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居場所を探して
日本で新生活を送り始めた人、どれくらいいるんだろうか。
大切だった場所から、新しく違う世界に踏み出した人たちは、もう居場所を見つけられたのだろうか。
春から新生活を始めた私は、持ち合わせていた陰キャを存分に発揮し、なかなか人と話すことが出来なかった。業務中で目的があれば話しかけることが出来るのに、何となく休憩中に話すことが苦手で、休み時間はトイレの個室にこもってTwitter(xか)を見ているかぼーっと漫画を読んでいるかだった。
そんな私が最近気になっている人がいる。
1人だけ突出して面白い子がいるのだ。何がいいって、使う日本語が全部柔らかい。本人に自覚があるかは分からないけど、とっても可愛い人。今どきなかなかいない、人を不快にさせないきらきらとした純粋な天然さと、たまに気遣いができる優しさ、自分の興味に真っ直ぐでなんでもやってみてしまう少年のような幼さ、目標に向かってひたむきで、目立つのにいやらしくない純朴さ。精神的な幼さ。あっという間にみんなの中心になっていった。居場所があって楽しそうだった。そりゃそう、人として魅力的すぎる。ズルい。
「こういうキャラでうっていくのもアリかな」なんて言ってたけど、きみそこまで器用じゃないじゃん、なんて思いながら私はどうだろうと見つめ直す。
私は彼のように生きたかった。
醸し出されるあたたかくて柔らかな雰囲気に、触れていたくて、私に無いものが欲しくて、でも遠くで見つめることしか出来なかった。
気づいた。自分じゃあれは出来ない。
自分に無いものを欲しがっても捕まえることも出来ないし、成り代わることも出来ない。
私は人として「可愛く」ない。
私には何が残るんだろう、私しか無いものってなんだろう。
私は美しい言葉を判別できる。
私は言葉の色や形を見つけることができる。
最近知った自分の特技。自分なりの価値観だから、良いものかどうかは主観的なものだし、どう生かせるかは分からない。どう生きやすくなるのかも分からない。でも、自分で自分の居心地をいい場所を見つけるために、パステル色の言葉と日本語で、素敵な人たちと自分を結びつることができそうだった。
自分の場所は自分で作るものだ。受動的なものでは無い。運要素はあるかもしれないけれど、構築は自分でしなければならない。私は人より心を開くのが遅いぶん、自分でしなければいけないことが多いということを、きちんと自覚するべきだったのだ。
私は元々衝動的でおっちょこちょいで、直感的。人と話してる時は言葉が荒れやすい。
その代わり文字を書く時はできるだけ美しい言葉を選んで書くようにしている。いつかそうやって話せるようになるために。
って過ごしてたら同期からこんな連絡が。
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ちょっとずつなら居場所が出来そう。
今はできることを積み上げていかなきゃなのかも。
手のひらサイズの温かい場所が、大の字に寝っ転がって大声で笑って過ごせる素敵な場所になりますように。
いつか、彼のように人にたくさんのものを周りに与えられる人になれるように、今日も素敵な言葉を探して私は生きていく。
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