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風花の舞姫 羽衣18

 数日後、里宮という神社に呼ばれた。
 そこは燕岳の麓にあり、主家筋にあたる場所だという。
 障子が連なる板間の大広間に、席が設けられていた。
 家紋の掲げられた上座があり、相対してわたしと甘利先生が正座をしている。ふたりには座椅子を用意してあり、座布団もあったがそれでも足を折ることには変わりはない。 
 先生は真っ赤な顔をして我慢していたが、半時間を経過した後、座椅子を外して胡座をかいては脛を揉んで、血の巡りをよくしていた。彼の足の太さでは座椅子も意味がなかったろう。
 襖が開き、六花さんが巫女装束で現れた。
 その大広間を進み、上座の扉を畏まって開いた。
「主巫女の入堂」という響き渡る涼やかな声に押されて、わたしたちは両手を床に突き、眼を伏せた。
 静々と布摺りの音がして、白足袋が板間を滑っていくのが見える。
 その女性は七曜家紋を背にして、その上座に置かれた座布団にちょこんと座った気配がある。
「皆さん、そう畏まらず楽になさってください」
「面をあげよ」
 そこに高校生ほどの、それでいて威厳を帯びた女性が、弓道の道服に包まれ座っている。唇が桜色に濡れて光っている。
「・・あ、甘利備・・」と彼女は言いかけて笑顔を綻ばさせて、言葉を切った。おどけた口調は年相応に見えた。
「失礼しました。お話は六花姉から聞いております。姉の素性について調べてくださり、また今回もご助力頂き、私の身命のために尽くして頂き感謝の言葉もありません」
「やはりご尊顔を拝見するにつけ、備前守という名前が浮かんできます。よくぞ同じ時代にご転生なされた」
 巫女らしい堅い口調で立花さんが問う。
「甘利備前守泰博。貴殿は此度の戦評定につき、主神より大薙刀を下賜致す。また次戦でも先駆けの名誉をとらすが如何か」
 しばしの間をおいて「やらせて頂く」と彼は声を押し殺して言った。頑なな、澄んだ少年の瞳だった。面妖鬼との敗北の味は、むしろ彼を靭くしたのかもしれない。
「北川史華さん。今回は辛い思いをさせました」と柔和な声で主巫女が語る。
「ご賢明な判断でしたね。鏡を期日指定で樽沢に送っていたなんて。それで六花姉が不在なものですから、里宮に転送されていたのですよ」
 目の前に郵便物が置いてあった。
 わたしが伸一の尾行を始めた時、コンビニで買い物をしているその脇でポストに投函したものだ。そのクリックポストは樽沢の庵に送ったものだけど、転送されてさらに好都合だったと思った。
 分身が複数いる場合は、それぞれは本人でもあるし鍵も所有しているので、郵送中にしておくことが狙いであった。
「確認してよろしいでしょうか?」
「どうぞ。ご随意に」
 開封して緩衝材を開くと、帛紗のなかにあの手鏡が姿を出した。ガラス等は用いられず、銅板の鏡面を磨いたものであるから破損などはしていない。
「その手鏡に何かまだ秘密があるのでしょうか? どうして彼らはそれを欲していたのでしょうね」
 わたしは羽衣の萌芽の、あのダウンジャケットを敢えて着ていた。清廉な場所に、着古した部屋着で来たのでばつが悪かったけど。
「恐らく・・・」とその手鏡に今の姿を映してみる。
 眼を閉じて心中に封じた、ミカを始め羽衣を操れた人格を探る。用心しないと怪我を負う、砂丘のなかに置き忘れた、鋭利な針を拾い上げる心境だった。
 ばっ、と空間を鋭く断ち切る音がした。
 わたしの背から巨大な翼が生えている。
 その大広間の長辺に翼端が届くだろう。
 ミカのものとは違う、骨格のある翼だ。
 ゆっくりと羽ばたき、手応えを感じた。
 風を掴み、空を遊弋できる翼があった。
 周囲から息を呑む声がして、「綺麗ですね」と主巫女が独り言のように呟いた。
「恐らく能力をも移し取る力が、この手鏡にあるのだと、わたしは思います」
「なるほど・・・」と六花さんは言葉を探すように、顎を軽く摘んでいたが、不意に忍び笑いを漏らし始めた。
「石女尼・・そういうことか」
「汝だけの能力では勝てぬと見て、烏合の集を恃み、群れで籠絡しようてか!よろしい。ならば群れごとを喰い破ってくれようず」
 雪女の地金をピシャリと声が叩く。
「六花姉、落ち着いて」と。
「では史華さん。貴女を危険に晒すのも心苦しく思います。彼らの目的は、この私の身体に石女尼の魂を転生させることです。そしてそのために手鏡が必要なのね。良ければ私たちでその手鏡をお預かりして、その後は身を引いて過ごしていただくと宜しいかと」
「いいえ」とはっきりと返答した。
 先日、斃せたのはわたしと伸一の生身の肉体、つまり魍魎の依代に過ぎない。鏡に過ぎなかったビストロの彼は、今や蒸発者の扱いだ。
「もうわたしの所在は知られていて、必ず標的になります。まだ彼らの本体を知らない。無知の無防備になるより一緒にいた方が身は守れます」
「それは一理あります。彼らは魍魎本来の能力を使えない、ただの憑依された人間に過ぎなかった。どこにでも現れてどこにでも存在しない魍魎を、肉体の檻に捉えることこそ大変ですね」
 わたしは黙祷をした。
 ブンの慟哭の双眸を。
 死を示す涙の深淵を。
 沈黙して考えてみた。
「わたしに、策があります」
 最後に一同に向かって、そう答えた。




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