あの頃の母を抱きしめてあげたい

ムスメを寝かしつけたあと、
お風呂に入っているとき、
母と電話をすることがある。

普段話す「大人」が夫だけだから
たまに違う大人と他愛のない話をしたり、
ムスメの様子を見せてあげるためだ。



その日は、
ムスメの寝返りの時期が早いだの
ずり這いがどうこう話す中で、
私が生まれた当時の
母が書いた日記が発掘されたという話になった。

私が生まれて
4ヶ月目から1歳までの日記らしい。
私が風邪をひいた日や寝返りをした日、
一歩を踏み出した日のことが書いてあるという。

母は私に言った。
「父親と喧嘩したのも書いてあるわ」





父は、私の記憶の中では
仕事でほとんど家におらず
積極的に遊んでくれた記憶やお小遣いをくれた記憶がない。
それでも、父自身が行きたい場所に行くために
家族旅行という体で、キャンプや国内旅行は
よく行っていた方だと思う。

なのに、私は今日まで
父親を嫌悪するに至っている。

暴力があったわけでも
働かないわけでもない。
生活や進学について金銭的に不便はしなかった。
そういう点では本当に感謝をしている。

ただ、いわゆる「人間的な部分」で
どうしても認められないのである。

今でこそ距離を置いて
冷静に関係を保っているが
父親との関係は良好とは言えない。





おそらく父は
GIVE and TAKEでいう
TAKEを先にもらわないとGIVEができない人間で
コンプレックスゆえの自己愛が強い人間なのだと思う。

自身を丁重に扱ってくれる人間にしか
興味を持たず、与えなかった。






母の日記にはこうあった。
「お風呂に入れるのが大変で泣いてばかりいた。
 もう少し早く帰ってきてほしい」
「土曜日。早朝2時から父親は釣りに行ってしまった。今日も子供と2人きりか」
「もう少し子供に興味を持ってほしい、と喧嘩をして泣いてしまった」

ああ、やっぱり。
この頃から父親はこうであったか、と思った。





私もムスメを産んで分かったが、
子どもは大人がして欲しいことを与えてくれない。
まったく思った通りにはいかないし、
親はそれでもGIVEし続ける存在であるしかなく
GIVEを無意識に受け取り続けるうちに
子供はやがて親の愛に気づく日がくるのだ。
その時にようやくTAKEがあったら御の字。



しかし父親はそのGIVEができなかった。
だから、当然私はTAKEをする気にはなれない。

それはお金でも物でもなく、
気持ちの、愛の、GIVE and TAKEがないということだ。
きっと、ただそれだけなのだ。



世間的な「社会人」として
仕事をまっとうし、その対価を家に入れていた。
確かにそれだけでも立派かもしれない。

それがたとえ、ことあるごとに、
家のことを任せきりの母に
「俺の金だ、俺の建てた家だ、何が悪い」
「お前が働きたければ働けばいい(家のことはしない)」
と子供でも分かるモラハラ発言を繰り返していても。

娘である私の受験期に
家族の反対を押し切り
社員旅行で自分だけハワイに行ったとしても。

挙句、父親は家族旅行中に
旅館の台帳に娘の誕生日を書き間違え、
名前の漢字を書き間違えたとしても。


当時私は20代そこそこだったが、
ああ、本当にこの人は私に興味がなく
私と関わってこなかったんだな、と愕然とした。

娘としてのアイデンティティに
決定的に亀裂が入った瞬間だった。





生後4ヶ月の私を抱えていたあの頃、
母はどんなに心細かっただろう。
どんなに寂しかっただろう。

あの頃の母を抱きしめてあげられないことが
悔しくもあり切なくなった。


夫婦のことは夫婦にしか分からない。
それがたとえ両親であっても。


それでも、あの頃の母の気持ちを思うと、
その頃を乗り越えて今日に至る母の道程を思うと、
自身の父親に対する複雑な感情も相まって
なんとも言えない気持ちになるのである。

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