コミュ障のあれこれーどうでもよくなる時のはなし

私は昔から「苦手なことをできるようになりなさい」と教わったことがありません。

「できないんだから頑張るな」と色んな人から言われてきました。反対に「当たり前だからできるようになれ」と言って来た人とは時期が来たら疎遠になりました。それでも頑固だった私はいつまでも何故か「できないと愛されない💦」とビクついてできるように努力してきました。でも疲れるだけでした。

それでいつの日からか「できなくていいんだ~テヘペロ」とフワ~っとしてたら楽になりました。

そのうちに、たまに出現する、出来ることを求めてくる人から「出来ないの?」と言われると、相手に気遣いをした細やかな話し方をしたいのですが元々言語化が苦手なコミュ障でそれも出来ないため(笑)、「できないです」とそのまま伝えるようになっちゃいました。

あまりに何回も言われすぎるとだんだん困ってしまい、私が出来ないことが問題というよりは、相手の、「相手を責める」というエネルギーのみを感じてしまい、私のテンションはガタ落ちになり、顔から表情が消え、コミュニケーション能力が完全にシャットダウンしそうになるので、どの状態で相手と話をしなければならなくなります。そうなると相手の方は察してくださることが多いです。

そうやって、気づいたことがありました。

出来ても出来なくても、どちらでもいい。どちらでもいいので、頑張るのも自由ですが、出来ないこと(私の場合は料理など)は「出来ない」と認めること。人といるときは特に頑張って相手を信頼して勇気を出して認めた方がいいです。そしてできることは楽しんでやること(たまに仕方なく)です。

「出来ない自分でいい」と許可していると、不思議と周りに同じような人がいる環境に行ったりします。そういう人とのご縁が増えます。周りにいる、「私はこれでいい」と堂々と生きている人を見るのは快感です。

苦手なことってほんと頭が回らない。社会にいると自分が苦手なことを完全に回避して生きることはできないですが、「苦手でもいいんだ」と自分で認めて人から認めてもらうことを頑張った方が、心で感じる感覚が鋭くなるので、選ぶものも変わっていき、本当に自分がやりたいことへと向かっていくようになります。

たまに色々言ってくる人はいるでしょうが、真に受けないで、「あぁこの人とは住む世界が違うんだな」と捉えます。そして、気持ちが沈んだ状態をできるだけ隠さず相手に見せることです。そして相手にフォローしてもらいます。

感情がダダ漏れしてしまう時は、私が私に嘘をつかず正直に生きている状態が素直に表れている時なので、とてもいいと思います。

そして自分がその状態になり、自分と相談し、その環境が自分にとって未来はないな、と感じたら、さっさとその場を去ります。そしてまた環境を求めて探しにいきます。

自分を人生の王様として許可して堂々としてみると、その世界を外側に見るようになって、さらに自由に、さらにわがままに、進化してみたくなります。

これは、もともとの私の「気にする」性格が、自由な感覚で生きていく健全な向上心のために必要な「もうどうでもいいわ」という対極の感覚を取り戻していって、完成に近づきたい(バランス)、という欲求なのかなとも思います。

それを「辛い」という感情がずっと教えてくれていました。

自由を追求するのも楽しいです。

お読みいただき、ありがとうございました。何かの参考になれたら嬉しいです。

sayaka




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