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誕生日、そして特別な日

先日、誕生日を迎えて30歳になった。
20歳を過ぎた頃から、歳を重ねても「1つ歳をとったんだな」とか「もう1年経ったのか」と時間の経過にばかり意識がいくようになり、お祝いごとという感覚が薄れていった。

もちろん家族が祝ってくれたり、友人がメッセージを送ってくれるのはすごく嬉しい。
ただ、歳を1つとったとしても、日常が大きく変化することはない。

小学生の時はあんなに誕生日が待ち遠しくて、1つ歳を重ねただけで何だか自分がとても大きくなったような、大人に近づいていく感覚が楽しかった。
あの頃の感覚はもうないけれど、30歳の誕生日は私にとって少しだけ特別な日だ。

「自分の誕生日は産み育ててくれた両親へ感謝する日」なので、早速朝のうちにLINEで両親へメッセージを送信した。
もちろんのことながら、この考えは友人から拝借したもの。
私にはこんな素晴らしいこと思い浮かびもしない。
友人に倣って父親と母親それぞれにメッセージを送信する。

感謝の気持ちを伝えるのは、どうしてこんなにも恥ずかしいのだろう。特に家族であれば尚の事。
何だか心がむず痒くなるのを感じながら、自分の気持ちを言葉にして伝えた。

自分の誕生日。両親への感謝を伝える日。
そして、もう1つ私にとって大事な日でもある。
祖母の命日。
昨年、私の誕生日に大好きな祖母が亡くなった。

上京した当初は必ずお盆や正月に地元へ帰り、祖母にも会いに行っていたのに、東京で過ごす時間が長くなるほど地元へ帰る機会が減っていった。
祖母に会ったのも1年ぶりだったと思う。
祖母が倒れたことを聞き、地元へ向かった。

自分の記憶にある祖母の姿よりも更に小さくなった身体がベッドに横たわっている。
祖母は左半身不随となり、ベッドで1日の半分以上を寝て過ごしている状態になっていた。

目が覚めた祖母と視線が合わさった時、何とも言えず嬉しそうな顔をしてくれた。
私の大好きな祖母の笑顔。
何かを伝えようと口を動かしてくれるのだが、左側が麻痺しているため喋ることができない。
あの時伝えようとしてくれていたことは何だったのだろう。

死に目に会えたといえば会えたが、言葉を交わすことができなかったことが悔やまれる。
どうしてもっと会いにいかなかったのだろう。
後悔先に立たずとはよくいったものだ。

誕生日の朝、祖母が亡くなったことを聞いた時は、なぜ今日なのだろう、と悲しさと少し恨めしさが混じった複雑な気持ちだった。
1年経った今、その気持ちは嬉しさへと変化している。
誕生日が命日、絶対に忘れることがない。
祖母との思い出を振り返りながら、自分の生誕を祝う。いい日じゃないか。

今年、記念すべき日の食事として、特製ソースを作りトマトを食べることにした。

特製ソースとは名ばかりで、ただマヨネーズとウスターソースを混ぜただけのもの。
因みにウスターソースはカゴメのものがいい。
サラサラしたソースがマヨネーズとよく絡み、ジャンク感のある美味しいソースが出来上がる。
トマト農家だった祖母の定番の食べ方だ。
祖母の写真を前にして、トマトを特製ソースにつけて食べる。

美味しい。
懐かしい味が口の中に広がる。トマトは祖父母が作った方が美味しかったな。
口の中でこってりしたソースがトマトのさっぱりした味と合わさって何ともいえないハーモニーを奏でている。
「思い出」のスパイスも入っているから、余計に美味しい。

誕生日に思い出の味を食べる。毎年の定番にしよう。
そう心に決めながら、1口1口噛み締めて食べた。
きっと祖母も側で笑いかけてくれている。
明日の、これからの1年の、活力になる。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
祖母との思い出についてふと書きたくなり、noteへ投稿しました。
トマトと特製ソースについてエッセイを書き、「かがみよかがみ」さんのサイトへ応募したところ採用されて配信されております。
お時間ある時にそちらも見ていただけると嬉しいです。

会社に出勤して、帰宅して、朝になってまた出勤するという日常のループの中で、ちょっとした特別なことをする時間が、また日々を過ごす活力になるのかなと感じました。
思い出の味がある方もない方も、自分にとって少しだけ特別なことをする(食べる)、そういう時間を取り入れてみるといいのかもしれません。
あ、私が言わなくてもすでに知ってますね。
文章の終わらせ方が分からず、だらだらと失礼しました。

記念日の方も何でもない日の方も、今日がご自身にとっていい1日となりますように。

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