到着したコペンハーゲン空港。レゴのおもちゃに感激して、写真を撮ったりしたなあ。

今回はコペンハーゲン到着が夜遅い便だったので、空港はシーンとしていた。空港がうんと広くなって、すっかり様変わり。次男は荷物のターンテーブルをしっかり見つめ、私よりずっと早く我が家の荷物を見つける。そして荷物に駆け寄って、重いスーツケースを降ろしてくれる。長男に続いて、ちびっこだった次男も良い旅のバディーに成長。

電話
20年前、スカイプが生まれる前の年。日本に電話するには郵便局でテレフォンカードを買う必要があった。2000円分のカードでで45分日本に電話ができた。留学先の全寮制の学校には固定電話が1つあって、電話がかかってくると食堂のランプが赤く光った。いつも走って取りに行くのはエチオピアの女の子だったなぁ。

今ではLINEやMessengerで日本と日常的にメッセージをやり取りして、母とは毎週末おしゃべり。ZoomでのMeetingがスタンダードになって、オンライン研修やミーティングができるようになった。インターネットの発展に感謝。

日本との距離
日本を離れて4−5年経った頃、「日本に私の家と生活はもうない。」と感じた境目が合った。私の家がデンマークになった頃だ。日本との距離を感じ始めた頃。日本の色々なものに心のなかでバイバイした。

今回の里帰り。30年ぶりに高校の同級生と再会。長いブランクをあっという間に飛び越えて、合った瞬間からおしゃべり。高校時代仲が良かったわけでもないけれど、コロナを機に出会い直した仲。

昨年5月に出会った旅の仲間たちとも再会。旅の後も関係は続いていて、お互いの職場を訪問し合ったり、北海道の仲間を訪問する計画が立ち上がったりしている。私も旅の仲間の職場をひとつ訪問。「おかえりなさい!」と待ってくれる人が増えた。

遠くなった、色々なものバイバイした日本が、また近づいたと感じた今回の滞在。私の中に日本が入り直した感じ。物理的な距離は問題ではなく、精神的な距離がうんと近づいた。それは、日本で待っていてくれる家族、友人、仲間のおかげ。日本向けにオンラインで活動を始めたことも大きい。新しいつながりがドンドン広がっていく。

どっちもいいもんだ。
滞在最後の一週間。次男と私は「帰りたくなーい」を連呼していた。毎日遊び歩いて、美味しいもの食べて、休暇は楽しい。デンマークでの生活を忘れそうなくらい、日本での生活に馴染んでいた。

 デンマークに戻ったら、Mと長男が待っていてくれ、ご近所さんに「おかえり!」と言われ、同僚に「待ってたよー」と言われた。デンマークにも待っててくれる人がたくさんいる。

つい3日前は、スカイツリーから東京を眺めていたのに、デンマークに戻ったら森の中を犬と散歩。どっちもいいもんだ。


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