決める大切さ

色々な問題や、おかしいな?ということが、この頃多発した。

私もついイライラしてしまい、「なんでなんだろう?」と考えた。

問題の根底は、「責任の所在は?」ということなのだが、責任を取るべくやることをやっていたとしても自分の考えややり方が正しいわけではない。

目の前に起きることに冷静になれず、感情が揺れ動かされるのは、必ず自分のなかに問題の原因があるからだ。

その正体はなんなのか。何周も何周もひたすらぐるぐる思考が駆け巡る。

辿り着いたのは「自分が不安だった」からであった。

何をやれば良いかも分からない、どうすればいいか分からない。だから分かることからはじめて、人に聞いて、整えて、何をすればよいかまで辿り着いた。

けれど、スタートに分からないという不安があり、それを自分自身に見つめてなかった。

だから、もうあとはやるだけにも関わらず、周りの「なにをすればよいのか分からない不安」と同調してしまい、感情が揺れてしまったのだ。

やろうとしてるのに、がんばろうとしてるのに、「なんで、私のやる気をそぐことをいうの?」と、自らの思考の罠にはまってしまった。

周りはただ不安なだけで、私がどう思うかなんて関係ない。なのに、私は人のせいにしてしまい、あたかも自分が完全に正しいかのような自己肯定をしてしまいたくなったのだ。

私の足りなかったのは「決意」だった。

やり遂げる、という最後の決意がなかったので、スタートに感じた不安に支配されて、「ここまでやったのに、なんでまだそんなことをいうの?」なんていう被害妄想に襲われたのだ。

決めること、決意すること、決めたのならばやりきること。

それを改めて自分に刻んだ。

私の不安のせいで、周りに迷惑をかけてしまったのは申し訳ない。

自分を見つめるのは、やっぱりなかなか難しいなぁと反省の今日でした。

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