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私にとっての幸せの尺度

私はよく「どこを基準に、人の幸せとは定義ができるのであろう?」と考えることがある。

幸せとは目に見えないもの。だからこそ、幸せであるか、幸せでないかの基準は、その人それぞれに委ねられている気がする。

しかし、どうしても人々は「経済的なゆとり」を幸せの判断材料の一つに位置付けてしまっている気がする。果たして実際に経済的なゆとりは、人を最大限、幸福にさせるものなのであろうか。

経済的なゆとり=幸せなのか?

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きっと、経済的なゆとりは、ある一定程度、人々にとって、心のゆとりを与え、幸福感を高めることは事実であるかもしれない。

好きな物が食べられ、楽しい旅行ができ、欲しい物が買えるということは、確かに幸せである。そして、お金がなければ、もっとお金が欲しいとも感じる。一攫千金の夢を狙って、宝くじだって、買いたいと思う人もいるかもしれない。

しかし、ここで少し立ち止まって考えた時、私はこんなことを思うのだ。

どのくらいの経済的なゆとりが、私の幸福度を最大限に満たしてくれるのであろうか?

この問いに面したとき、私は感覚的に、幸せとは経済的なゆとりでは満たせない、また違った別の要素を含んでいるように感じるのだ。

そう思うのには、私が仕事をしている時の話に遡る。

就職したばかりの頃の私は、初めていただいたお給料がとても嬉しかった。貧乏学生から脱却できた自分にとても満足な気持ちとなった。これで、過去に一度も体験したことのない、ブランドもののバッグを買ったり、外食を思う存分したりできると思うと夢が膨らんだ。

しかし、お金を手にした私は、全くその気にはならず、むしろ、貧乏学生であった頃と同じような生活を維持していた。

シンガポールでお財布を買ってみた

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仕事をしているとストレスも溜まってくる。

よく人々は自分へのご褒美に高級品を買ったりして、ストレスを発散しているという話を聞いたりしていたので、私もせっかくだから、シンガポールへ行った時、ブランドもののお財布を買うことにした。

しかし、残念なことに、私にとって高級品を選ぶ行為はとてもストレスのかかる行動であった。

色々な気持ちが駆け巡り、どのお財布も良く見えなかった。

でも、一緒に付き添ってくれた友人に申し訳ない気持ちが勝り、「買わない」という決断ができず、最後は値段を見ずに、エイっと!決めた。

この体験から、私にとって、お金持ちになり、高級品を持つことは、あまり自分の幸せとは繋がっていないことが分かったのである。

今でも、私はこのお財布を使っている。やはり、高級な品物であるだけあって、全く壊れない。そして、私の価値観に気づかせてくれたお財布だけあって、使っていると、どんどん愛着も湧いてきている。

そういう意味で、このお財布は私にとって大切な物の一つだ。

私にとっての幸せの尺度はどこなんだ?

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あまり物欲の高くない私にとって、貯金が溜まっていくことは嬉しいことでもあったが、幸せとは少し違った感覚であったことは事実である。

お金は、生活をする上で最低限、必要なものである。借金はすべきことではないので、お金はあって損はない。しかし、お金があればあるほど、私は幸せになるかと言えば、そんな感覚にはならなかった。

では、私はどの時点で幸せであると感じられるのだろうか?

という、この問いは、私が今でも持ち続けているテーマの一つである。

だから、ある時私は一冊の本を買ってみた。それは「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」というタイトルであった。

それまで私はブータンが世界で一番幸せな国であると聞いていたので、この本を手に取ったとき、なぜフィジーなんだろう?と疑問に思った。

本を読み進めると、途上国らしいフィジーのおもしろエピソードがたくさん載っていた。日本では絶対にありえないことも、フィジーでは日常茶飯事に起こる得る。しかし、それでもいいじゃないか〜という大らかな様子が伝わってくる一冊であった。

その本を読み終えた時、私はなんだか笑えた。

そして、これは、幸せだな〜と思った。

私が求めているのは「笑い」なのではないか

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きっと私が一番幸せであると感じる瞬間は「誰かと笑っている時」な気がする。

人には、それぞれ異なった悩みがあり、辛い時や、悲しい時だってある。それは、この世に人間として生まれてきた以上、仕方のないことであると考える。

では、その悩みや辛いこと、そして、悲しみが、お金で解決できるのか?

と思うと、もしかしたら、悩みによっては解決できることもあるかもしれないが、解決できないこともあるだろうと感じる。

一方、笑っている時はどうだろう。

きっと、その笑っている瞬間だけは、誰もが、悩み・辛さ・悲しさから少し意識が離れ、夢中で笑えると思うのだ。もちろん、永遠に笑い続けることは不可能であるので、すぐに現実に戻ってしまうのだが、私は最低限誰かと笑っている時は、とても幸せだと感じる。

笑っていると、一緒に笑っていたい人が集まってくる。
笑っていると、辛いことも笑えるように工夫しようと考え始める。
笑っていると、お金がなくてもなんだか幸せな気がしてくる。
笑っていると、きっと人生が変わる気がする。

もちろん、経済的なゆとりは、心のゆとりであると言われるように、お金は私たちの幸福度に繋がっている可能性は非常に高いのだが、幸せの定義は経済的な豊かさだけでは測りきれない、要素を含んでいると私は感じるのだ。

それが、私にとって「誰かと笑っていること」なのである。

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