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読書記 『語彙力こそが教養である』(著者:齋藤 孝)

こんばんは、さやか先生です。
まだ読みかけなのですが、齋藤孝さんがあまりにもすごいので(←語彙力)、感想を書き記したいと思います。

早速、語彙力のなさを披露したのですが(苦笑)、齋藤孝さんがどうすごいかというと、
・語彙力のレベルの評価基準が高すぎる
・インプット量が多すぎる
・レベルアップ方法の難易度の高さと種類の豊富さ
・シンプルに知識量
こんなところでしょうか。

私自身、本を読んだり、知らない語彙は調べたりして、語彙力の向上に努めているつもりでしたが、全く足元にも及びませんでした。。

では、語彙力が低いとどういった問題が起こるか。

語彙力が高い人と低い人は同じ言葉で会話することができず、語彙力の低い人が理解できる簡単な言葉に置き換えて"意訳"する必要がある、ということのようです。

語彙力が高い人は、今この状況を端的に伝えるベストな表現を持っているのに、それが相手に伝わらない。
結果、ニュアンスが伝わらないだけではなく、会話のテンポにも影響を与える。まるで外国語を扱うみたいですね。

でも実は、この言っていることが伝わらない現象、私も日頃感じることがありまして、以前この図を作ったことを思い出しました。

語彙力の低い人
語彙力の高い人

1枚目が語彙力の低い人の語彙のイメージ、2枚目が語彙力の高い人のイメージです。

周りの人と会話していて、言葉の意味を曖昧に使う人が多いな、と感じていた時にこの図を思いつきました。

この本を読んで認識したことは、結局、同じくらいの水準(語彙力)の人としか関わらなくなる、ということです。

考えてみればそうですよね。言葉の通じない人とは話していても楽しくないですもんね…

以前、「IQが20違うと会話が通じない」という説を聞いたことがあるのですが、これ、少し不思議に感じていたんですよ。

高い人から低い人へ伝えたいことが伝わらないのはなんとなく理解できるのですが、低い人から高い人へ伝えたいことは伝わるのでは、と思っていたからです。

でもそれが少しだけ、理由がわかったような気がしました。
語彙の少ない人は、すごい、とか、やばい、とか浅い言葉でしか表現できないから、それもまた然りなのだろうな、と。

私は理系出身ということもあり、齋藤先生のような、サラブレッドの文系で、しかもその分野を極めたような方と関わる機会がなかったので、一流の方の極めっぷりにただただ驚くばかりでした。

少しだけ紹介させてもらうと、テレビを倍速で見ながら本を読むそうです。もしかしたら耳で気になったワードを拾っていくのかもしれませんが、常人ではありません。

ところで、世の中には、全く読書しない人もいますよね?

これを読むような熱血的なnoteリーダーの皆さまには関係のない話かもしれませんが、私の周囲にはいると思っています。
残念ながら、読む人と読まない人では、差が広がるばかりで、その差を埋める手立てがありません。

でも、いつからでも学べるのもまた、人生の面白いところかな、と。
30代の若輩者ですが、そう思っています。

せっかくなので、KADOKAWA公式サイトも掲載しておきますね。
「語彙力こそが教養である」著者 齋藤 孝

それでは今日は、この辺で。

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