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今日で16年。

16年前の今日デンマークにやってきた。フォルケホイスコーレのひとつであるIPC(International peoples college)に留学するためだ。あの日は雪が降っていた。      

2003年3月、新卒から5年勤めた都内養護学校(当時)を退職。同僚にはとても驚かれた。就職超氷河期の頃だ。新卒だったワタシをかわいがってくれた先輩に「先生の仕事が嫌になってしまったのなら、僕らのせいだ。申し訳ない」と言われのが強く記憶に残っている。先生が嫌になったのではない。もっとやりたい事があったのだ。どうしてもデンマークで暮らしてみたかった。デンマーク人とデンマークの事を知りたかった。退職後8ヶ月、学生の頃からボランティアリーダーとしてお世話になっていた、東京都日野社会教育センターでアルバイト。子ども会活動運営のサポートをした。年が明けて2004年1月13日。SAS直行便でデンマークにやってきた。

出発前には、学校時代の同僚やキャンプ仲間、学生時代のサークル仲間達が送別会をしてくれた。どの送別会でもメッセージカードを頂いた。プレゼントもたくさん頂いた。H先輩からのプレゼント、元気が出る歌を集めたCDはデンマークで何度も聞いた。出発の2日前には、高校時代からの心友で旅のバディーだったHちゃんが泊まりきて、ワタシの荷造りをしてくれた。その頃のワタシは、壊滅的に荷造りが下手だった。二泊三日以上の旅になると、何を持っていけば良いのかわからず・・・靴下が多すぎてTシャツが足りない、というような事がよくあった。ベトナムで、お土産を買いすぎて、スーツケースが閉まらず泣きそうだった時も、Hちゃんがパッキングし直してくれた。そしてスーツケースはもちろん閉まった。デンマークの寒さにおびえて、帽子や手袋をたくさん用意していたワタシに、Hちゃんは「頭は1つです。いくつ帽子を持っていくんですか。こんなにたくさんいりません。」と帽子を2つに減らしてくれた。様々な酒場で夢を語り合った心友もいる。たくさん飲んでたくさん笑ったなあ。そしてお互いよく乗り過ごしたなぁ。

「企業戦士」を退職し、そのころ「毎日日曜日」だった父と、平日二人で買いものに行ったのは、良い思い出だ。ホームセンターで水筒とヘッドライトを買った。「冒険に行くみたいだなあ。」と二人で話したような気がする。父と二人でお買い物は、人生で数えるほどしかない。

 出発当日、両親はインドネシア旅行を申し込んでいた。「どうせ(見送りに)成田に行くんだから」と旅行を計画したらしいが、きっと寂しさを紛らわす為だったろう。なにせワタシは生まれてから、ずーっと実家暮らしだったのだ。空港には学生時代のサークルの先輩と、いとこがお見送りに来てくれた。先輩を見た両親に「彼氏?」と聞かれたが、違う。

神様からのプレゼントか、両親のインドネシア行きの飛行機とワタシの飛行機は、隣合わせの搭乗口だった。ワタシの搭乗が先だった。どうやって手をふったのか、誰かが泣いたのか、そのへんの記憶はない。あの頃のワタシは、両親にハグする習慣はなかった。飛行機に乗り込んだら、とっても寂しくて不安で悲しくなった。お決まりのビールは飲んだけれど、実は飛行機旅前半ずっと泣いていた。大好きな友人や仲間と離れるのが寂しくて。なんかよくわからないけど悲しかった。頂いたメッセージカードや写真を見て泣いた。何年も楽しみにして、やっと実現した事なのに。送別会で、「何か心配や不安なことないの?」と聞かれると、「うーん。納豆と本が買えないのが不安かな。あとは何とかします。何とかなるでしょ。」と答えていたのに。平気な風を装っていたけれど、ワタシは色々不安だった。

11時間してデンマーク到着。着いたら、4年ぶりにデンマークに来られた喜びで、涙は笑顔に。2日間泊めていただく事になっていた日本人のNさんが、空港までお迎えに来てくれた。あの日は雪が積もっていたのに、デンマーク人たちが自転車に乗っていて、とっても驚いた。きっと車みたいに、冬用タイヤかチェーンがあるに違いないと思った。見るものすべてが新鮮で興味深くて、ワタシの好奇心は、小さな子供のようだった。そして到着の2日後にIPCでの新生活がスタートした。

16年前、たくさんの方に応援していただいて、デンマークにやって来た。一年間の留学の予定が、結婚〜定住となり、送別会以来会っていない方々がたくさんいる。あの時笑顔で「応援してるよ」と送り出してくれた人たちに、ありがとうの気持ちでこれを書いている。あの人たちがnoteを読んでくれていたらいいな。泣いたり悔しかったりの日々もあったけれど、16年たった今、色々あってもピュットで幸せに暮らしています。(ピュットについては、1月11日の記事参照)

明日はデンマークに来た経緯について。

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