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私が大切にしていきたい価値観

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#幸せ

思い出を共有できる幸せ

嬉しかったこと 悲しかったこと 頑張ったこと あなたには、そんな思い出を一緒に振り返ることができる相手はいますか? 私は、もし人生でそんな相手を一人でも見つけることができたなら、きっと素敵な人生になるような気がするんです。 だって、楽しかった思い出を共有できる相手が一緒にいることって、お金持ちになることよりも、社会的な名誉を得ることよりも、何よりも幸せなことだと思うから・・・。 渡英前、最後のお寿司屋さんで・・・この文章を書いている私は、今イギリスの大学院で博士課程の

相手を思いやる気持ち。20万円の時計のプレゼント

ーー2021年海の日。 私はいつものように朝起きて、食パンを口にしていた。 そんな私に、突然母がこう言った。 今日、牡蠣を食べに行こうってお父さんが言ってる。 「っげ!!牡蠣を食べに3時間のドライブ!?」 「しかも、それをその日の朝に言う?!」 なんて、心の中でふと思ったのだが、父のやる気がある日ではないと、母を連れて3時間のドライブなんて行けるわけもないので、すぐさま私はうなずき、3人でドライブへ行くこととなった。 私は後部座席に乗り、父の運転に身を任せながら・・

私にとっての幸せの尺度

私はよく「どこを基準に、人の幸せとは定義ができるのであろう?」と考えることがある。 幸せとは目に見えないもの。だからこそ、幸せであるか、幸せでないかの基準は、その人それぞれに委ねられている気がする。 しかし、どうしても人々は「経済的なゆとり」を幸せの判断材料の一つに位置付けてしまっている気がする。果たして実際に経済的なゆとりは、人を最大限、幸福にさせるものなのであろうか。 経済的なゆとり=幸せなのか? きっと、経済的なゆとりは、ある一定程度、人々にとって、心のゆとりを

帰る場所があるという幸せ

私はよく自分のことをヤドカリのようだと思う。 日本や世界を津々浦々、転々と居住地域を数年ごとに変え、なかなか定住をしない。 私の戸籍謄本は、新住所となるたびに、前の住所が二重線で消されていく。 とても、長い長い戸籍謄本を取り寄せるたびに、私は、ヤドカリだなと思う。 私の帰る場所はどこだろう? 新しい土地へ向かう時の私の気持ちは、いつも、ワクワクとドキドキが半分半分である。新しい土地での新たなる出会いに期待し、その土地での自分自身の成長が、いつも楽しみである。 しか