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もう一人の彼

「お疲れ様でした。」

「お、加納さん早いね。お疲れ様。」

同じ部署の上司、町田さんに声をかけタイムカードを押す。

私、加納沙苗は食品加工の会社で事務職として今年で二年目になる。

地元の大学を出て、上京してきて就いた仕事としては微妙かもしれないが、給料の面は一人で十分暮らしていけるし、人間関係の面でも落ち着いている職場なので満足している。

足早に近所のスーパー、ハナマルに寄り、夕飯の買い物を済ませる。レジに向かおうとした時、別のレジに見慣れた男性の後ろ姿が目に入った。

「健ちゃん?」

健ちゃんとは、私の恋人、渡辺健吾のことである。彼とは、就職したその年の春に大学時代の共通の友達を通して知り合い、今月で付き合って1年半が経つ。毎日ではないが、時間がある時は必ずLINEをしてくれるし、お互いの休みが合えば会うような仲だ。

声をかけようか迷っているうちに、彼は会計を済ませてしまい、出口に向かって歩き出してしまった。慌てて私も会計を済ませ、後ろ姿の彼に声をかける。

「待って、健ちゃん!」

健ちゃんは一瞬こちらをチラリと振り返り、怪訝そうな表情を作る。そしてそのまま、また歩き出してしまった。

「あれ…?人違い…かな?」

独り言を呟いてみるが確信は得られない。健ちゃんにとても似ているような気がしたのに。背の高さや、髪型、顔のパーツ、着ている服だって、いつもの健ちゃんとそっくりだった。あれこれと考え込んでいるうちに、健ちゃんっぽいその人は人混みに紛れていなくなってしまっていた。

モヤモヤしながら帰宅し、シャワーを浴びてからLINEを開き、健ちゃんとのトーク欄を開く。

『お疲れ様。さっき、ハナマルで見かけたから声をかけたんだけど、気付かなかった?』

気になっていることだけ問いかける文面を送信する。

数分経って、既読が着く。そのままテレビを観て返信を待っていると、通知の音が鳴る。

『お疲れ。さっき?おかしいな。家にいたんだけど。』

「やっぱり別人だったの…?あんなにそっくりだったのになぁ…。」

『じゃあ、人違いかな?声掛けたあの人には申し訳ないけど(汗)』

『似たような人くらいいるんじゃないかな。俺って、見た目は平凡な方だし。』

『そうだよねー。でもすごくそっくりだったの。今度見かけたら会わせてあげたいくらい。びっくりするよ笑』

『またその人に会うことがあったらな笑』

『そうね笑 そうそう、今度の休みだけどさ、美味しそうなパフェのあるお店見つけたんだけど、行かない?』

『お、美味そーじゃん!いいね笑』

健ちゃんにそっくりな男性のことは、気にはなったが人違いだったらしいし、その日は特に気にせずにいつも通りの会話をして眠りについた。


「それってさー、ドッペルゲンガーってやつじゃないの?」

2日後の昼休み。一緒に社食を食べながら面白そうに聞いてくる彼女は、同期の山田穂花だ。女性の同期は彼女だけなので、よく仕事の愚痴や、日常のささいな出来事も、こうして昼休みに話す間柄だ。

「ドッペルゲンガーって…見たら死ぬってやつ?自分にそっくりな人を。」

「たしかそんな感じじゃなかった?でも沙苗の場合、彼氏のドッペルゲンガーだから変よね。」

「でも…あの人が健ちゃんのドッペルゲンガーってまだ分からないし、そもそも実在するものなのかしら…」

「ま、都市伝説だろうけど、とてもそっくりな人って聞いて何となく思っただけよ。」

軽い笑みを浮かべながら、穂花が焼き魚を頬張る。

「からかわないでよ。私、先に戻るね。」


ぼんやりとした心持ちで、その日の仕事を終え、帰路を歩く。ふと、反対側の路地を見る。人影が視界に入った気がしたのだ。

「あっ…」

まただ。健ちゃんだった。今度こそ健ちゃん本人だろう…そう思った。けれど健ちゃんはこんな路地にいるはずがない。追いかけるか?いや、もしも人違いなら変な目で見られるだけだ。

「あーもう…」

半ば自分にイライラしながらも、健ちゃんらしき人の後を追いかける。

「待って、健ちゃん!」

思い切って声をかけてみる。

今回は健ちゃんらしき人との間に障害物も何も無い。細い路地だが、近くに民家がある。数メートル先にいる彼が振り返る。

「なんだ。やっぱり健ちゃんじゃない。」彼は、どう見たって健ちゃんだった。頭の先からつま先まで、全て健ちゃんと変わりない。

彼は無表情ながらも口を開く。

「あなた、誰ですか…」

「やだな。自分の恋人の名前も顔も忘れたって言うの?」

「何も…覚えていない…目が覚めたら知らない町にいた…自分が何者なのかも分からない…ずっと昔から生きてきた気もするし、最近生まれたような気もする…」

「何よそれ…」

無表情に意味のわからない事を話す彼に、薄ら寒さを覚える。

「やっぱり人違いなのかしら…。私の恋人とあなたがとても似ているの。似ていると言うより、双子のような。あなたは彼と同じような見た目なの。」

「あなたの恋人が…僕と同じ…」

一瞬だが、彼の表情が揺らいだ。まるで捨てられた子犬のような、はたまた迷子になった子供のような表情だった。

その表情を見て、一つ思いついてしまった。

「一緒に来て欲しいの。」

「どこへ…?」

「健ちゃんのお家よ。ここからそんなに遠くないし、こんなに似てるんだから、会わせてあげたいの。」

「僕は…どうしたらいい…」

「ついてきて。健ちゃんには一応LINEを入れておくわ。」

相変わらず無表情だが、彼がこくりと頷いた。

そこからは無言で健ちゃんの家まで二人で歩いた。

歩きながら、もし穂花の言うようにほんとうに彼が健ちゃんのドッペルゲンガーだったとしたら、彼らを会わせてしまったら、健ちゃんの身に何が起こるか分からない。けれど、目の前にいる健ちゃんのような彼をこのままにしておくのも何だかな…と考え込む。

唐突にカバンの中のスマホが震える。健ちゃんからの返信だった。

『まじ?連れて来る分には構わないけど、変な人じゃないよね?』

『不思議な感じはするけど、危ない人ではないと思う。嫌だったら引き返すけど…』

『いや、いいよ。気を付けて来いよ。』

スマホをカバンにしまい、後ろをチラリと振り返る。彼はやっぱり無表情に、私と一定の距離を保ちながらついてくる。

やっぱりやめようか。そんな思いもよぎるが結局、健ちゃんの家に着いてしまった。

インターホンを押す。

「はいはい。」

健ちゃんの声が聞こえて、数秒遅れてドアの鍵が開く音がする。ドアが開いて、健ちゃんがチラリと顔を覗かせる。

実際に会うまでは実感が湧かなかったが、やはり、本物の健ちゃんと彼は別人だった。

「えっと…連れて…来たよ。」

「あー。確かに…めっちゃ似てるな。てか、俺の双子か?俺、一人っ子なはずなんだけど。」

健ちゃんが私の後ろにいる、彼を見ながら苦笑いする。

彼をチラリと振り返ると、目を見開いていた。その反応もおかしくは無いだろう。自分によく似た人間と会っているのだから。

そう思っていた、その時だった。

「ひっ…」

「キエル オマエハ ボクガ ホンモノダ ニセモノ キエロ」

「いや!!!来ないで!!」

彼の顔が、激しく歪む。女の顔、子供の顔、老婆の顔。様々な顔に形を変え、声を変えながら、健ちゃんに向かって手を伸ばす。

咄嗟に健ちゃんをかばいながらドアを勢いよく閉める。

健ちゃんに抱きつきながら、外の音に耳を澄ませると

「キエロ キエロ キエロ」

段々と声が遠のいていく。

「なんなんだよ…あいつ…」放心状態で健ちゃんが呟く。

「ごめんなさい…私のせいだわ…どうしよう…」

「いや、大丈夫…今のことは忘れよう。」

「でも…」

「今日はもう暗いし、泊まっていくか?」

無理やりに笑顔を作りながら私の顔を覗き込む表情に、思わず泣きそうになる。

「うん…心配だし、そうする。」

成り行きで泊まることになってしまったので、お泊まりセットなんてものも持ってきていなかった。
「着替えとか、何も無いからちょっと買いに行ってくるね。」

「前に来た時に置いて行ったやつは?」

「それもだけど、他にも必要なのがあるの。」

「そっか。ついでにタバコもお願いしていい?お金渡す。」

「いいよ。」

「気をつけてな。さっきのやつを見かけても、もう声かけるなよ。」

「行ってきます。」

「行ってらっしゃい。」

健ちゃんに手を振り、ドアを閉める。

平静を装ってはいたけれど、未だに心臓が小さく跳ね続けている。
歪む顔を間近で見てしまったせいだろうか。

軽く首を振り、さっきの残像をかき消し、足早に夕暮れの商店街に歩を進める。雑踏の中に、嫌でも健ちゃんに良く似た彼の姿を探してしまう。

「忘れなきゃ。」

つぶやきながらドラッグストアで必要なものを買う。会計が終わり店から出た時、カバンの中のスマホから着信音が鳴った。

「健ちゃん?」

嫌な予感がした。応答ボタンを押して、着信に出る。

「もしもし?どうしたの?」

「さ…なえ…早く…さよ…」

「健ちゃん?…健ちゃんっ!」

着信は切れてしまっていた。

どうしようもないくらいの焦りに駆られて、そのまま健ちゃんの家まで走り抜けた。

健ちゃんが危ない。もしかしたら。嫌な妄想と予感だけが膨らんでいく。

「お願い!!間に合って!!!」

息も絶え絶えになりながらやっとの思いで玄関の前に立つ。

「っ…はぁっ…健ちゃん!健ちゃん!!」

チャイムを鳴らして、ドアを何回もノックする。

カチャッ。

ドアが開き、中から健ちゃんが顔を覗かせる。

「あ…」

「どうしたの。そんな顔して。」

「良かった…無事なのね…」

「僕は無事だけど…そんなに慌てて帰らなくても良かったんだよ?」

「違うの、違う…変な電話したでしょう…イタズラはやめて…。」

「電話?してないよ?」

「嘘よ、これ、健ちゃんからじゃない。」

着信履歴の画面を見せる。確かに数分前の健ちゃんからの着信の記録が残っている。

「そう?僕の方には…何も無いよ?」

健ちゃんからスマホの画面を見せられて少しの違和感を覚える。

「何も…っていうか…着信履歴消す人だっけ…」

「うん。そう。」

おかしい。なんだか胸の奥がザワつく。

けれど目の前の健ちゃんを見るとなんだかそんなのもアホらしくなってしまう。

「そうよね、そのくらい普通よね。」

「うん。疲れてるんじゃないの?ご飯食べよう。」

「ごめん、ごめん。お邪魔します。」

なんてことない。いつも通りの健ちゃんだった。
安心しながら部屋の中に入る。

久しぶりに2人でご飯を食べて、お風呂も済ませた私たちは、そのまま眠りについてしまった。


ふと、目を覚ますと、隣にいたはずの健ちゃんがいなかった。

「トイレかな?」

時計をちらりと見る。深夜の2時。

耳を澄ませていると

ガタッ ガリッガリガリッ…
何かを引っ掻くような音がリビングの方から聞こえてくる。

「…なに?」

そっとベッドを降りて、寝室の扉を少しだけ開ける。

隙間から見えるのは、暗がりの中で何かを貪り食う健ちゃんの姿だった。
健ちゃんの足元に横たわる何かを理解した瞬間

「っっっ!!!!」

声にならない叫び声を必死になって押し殺す。
どうにかなりそうだった。

健ちゃん、いや、その「バケモノ」が食べていたのは、人だった。

体格や、頭部の雰囲気からして、私のよく知っている人、最愛の人にとても似ていた。


気を失うように私はそのまま眠ってしまった。夢の中で健ちゃんが私の肩をポンと叩いて声をかける。

「あいつは悪い奴ではないんだ。一人でずっと何者にもなれず、寂しかったんだ。俺とあいつはいつまでも一緒にいる。あいつのことを俺だと思って、一緒にいてやってくれ。」

「そんなの…おかしいよ…」

「泣くなよ。そのうちそんなのも忘れるくらい、“俺達”は、俺になるから。」

「健ちゃん、どんだけお人好しなの…」

「お人好しなんかじゃねーよ」

健ちゃんの笑いを含んだ声と共に目を覚ます。


「おはよう。気分はどう?」

「おはよう…。なんだか長くて変な夢を見てた気がする…。」

「大丈夫だよ。俺がついてる。」

「何よー、それー。」

他愛のない会話。変わりのない彼の笑顔。
どことなく違和感を覚えるけど、夢の内容もほとんど思い出せなかった。

長い、嫌な夢を見ていた気がする。

けれど、彼がそばにいるからそんなことなんてどうでも良くなった。

だって彼は、大好きな「健ちゃん」だから。


#ホラー
#小説

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