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譲れないもの。それは信念?それとも執着?

「譲れないものは何ですか?」

この問いで浮かんだのは「譲れないもの」というより、新たな問いでした。

「譲れないものって、信念を貫いている感じと何かに執着している感じと、似て非なる意味がある気がするな」

「信念と執着はどこでどう違ってくるのだろう?」

ということで、まずは言葉の定義から調べてみました。当たり前に使っている言葉でも問いに答えようとすると、「そもそも信念と執着ってなんだっけ?」と思ったので。何かについて考えるとき、言葉の意味から考えることが私は多いです。

しん‐ねん【信念】の解説
正しいと信じる自分の考え。「—を貫き通す」「固い—」
宗教を信じる気持ち。信仰心。

goo辞書より

ここで新たに「信仰」という言葉が出てきたので、そちらも調べました。

しん‐こう〔‐カウ〕【信仰】の解説[名](スル)《古くは「しんごう」》
神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「—が厚い」「守護神として—する」
特定対象絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への—」「ブランド—」

goo辞書より

つまり、自分が正しいと信じる考えや気持ちを心のよりどころにしている状態を信念と呼ぶのですね。

執着の意味も調べてみました。

しゅう‐ちゃく〔シフ‐〕【執着】の解説
[名](スル)《「しゅうじゃく」とも》一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。「金に—する」「—心」

goo辞書より

この意味から考えると、例えば「お金に執着する」状態って、お金が主人で心が後回しになってしまっているのがイメージできます。

逆を考えれば、信念は心が先にある状態だと思いました。心を成り立たせるためにお金や人間関係、モノがあるだけで、そこに従えるのではなく、まずは自分の心が基準になっていないといけないんだと。

常に自分起点で物事を見ているのであれば、何かに心をとらわれずに済むはず。

だから、やっぱり自分が日頃から何をどう感じているのか、どんな価値観を持っているのかを知ることが大事になってくるのですよね。

ここまで書いて、結論は「自分を知ることが大事」という、よく聞く話になってしまったなと思いました(笑)。

人によっては信念と執着の違いは当たり前のように区別がついている人もいると思いますし。

ただ、自分の中できちんと腑に落とすにはこうして文字にしてみることが必要でした。

私はこれで、やっと最初の問いである「譲れないものは何ですか?」を考えることができます。

このような徒然なるまま書いた文章を読んでくださった方がいたなら、ありがとうございました。

今度は、信念としての「譲れないもの」を自分の中で探求してみます。





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