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よくやったぞ、2022年の私。

現在、ニューヨークは2022年12月31日夜。まもなく、2022年が終わる。さきほど、近くの教会のNew Year's Eveコンサートに参加してきた。聖歌隊の神秘的な歌声と厳かな大聖堂の雰囲気、そして目が合うと"Happy New Year!"とにっこり笑いかけてくれる近所の人たちにほっこりする、贅沢な時間。

"Pass the peace" と言う掛け声でろうそくの灯りを隣の人に回す

Times Squareで毎年行われている年越しイベントはたくさんの観光客で埋め尽くされ、昼から並んでトイレにもいけない試練のよう(多くの人はおむつをしてくるらしい)と聞き、私達夫婦は家でゆっくり年を越すことに。紅白歌合戦をBGM替わりに、父が張り切って作る甘辛いすき焼きをみんなでワイワイ食べる大晦日も少し恋しい気持ちもするけど、ニューヨークで夫とゆっくり過ごす正月もまた、きっと一生思い出に残るんだろうな。今年は夫が父の代わりにすきやきを作ってくれた。

先週は大寒波が来てマイナス15度まで気温が下がったが、今日はなんと11度もある。このとんでもない気温差にも、家にいると気づかないくらい寮のセントラルヒーター(温度調整不可)がいつも効きすぎで毎日汗をかきながら生活している。合理的だなあ日本もこうなればいいのになあと思うことと、なんでこんな雑なのかなあと思うことでこの街は溢れている。

新たな世界に続く扉

2022年は、私の人生でもしかしたら一番勇気のいる年だったかも知れない。それくらい、私にとっては大きな決断を実行に移した、人生の節目となる年だった。

2021年は、もうとにかく英語(大学院出願準備)に捧げた1年だった。振り返ってみても、英語の勉強をしていた記憶しかない。それ以外の思い出がほとんどない(ほんとに)。そうやってひたむきに、毎日自分と向き合いながら耐えて努力した末、やっとの思いで新しい世界への扉が開いた2022年3月。コロンビア教育大学院への進学を決め、ニューヨークへの留学が確定したときは、なんだか夢を見てるみたいだった。

ずっと、留学は、留学だけは、諦めていた。留学というのは学生のときに行くものだと、勝手に思い込んでいた。英語が話せる人ならまだしも、英語が喋れるわけでもないのに、30歳超えてから留学を目指すなんて、無謀すぎる。大人になればなるほど、言い訳が上手になるものだ。簡単には手放せないものが、たくさんあった。たくさんのお仕事のご依頼も、何不自由なく生活させてもらっていた収入も、大好きな家族や友人たちとの時間も、慣れ親しんだ快適な環境も、全部、手放すのが怖かった。そうやって長い間、足踏みしていた数年間だった。

「そっち」の世界には、どんな景色が広がっているんだろう。どんな出会いや経験が、できるんだろう。そんなふうに妄想ばっかりしていた世界に、家族と友人たちに励ましの言葉をたくさんもらって、ついに、えいや!と飛び込んだ2022年。そんな大きな決断をできたそのときの私を、全力でよしよししたい。よくぞ!よくぞ決断してくれたぞ私!

憧れの街ニューヨークでの新生活

そうやって、いっぱいの期待と、いっぱいの不安とを抱えてやってきたニューヨークという街。同じ地球にある場所なのに、こんなに色々違うか?と予想のはるか上を常に行く街。ここにいられるだけでワクワクする、というのは、初めての経験かもしれない。日本人から見たらどう考えても変な人が、堂々と歩いている街。知らない人同士がカジュアルに褒め合う街。臭くて汚い地下鉄から地上に出るときに見える濃いめの青空や、ボロボロなのになぜか様になるレンガ造りの建物からひょっこり顔を出す真っ赤な夕日まで、全部痺れるくらい様になる。

完璧な晴れの日に地下から地上に出るときの高揚感伝われ


2020年に結婚した夫のりょうちゃんは、私の留学が決まった数日後に16年勤めた会社を辞め、現在は主夫をしながら私を支えてくれている。彼の料理の腕は上がる一方で、毎日おいしいご飯をつくって私の帰りを待ってくれている。そんな彼は最近ニューヨークでも大好きな麻雀をする仲間をちゃんと見つけて楽しんでいる。

ニューヨークで初めて出来た友人は、同じ言語プログラムに通っていたコロンビア人のMonicaとValeriaだ。正直、英語もろくに出来ないのに、こんなに仲良くなれる友人ができるとは、あまり想像していなかった。全く違う文化で育った私たちは、会うたびに「日本語ではこれなんていうの?」とか、「コロンビアでは普通こうだよ」なんていう話が尽きない。ちょっと前までどこにあるかも知らなかった国が、突然大好きな国になっちゃうんだから不思議だ。コロンビアにはたぶん数年以内に行くことになるだろう。もう既に今から彼女たちと会えなくなるのが寂しくてどうしたら良いだろうかと悩んでいる。

ValeriaのサプライズバースデーパーティーをMonicaと企画したときの。

言語の壁を超えるマインドセット

初めての大学院での授業は、やはり私のリスニング力では全然追いつかなくて、テクノロジーの力を借りまくってなんとか生き延びている。Otterという神アプリ(音声を録音するだけで文字起こししてくれる)で自宅に戻ってから授業を復習して初めて理解できる。クラスメイトたちはもちろん録音などせずにノートだけちょこちょこと取るだけだ。論文もぶっ倒れそうな量が毎週宿題で出るのだが、クラスメイトたちは前日くらいにさっと目を通すだけでだいたい理解出来ているかんじだが、私は一週間かけて必死で読んでいる。週末もだいたい勉強しないとやっていけない。言語の壁は、やはり大きい。

それでも、初めての学期を終えてみて思うのは、あれ、私意外といけちゃってるな?である。一度飛び込んだらもう腹をくくってやるしかないので必死でやってると、人間というのはうまく出来ているもので、割とすぐに新しい環境に順応できてこなれて来る。授業も論文の内容も時間はかかかるがちゃんと理解はできるし、テストも平均点より上の点数(っていうかほぼ満点)がとれてしまった。英語で論文を書くのは初めてだったが、友人たちにアドバイスをもらいながら、なんとか納得のいくものが提出できた。

言語力は誰よりも圧倒的に低いのだが、溢れ出る(というか異常に高い学費の元を確実に取りたい)学びたい欲と、出来ないからこそ手を抜けない状況が功を奏し、成績は今期の授業すべて無事Aをもらえそうだ。


失敗を恐れないアメリカ人と受け身なアジア人

授業は、ディスカッションベースのことが多いのだが、やはり文化の違いがバシバシ滲み出ている。多様なグループが同じ教室で一緒に学ぶと、やはり違いが明確に見えてくるものだ。とはいえひとりひとり個性はあるし、同じ人種でも全く同じではないのであまり大きな主語でくくりたくはないのだが、それにしても傾向が顕著な気がするので、少しだけ、大きな主語でお話することをご容赦願いたい。

まず、教授が「誰かこれに対して意見がある人?」と問いを投げかけると、だいたいネイティブ(たぶんアメリカ人)が発言する。ていうかほとんどアメリカ人しか発言しない印象だった(私がとっていた授業がたまたまそうだったのかもしれない)。私を含め、アジア人はやはり受け身な姿勢が顕著に出る。強制でもされない限り、ほとんど押し黙っている。

アメリカ人の友人は、「だって私達はそういう教育を受けてきたからね」と笑う。幼稚園のころから、人前で話すのは普通のことだったという。例えば、幼稚園で「今日のあなたのスタイルのポイントは?」などのテーマが与えられ、他の子たちの前で自分のその日のファッションについてなんでもいいから話すのだという。「ピンクのリボンがお気に入り。これは、お母さんが朝つけてくれた。私はピンクが好き。ピンクをつけてるとお姫様な気分になれるから。」といった具合に。正解やルールなどない。もしファッションについて語ることが何もなければ、朝食の話をしたっていい。なんでも良いから「自分のことを話す時間」があるらしい。こういうことを、毎日のように人前でやるんだそうだ。だから彼らにとって、人前で自分の意見を言うことは、歯磨きして顔洗うのと同じくらい自然なことなのだ。

私がそんな彼女らを見ていて感嘆したのは、「答えのない問題に向き合う力」だ。教育なんていうテーマは、なおさら答えがない問いがたくさんある。私が考える正義は、誰かにとっては悪だったりする。特にアメリカは人種も多様で格差の問題も深刻で複雑な国なので、そう簡単に答えなど出ない。同じ問いに対しても、数多の考え方やアプローチが考えうる。さらに育った環境によって、信念も違う。この信念は、なかなか簡単には変化しない。誰かが、こうだと思う!と発言したあと、いや、私はそうは思わない、と誰かが発言する。これは、彼女らにとっては普通のことで、傷ついたり恥ずかしい思いをしたりなんかしない。「違って当たり前」だからである。しかし彼らは自分たちの意見に誇りを持っている。と同時に、自分とは違う意見にもちゃんと耳を傾ける。これは教育大学院だからなんだろうか。"That's an interesting idea!"などと言って、違う意見を受け入れているシーンもたくさん見れて、感動した。

対するアジア人はどうかというと、やはり、「正解」を見つけたがる。「常に正解は存在し、そしてそれはひとつである」という潜在意識が私達の中にある気がしてしまう。勉強は「暗記」であり、テストとは、「それらの知識や情報が正確に暗記されているかを確認するもの」という認識が、私達の文化にはあるといえる。その文化で何十年も生きてきた日本人は、間違うことを何よりも恐れてしまう。間違いを犯すことや人と違うことは、恥ずべきことであり、悪なのである。間違いを犯すくらいなら、挑戦しないほうがいい。

この姿勢が、授業でも現れている気がした。なにか変なことを発言して、みんなに「なにそれww」って思われたらどうしよう。誰かに反論されたらどうしよう。ちなみに、英語ができないアジア人は私だけだ。みんな英語はとても流暢に話す。それでも、ほとんどのアジア人はやはり押し黙っている。

私も、結局典型的な日本人だ、ということを、この学期を通して思い知らされた。いつも、一番前の中央の席に張り切って座って、誰よりも前のめりになって教授の話を真剣にきいている(聞き取れているかは別)のに、発言しようと思うと、本当に馬鹿みたいなのだが、震えるのだ。どうせ誰も私が何を言ったって、気にしないのに。英語がへなちょこすぎて、そもそも言いたいことが頭にあるのに言葉にできない事が多い。英語で言葉が浮かんだとしても、みんなのレベルに見合うことが言えるだろうか、みんなの時間を無駄にしてしまわないか──。いざ発言しようと思うと、ぐるぐるいろんなことが頭に浮かんでくるのだ。それでも頑張って発言をすると、教授が「それはおもしろい意見だ!」とか言ってくれて、泣きそうになるほど嬉しかった。しかし、6割以上は、「あのとき勇気を出して発言すればよかった」とトボトボ家に帰った。誰も気にしない、大丈夫だ、どんなへなちょこな事を言っても大丈夫だ!と自分に何度言い聞かせても、なかなかその思考の癖が抜けない。そんな自分が、なにより情けなかった。それが、この学期一番の反省だ。

2023年はもっとカラフルに。力強く。

2022年の振り返りと2023年の目標をマインドマップにしてみた。試しに書き出したらとまらなくなってしまって、紙いっぱいになってしまった(下から書き出したから、上に行くほど詰まっている)。

真ん中に書いたのは、2022年に開いた扉と未来につながる階段。


2022年は、新しい世界につながる扉が開けた年。その向こうには、見たこと無いほどカラフルでエキサイティングな階段が続いていて、険しくて登るのは簡単ではないのだけど、でもそれでも一所懸命に登れば登るほど、間違いなく成長できてる!という感覚が得られる最高に楽しい道のりだった。

坪田先生が昔、慶応受験本番直前で不安で押しつぶされそうになっていた私に一通の手紙をくれた。そこには、こんな言葉があった。

人間は、高い壁を目の前にすればするほど大きくなります。逆に、低い壁を簡単に乗り越えれば乗り越えるほど小さくなります。今、君が目の前にしている壁は、君の年齢にしてみれば非常に分厚くて大きな壁だと思う。多分、現時点では日本一の壁だ。そして今、その壁を乗り越えようとしている。少なくとも90%は乗り越えている。だけど、ここからあと10%を乗り越えられるかどうかは、本当に「気持ち」次第なんだ。・・・僕は、さやかちゃんならできると信じている。

【ビリギャルが、またビリになった日】第2章「坪田先生の手紙」より

17年前、私は自分の世界を広げたくて、坪田先生みたいなかっこいい大人になりたくて、大学受験に挑戦した。そういえば、今回も全く同じ動機だった。そして、今回もまた、圧倒されそうなくらいでかくて分厚い壁だった。難易度は格段に上がったけど、だからこそ見える景色も日々変わる。ちゃんと前進できている自分のひとつひとつの決断と実行力を誇りに思うし、こういう生き方が面白いんだよって教えてくれた恩師に、何回目だろうって感じだけど、今日もまた感謝している(たぶん一生し続ける)。

そして、いつもどんなときも私を信じて、私を尊重して応援してくれる夫のりょうちゃんと家族、友人たちにも、心から感謝したい。そして、私の個人的な挑戦を応援してくれてるフォロワーのみなさんにも、この場を借りてありがとうを送りたいです。言葉のちからって本当にパワフルだから、本当に励まされました。ありがとう!来年も、自分を適度に追い込みながら邁進したいと思います!!自分の人生、今年もみんなで堪能しよう!今年もよろしくお願いいたします!!(さっきニューヨークも年越した)
Happy New Year!!

追記(2022年11月に本を出版しました!)

実は、11月に新しい本「ビリギャルが、またビリになった日」という本を出版しました。この本は、2018年に出した「キラッキラの君になるために −ビリギャル真実の物語−」を、現在の私の目線で少しだけ修正、さらにコロンビア教育大学院にいくまでのお話を大幅に加筆した一冊です。

大学院でまた圧倒的ビリになったわけだけれども、これ全然悲しいお話ではなくて、「ビリ」はもはや勲章みたいなものだと私は思っている。しかも、自らビリになりになりにいっているのだから、これは紛れもなく「挑戦した証」なのだ。「私もビリギャルになる!」といって頑張っている多くの後輩たちが、ビリギャルという言葉を単なる「ビリでギャル」という意味ではなく、「かっこよく生きてる人」という意味の言葉にしてくれたから。愛着を持って、このタイトルを付けました。

この本は、親御さんや先生にこそ読んでほしい一冊です。子どもにやいやい言う前に、大人こそ学ぼうぜっていうメッセージを込めました。それが、最強の英才教育になると、私は信じています。

「教育とは憧れだ」と、私は恩師に学びました。だから、今もこうして私は学び続けてる。子どもたちひとりひとりが、かっこいい大人に出会える経験ができますように。その経験は、子どもたちの人生を変えます。かつての私のように。


追記の追記(お陰様で大好評!早速重版が決まりました!!)

お陰様で出版一ヶ月で、早速重版が決まりました!!!ありがとうございます。この本が、ひとりでも多くの誰かの、背中を押せるような一冊であれますように。引き続きよろしくお願いいたします!!


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