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夏のひとり旅大冒険記〜ドイツ(コンスタンツ・ミュンヘン)編〜

前回の続き。


かつての宗教都市コンスタンツ

さて、スイスでなんだか方向性が定まった感あるこの旅、次なる目的地はドイツとなった。ドイツは南北に大きいので、ドイツのどこに行くかによってかなり移動距離が変わってくる。

私がいたスイスのルツェルンという街から電車で2時間くらいの場所に、コンスタンツというかわいい街がある。この街は、スイスとドイツの国境に位置していて、なんと歩いて国境を渡れてしまう。まじで普通の道だった(普通の道すぎて写真撮り忘れた)。

絵になる夜のコンスタンツの町並み

まいちゃん(前記事参照)に「スイスに長く住んでいる人知らない?」ってきいたら、スイス人の旦那さんとスイスで子育て中のよしこさんを紹介してくれた。彼女は不動産に詳しい方で、スイスに移住してくる外国人向けに不動産情報などを発信している。よしこさんがこのコンスタンツ付近に住んでいるとのこと、会いに行くことにした。

よしこさんとレバノン料理を食べながら、スイスの生活についてあれこれ伺った。びっくりしたのは、スイス人は日曜日はとにかく家でゆっくりする文化だそうで、スーパーもやってないことが多いし、壁の薄い家だと日曜日に洗濯機を回すと、うるせえな日曜なんだから休めよ!と苦情がくるらしい…(日曜日こそ回したいじゃんねと思うのは日本人的発想なのだろうか…)。

このコンスタンツという街は、古くから宗教都市として栄えていた街なんだそう。ボーデン湖というドイツ最大の湖があることでも知られている。600年前、なぜか3人に増えてしまっていたローマ法王をひとりに決め直すためにめちゃくちゃ重要な宗教会議が行われたのがこの街。ヨーロッパのおえらいさんたちはみんなこの会議に出席したんだそう。

ボーデン湖でボーッとする

それでね、おもろいのが、この偉い人たちがみんなこの街に集まった時期に殺到したもうひとつのグループがあったんだって。それが、娼婦の方々。

街のシンボル、インペリア像

見える?両手に何かが乗ってる。右に皇帝、左に法皇を乗せてる。これは、全てを娼婦が手のひらで転がしてたっていう皮肉なメッセージが込められてるらしい。当時の宗教の腐敗っぷりをあらわしてるという説も。

やっぱりみんなどうしても外で飲みたがる

夜までひとり街を練り歩く。なんかほんと歩いてるだけで楽しいんだよなあ。それにしてもみんなとにかく外でワインやカクテル飲んでる。ごはん食べるっていうより、お酒中心なイメージ。

ちなみにヨーロッパの国々はどうやら冷房がないのが普通らしい。最近は地球温暖化で例年気温が上がってきていて、特に昼間は冷房ないともう無理じゃね感出始めてるみたいだけど、夜はやっぱり夏でも涼しい。冷房ガンガンなアメリカとは違い、自然な空気を好む文化みたい。

早起きしておしゃなカフェで朝食とっちゃう私

ナチスの面影残る歴史都市ミュンヘン

この街から電車に3時間くらい乗るとミュンヘンという街に着くらしいということが判明。そういえば、「ヨーロッパの和牛王」として知られる(和牛をヨーロッパに卸しまくっている坪田先生のお友達)大矢さんがその街で日本食レストランを経営していたことを思い出し、会いに行くことに。

ミュンヘン駅で大矢さんの娘さんに出迎えられ、街を案内してもらう。ミュンヘンの街、建物がいちいち厳かでめっちゃかっこいい!とても好みだった(できればもう一泊したかった!)。

この街のシンボル、マリエン広場にある市庁舎

最近たまにきいてるコテンラジオでヒトラーについて勉強しながらこの街を歩いてたんだけど、なんだか色々と考えさせられた。

(詳しくはあなたにもコテンラジオのヒトラー回を聞いてほしいのだが)ヒトラーってドイツ生まれと思いきや、オーストリア出身らしい。モラハラのお父さんと過保護なお母さんに育てられて、30代までニートで、友達もほとんどいなくて、でも自分の才能をただ信じ続けていたヒトラーは、画家を目指し始める。でも行きたかった美術学校に2回くらい不合格をくらい、全然稼げないしお金もなくて、そうやって失敗するたびに相手のせいにして怒りを内に募らせ続けた。それで第一次世界大戦が起こって、国のために一生懸命頑張ったらちょっと認められて、これが初めての成功体験になっちゃって、「これだ…!」ってなんか、なにかを見つけた感じになった。

当時第一次世界大戦でフランスとイギリスにぼろくそに負けたドイツは、笑っちゃう額の賠償金とかかけられて国内がぐちゃぐちゃになってめっちゃ貧乏になる。それにドイツ国民がキレまくっていて、それがヒトラーにチャンスを与えてしまう。

終戦後も軍に残ったヒトラーは「あいつ話めっちゃうまくね?」とスピーチの才能を見出されてしまい、政治家になっていく。そしてここミュンヘンで、当時超ちっこい右翼政党だったナチ党と出会い、ヒトラーはこの政党のリーダーになった。そしてスピーチが超絶うまかったヒトラーの怒りの演説に、キレまくっていた国民たちが「そうだそうだ!」と魅了されてしまう。国民の怒りをエネルギーにこのナチ党はどんどんでかくなって、結局政権をとれちゃってそのあと起こった惨劇はみなさん知っての通りなんだけれども、この街ミュンヘンには、その面影が今も多く残されてる。それは、あの独裁者を国民自らがうんでしまったという事実を絶対に忘れてはいけないし、もう二度とあんな過ちは犯さない、という、ドイツの人たちの強い意思のようにも思えた。

ナチ党が人を集めて演説などしていた広場

ミュンヘンの街を散策したあと、大矢さんのレストランへ。ここは日本‥?と疑うほどおいしいラーメンとからあげとセビーチェをいただき、営業終わりに大矢家のみなさんと乾杯してホテルへ戻る。

ヨーロッパ和牛王の大矢さん(おちゃめ)

翌日も快晴。なにかはわからないがとにかく美しいこのドームみたいなのの中でピアニストさんがそれはもう素晴らしい演奏をしていて(ありったけの小銭をチップ箱に入れてきた)聴き入ってしまう。

このあたり一帯は息を呑むほど美しい緑の庭園が続いててなにこれ最高じゃんエリアだったまた行きたい。
ずっとここにいた。最高に気持ちいい時間。

海がないミュンヘンのサーファーたちが集うスポットがこちら。アイスバッハ。イギリス庭園の中を走る川に起こる人工の波に乗るため、サーファーたちが順番待ちしてる。

サーファーたちの練習を見守る観光客

この日本当はミュンヘンからオランダに飛ぶ予定だったが、この日の前日、大矢さんにオーストリア・ウィーンには絶対に行っておけとゴリ押しされ、急遽オーストリア・ウィーンに寄ることに。

昼過ぎのウィーン行きの列車まで、ミュンヘン在住の高校生たちとランチ。私の妹もそうだけど(ニュージーランドの高校卒)高校生から祖国を離れていろんなことを乗り越えてたくましく生きている彼女たちには脱帽。その経験必ず生きるよ、まじで尊敬する。かっこよすぎる。

私のバックパックを背負って「おもーい!さやかさんこれ一個で旅してるの?やばーい!」
とはしゃいでるかわいい高校生たち
Twitterのフォロワーさんが紹介してくれたミュンヘン在住のサトミさんにも!

弾丸のミュンヘン滞在でも、多くの出会いと刺激をもらってしまった。歴史のある街はもう、歩いてるだけでなんか震える。

ということで次回は芸術の街、ウィーン!




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