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アートをもっと楽しむために

大学で学んでみよう

仕事を辞めて時間もできたので、今まで見るばっかりだった美術を、改めて勉強したいなと思いました。ちょうど近場の京都芸術大学の通信教育部で、アートライティングが学べると知り、昨年春に入学しました。

思いのほか、テキスト読むのも、動画学習も、そしてレポート書くのも大変なんですが、好きなことを勉強しているので、興味をもって取り組めます。が、何せ年が年なので、せっかく勉強したことが、右から左に抜けていきそうで…。(実際、抜けている)

というわけで、こちらに「学びのメモ」を記し、定着を図ろうというわけです。よろしかったらお付き合いください。

「アート」って何だ?

アートライティングを学ぶにあたって、課題で問われた「アート」とは?そして「アートライティング」とは?

私は「美術が好き」とは言っても、「アートが好き」とは言わないなあ。なんでだろう…ちょっと当世風だから?

「アート」って、とても広い意味を含む言葉で、なかなか定義が難しい。以下は私の提出レポートから抜粋。

単なる「モノ」が価値を持つためには、人々や集団による共通の意味づけ、つまり文化というシステムに組み込まれる必要がある。この文化を継承し更新する活動が「芸術=アート」であるなら、私たちが現在認識している「アート」は、今の社会を如実に反映しているといえる。

「これってアート?」一般的な認識を超えた作品に対し、人がそのような疑問を投げかける。アートは、アートであると感じる人にとってはアートであり、そうは思えない人にとってはアートたりえない。つまり、アートとは、作品として提示されている「モノ」と観る人との間に結ばれた関係性を指すのではないかと私は考える。

私は、実際に存在するもの(見えるもの、触れるもの)としてのアートの力を信じている。そして、実際に自分で見たり、触ったり(は、あまりできないけど)、体験したりすることを大事にしたいのだ。

「アートライティング」とは?

私は、「アートライティング」の役割はこうじゃないかと思った。

「モノ」と関係性を結んでいない人に対し、その作品の背景や作家のバックグラウンドや、歴史的な位置付けや、優れた技法など、観ただけではわからない情報を提供することで、関係性を生み出しアートであると認識してもらうということである。

レポートの講評では、「アートライティングは既存の価値の転換にコミットするとも考えられる鋭い指摘」だと言っていただきました。

私の学びの場では、「アートライティング」も「アート」であると言ってくれます。私も、読む人に「アート」であると言ってもらえるよう、ライティング修行を積みたいと思います!

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