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「野口さんみたいに笑うよね(笑)」

「は~い、そこの眼鏡の彼女、もっと笑ってね~~、
はーい、もっと笑おうか~。」
先週、大学でサークルの集合写真を撮った時の一コマ。
カメラマンさんは、いつまで経っても笑わない私を急かす、急かす。
今日は笑えない私と家族の話。

私は大人になった今でも上手く笑えない。

小学校時代から、
「もっと笑おうか。」と担任にいじられるくらい、笑えなかった。
いつも無表情。
挙句、友達から「なんか怒ってる?」と言われた。
生きている中で笑わない時間が圧倒的に長すぎて、
デフォルトで微笑んでいる、笑っている、和やかでいるという
機能を失った。

笑えなくなったきっかけは思い出せない。
ただ、いつも自意識過剰なほどの警戒心の中でこわばって生きていたから、両親から次はどんな言葉がとんでくる?なにを言われる?何をされる?
両親は笑ってる?そんなことしか気にしてなかった。

家族じゃなくて、「敵と私」

何度も傷つく言葉を投げかけられた次の段階に進むと、
いつも私を傷つけてくる両親は私の「敵」なんだと思うようになる。
幼稚園でも、小学校時代も、中学に入っても
「家族」というグループではなく、
「彼ら」と「自分」、
「養い、苦しめる側」と「養われ、苦しむ側」という構図になった。
「憎むべき存在」と「自分。」でしかない。
生んでもらった感謝も無し、
「子供は親を選べないというけれど、親だって子供のことは選べないんだからね!!!」と吐き捨てる人間を「家族」と思えたことは無い。

かわいそうに。
親を選べないばかりか、子供も選べなかったんだね。

さて、こんな屑みたいな人間でも
親から「おまえなんか生みたくなかった」いわれるような人間でも
居場所を、私が存在することを認め、許容してくれる人間もいる。
すごく、心の底からありがとうを伝えたいし、
誰かに存在を許容されるというのは、
涙がでるくらい安心感があるものなんだと知った。

もう、自分に笑うことを強要してくる人間じゃなくて、
皆みたいにガハガハは笑わないけど、
ずっと無表情だけど、時々本当はクスクス笑ってるよね。(笑)
」と。
彼女は、私に「なんか野口さんみたいな笑い方するよね。(笑)」と
言ってくれる。
そうやって私に理解を示そうとしてくれる人間と一緒にいたい。

そういう人間と生きていく準備がしたい。
勝手に産み落とした癖に、「おまえなんか」と言う
人間とは一緒にいたくない。
私は両親のサンドバックじゃないし、
手綱は自分で握る。


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