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モノに宿るイノチ

断捨離にハマった、ということは以前にも何度か書いたと思う。
一昨年の夏頃に目覚め、約一年半かけてだいぶスッキリしてきた。
HSPに断捨離は、とてもその特性に合っており、HSPだと気付く(知る)直前に断捨離にハマったのは出逢うべくして出逢った!と思う。

しかし、HSPと断捨離の関連性は他の方々も多くSNSに綴られているのでここではまた違った話を。
また母の話になってしまうのだが、断捨離を始めてまず躓いたのは母の遺品だった。
亡くなったばかりの頃はまったく捨てられず、母が闘病中に購入した入院グッズやカツラなどを、その意味のまま親の仇の如くすぐに捨てた。だけだった。

娘と息子が生まれ、亡くなって10年が経つ頃色々と吹っ切れるものがあり、少し捨てたり売ったりしたものの、まだまだ色々と残っていた。
そして断捨離にハマったのがその2年後。
躓きつつも、断捨離中に身につけたマインドで、徐々に処分したり使い始めたりした。

モノはとっておいても意味がない。使ってこそ。
→タオルやハンカチは娘と私で使うことに。
→着物はリメイクして娘の七五三で着用。

今使えるのか?使うワタシがテンションあがるモノなのか?
→着られそうな洋服は私の部屋着に。どうしても趣味の合わない洋服やアクセサリーは買取りに。

その作業の繰り返しで、母の遺品はだいぶ片付いた。
そしてたまたま今日、母のモノで残っているものを眺めた。

アルバムと、
母が見るだけでテンションが上がる❤️と言っていたWEDGEWOODのティーカップセットと、
トトロのキーホルダーと、
エプロンと、
お気に入りだった緑のセーターと
大切に着ていたブルーフォックスのファーがついたコート。
結果がよかった検診帰りに買ったコーチのバッグ。

それだけ。

わあ、たくさんの遺品に囲まれていた時よりも、ありありと母を思い出す🥰
このモノたちで、母の人柄、性格、思い出、人となりがすべて語り尽くせる。
やはりモノは量ではない。モノの大切さはそこに染み込んだ思い出があってこそだ!と痛感。

あ。あと一つだけ、残ったモノが。
医療事務を長年仕事にしてきた母だったので、大量の文房具一式。
書きやすいボールペン、その替え芯、砂消し、指サック、インデックス、付箋…。

奇しくも医療事務を今やっている私。
(肺がんで亡くなった母ですが、今働いているのは呼吸器内科。選んで就いた仕事ではなく本当に偶然…なのでこれも運命を感じているのですが。)
今日同僚にその文房具たちの話をしたら、
「使っていいなら持ってきてよ。お母さん、医療事務の現場で使ってくれて喜ぶんじゃない?😄」と言ってくれました。
確かにー‼️
ということで、次の出勤日にはこの文房具の山たちを持って行こうと思います😊

若い頃は、
母のモノはもう増えることはないんだ、あれもこれも減らしたくない!
と思っていた時期もあったけど、
持ち主を亡くしてずっと使われていなかったモノたちが、今生きているヒト達に使われていく様子は、イノチがまた吹き込まれていくようで嬉しい!☺️


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