見出し画像

夏のひとり旅大冒険記〜オーストリア・ウィーン編〜

前回の続き。

大矢さん(前記事参照)にゴリ押しされて急遽決まったウィーン行き。ウィーンといえば、ウィーン合唱団、モーツァルトやベートーベンなど、私のような者でも恐縮ながら存じ上げている音楽家たちが活躍した街として知られる、芸術の都である。

街全体が美術館みたい

まずはこの国の歴史を、ちょっとだけおさらい(っていうか知らなかったごめんなさい…)(私日本史選択だったからっていうありきたりな言い訳添えとく)。


政略結婚によって栄えたオーストリアの歴史

その昔、いまのドイツとかオーストリアらへんに「神聖ローマ帝国」っていうつよつよの国があった。あるとき、地方の弱小貴族だったハプスブルク家のルドルフ一世って人が「操りやすそうやんあいつ」という理由で、突然この神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれちゃった。しかし、このルドルフ一世が割とやり手で領土を増やし、その後に続く皇帝たちも政略結婚をさせまくって富と権力を拡大し続けた。

「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」

ハプスブルグ家の家訓

当時の王子様やお姫様は自由に恋愛できなかったんだね、すごい時代だ。

こうしてこのお金持ち御一家は、戦争もせずに政略結婚によって領土をどんどん増やし、ヨーロッパ随一の名家に上り詰めた(すご)。

日本で人気のミュージカル「エリザベート」ってあるよね(私が好きな山崎育三郎さんが出てるやつ)、それもこのハプスブルク家に嫁いだお姫様のお話。

このエリザベートはすごく、それはもうものすごく綺麗だったのもあり、15歳のときに皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(当時23歳)に一目惚れされて結婚するんだけど、彼女は結婚後も公務も規律も嫌いでずっと旅したりしてた破天荒なプリンセスだった(ちなみにふたりの母親は姉妹で、ふたりは従兄妹だったらしい)。

そして最後は謎の理由で暗殺される。この美しく破天荒で、しかし決して幸せとは言えなかった生涯を送った当時ではとても稀な存在、自由を追い求めた皇妃エリザベートは、オーストリアでいまも「シシィ」という愛称で愛されている。

Sisi美術館

16人の子を持つ女帝

オーストリアの街を歩いていると、もうひとりよく名前を耳にする女性がいた。マリア・テレジアだ。ハプスブルク家に男子が生まれなかった代に女性として王位を受け継ぎ、政治を行った有名な女帝。当時では超激レア恋愛結婚をして16人(!?)も子どもを産んだ彼女は、家訓を守って自分の子どもたちに政略結婚させまくり、その力を強めたと言われてる(フランスのルイ16世に嫁いだあのマリーアントワネットも彼女の娘のひとり)。超保守的な性格だったけど、マネジメント力に長けていて強力なリーダーシップで様々な政策を打ち出し、国を治めた。

マリア・テレジア広場にそびえ立つ石像
女は強いよ

とまあ色々ありつつ実に650年(長っ!)にも渡ってこのハプスブルク家が統治してたんだけど、フランス革命(身分制やめて平等な社会目指そうぜ運動)が起きて、身分制バリバリの政治やってたオーストリア的にはやべえ流れ止めなくちゃってなことでフランスに牙を向くんだけど、戦の天才ナポレオンが出てきてこてんぱんにやられて弱りまくり、その後第一次世界大戦で完全に息の根を止められる。

その後もヒトラーによってドイツ統合されたり色々あったみたいなんだが、このへんちょっとごちゃごちゃしててよくわかんないから詳しくは誰か他の人に聞いてください(!)。

なにはともあれ、現在のオーストリア、私が行ったウィーンは、歴史的な建造物もゴロゴロ出現しまくるし、芸術の都市として今も栄えている(突然の雑なまとめ)。

これはローマ帝国のときのもので、あるときひょっこり出てきてびっくりした遺跡らしい
こういう建物がごろごろでてくる

日本人のハブNIPPON-YA

ウィーンですごくお世話になった人。あゆみさん。初めてお会いしたくせに、お嬢さんのお部屋に泊まらせてもらったり街中をガイドして歩いてくれたり、いろんな方を繋いでくださったり、大変お世話になってしまった。

また絶対会いたいあゆみさん。昔ガイドもされていたらしく、あゆみさんの話をききながら街を歩くと映画見ながら散歩してるみたいでめっちゃ楽しい
シュテファン大聖堂。カトリックの教会はこんなふうに華やかで、プロテスタントの教会はもっと質素なつくり。
祭壇は太陽があがる東に向いていて、
西側は暗くなると悪魔が寄り付くから魔除けでライオンがいる(見える?)
とにかくもう彫りまくってる
当時は建築家や彫刻家が前に出ることはあまりなかったんだけど、この教会にはアーティストたちが「これ、僕が創りました」とちゃんと主張してる。
ほら、ここにも。

あゆみさんのお父さんは、「ヨーロッパに日本食を広めた人」なんだって。1960年にドイツへ飛び、ヨーロッパで初めて日本食レストランを開店した。今でこそ日本食は無形文化遺産に登録されていて、世界中どこに行っても日本食Loversに出会いまくるが(ニューヨークにはどう見てもなんか違うSUSHI屋が至るところにある)、当時はまだ誰も日本食なんて知らなかった。あゆみさんのお父さんは、「食文化を通じて欧州諸国に日本への理解と親しみを深めてもらう」という想いでウィーンに「NIPPON-YA」を開店したり、ミュンヘンオリンピックで選手に日本食を振る舞ったりと、長きにわたり日本食普及に貢献した立役者。

NIPPON-YA!!ニューヨークでも買えないような日本のものがたくさん売ってる。

お父さんが亡くなった今も、娘のあゆみさんが引き継いで、日本人コミュニティの重要なハブになっている。

あゆみさんとあゆみさんのお嬢さんとウィーンの伝統的なごはんを。ウィーンってごはんおいしいんだね、知らなかった。

ウィーン滞在は2泊3日だったけど、あゆみさん御一家のおかげでとても濃い時間を過ごせてしまった。あゆみさんの娘さんと庭園の中にある素敵なレストランにランチをしに行ったり、

すぐそこはもう畑
この皮がカリッカリの豚のやつ、ドイツでも食べたけど山わさびみたいなやつと食べるとめっちゃ美味しい…

ど素人、本物の芸術に触れる

そしてウィーンといえばやはりオーケストラは見ておかなくちゃ、ってなことで、前日にチケットを急遽とった。が、5ユーロの席(というか立ち見エリア)しか残ってなくて、開場30分前に入り口に張り付いて並んで、扉開いたらダッシュして最前列を陣取ることに成功。

隣になったおばさまはこの立ち見エリアの常連らしく、自分が立っている前の柵にブルーのリボンを結んでいた。どうやらそのリボンがあれば、少しその場を離れても、そのリボンの前に戻ってきて最前列で見ることができるらしい(たぶん常連客が勝手につくったルールなんだろう)。毎月オーストリアの別の街から何時間もかけて見に来ているのだそう。「座る席は高すぎて買えないけど、ここで聴けるだけで十分だわ、私にとって一番贅沢な時間なのよ」と話してくれた。

音が隅々まで響き渡るように計算されて設計された内装(もうなんかすごい)

このクラシック音楽の大ファンなおばさまの隣にいながら、私という人間は知識がなさすぎなまま聴きに行ってしまったのであった。

この日演奏されたのが「カルミナ・ブラーナ」という曲だったのだけど、なんとこれ1時間もあって、その中にはもういくつもいろんなシーン(そう、曲なんだけど、もう物語なんだよね)があって、私はてっきり色んな曲をやってるんだと思って聞いてたの。そしたら、冒頭に聞いたメロディーが最後にまたでてきて、それで「え!同じ曲ずっとやってたんだ!」とひとりとんでもない衝撃を受けていた(たぶん知らなかったの会場で私だけと思うね)。反省した。

知識がないにしても、もうすこし下調べをしてから行くべきでした。ただ、本当に演奏はもうそれはものすごい迫力で、鳥肌がとまらない。次はもっと勉強してからいこうと思う。

奥深いね、芸術というのは(やっぱり今もよくわかっていない)。

※カルミナ・ブラーナはこの曲です↓ 


日本人音楽家のみなさま

この日たまたま日本人指揮者・佐渡裕さんが指揮されていた。佐渡さんは現在ウィーンを拠点に世界で大活躍されている大注目の日本人指揮者さま(この佐渡さんは、なんとあのNIPPON-YAさんの上の部屋をかつて借りていたことがあるらしく、部屋を離れるときはあゆみさんのお父さんに鍵を預けていたらしい…!)。

佐渡さんについてツイッターであげたら、

たぶん演奏者さんなんだろうな、こんなリプライがあった。

最近思うんだけど、アイドルにしても経営者にしても音楽家にしてもウェイターさんにしても、その空間に一瞬でも関わる誰かにそこへの帰属意識を持たせ、楽しい!幸せ!!って、心からなにかが湧き上がる感覚を引き出してあげられる人が、カリスマなんだなあ、って思うのです。

佐渡さんも、きくと「めっっっっっちゃくちゃいい人」で、人望のある人格者なんだとか。すごいね、指揮する人が違うだけで奏でられる音楽が全く違ってしまうのは、テクニックなどもあるのだろうが(すいませんやっぱりど素人すぎて言葉すら見つからない)演奏者さんのモチベーションや自己効力感が瞬間瞬間で変わるからなんだろうなあ。私もいつか、そんな強い、楽しいチームつくりたい。

最終日、これまたあゆみさんに誘われて「オペラの勉強会」に参加。オペラって見たことないのだけど、みなさんのお話きいてて、ニューヨークで見てみようと思った(ニューヨークにも素晴らしいオペラハウスがあるらしい)。

世界で活躍されているオペラ歌手の方や演出家のみなさま

基本的にオペラってイタリア語かドイツ語なんだそうで、そんな分野で日本人が役に選ばれたりするのは本当に奇跡なのだそう。それだけ、血の滲む努力を長年されてきた方々。

受験って究極暗記しまくった人が勝ちなところあるけど(つまりモチベーションの問題がでかい)、こういうアートな世界って、それこそ元々持っている素質やキャラクターも重要で、いかに自分が持っているものを鍛えて伸ばすか、みたいなこともキャリアに影響してくるんだろうなあなんて、いろんなことを考えながらみなさんの話をきいていた。

私達は「本物」を知らない

それではさいごに、みんな大好きウインナーについて言及してこの記事を締めくくるとしよう。

私にとってウィンナーって、タコさんウィンナーとかアルトバイエルンとかそんなんが一番に思い浮かぶのだが(大好き)、ウィンナーの故郷はここ東ヨーロッパなんだとか。

その昔、ドイツのお肉屋さんがこれにお肉詰めたらどうかね?とこの細長いやつを開発し、その場所はドイツのフランクフルトだった。だから、これの正式名称は「フランクフルター」っていうらしい。だけどなぜかドイツ人と日本人はこれを「ウィーンナー」と呼ぶ(なんでや!!)。

ちなみにこれはホテル・ザッハーで発明されたソーセージだからザッハー・ヴュルステルと呼ぶらしい(名前…複雑過ぎ…)


私達、「本物」を知らなさすぎるね。伝言ゲームみたいに、本来の意味姿形は、広がれば広がるほど元々のそれとはどんどん離れて行ってしまう。それが生まれた背景や意味を知ってはじめて、本物を味わえるのかもしれない。

「本物」をたくさん経験させてもらった、素晴らしいウィーン滞在になった。あゆみさん、みなさま、ありがとうございました!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?