イヴァナを探す旅
古本の写真集が届いた。イギリスから。
今、2週毎に通院しているクリニックの待合室で、初診の日に見つけた写真集だ。
ギリシャの島々を舞台に猫たちが自由に暮らす姿を捉えた写真が、リード文によれば150枚。
もう何度か通っているその心療内科の待合室、毎回それが置かれている本棚の隣に座れるわけではなく、だから初診日にその重みのあるハードカバーの写真集を見つけて以来、可能な限り、その本を手に取るようにしている。
グラビア印刷の美しい製本。表紙をめくると冒頭に出版社、著者、出版年と著作権関連の注意書き、そのあと数ページにわたり英語でリード文が書かれている以外は、写真には一枚たりとも一言もキャプションが付けられていない。
それでも、それだけに、写真から物語が見えてくる気がする。
地中海の青い空を背景に、屋根から屋根へ飛び移る猫のシルエット。
いつもそうしているのだろう、黒い服装の修道女から小魚をもらおうと彼女の足元に座る猫たち。
犬と喧嘩をする猫。
犬に守られるように寝そべる猫。
ネズミと格闘する猫。
海が見える教会の屋根の上で佇む猫。
一枚一枚に小さな物語がある。そんな物語を想起させる写真集。
◇
クリニックを探すのはインターネットのクチコミを参考にした。
未知の世界だからそうするしかなかった。例えば知り合いが心療内科に通っている(いたことがある)として、それを教えてもらったところで、その医師がぼくと相性がいいとは限らないし、そんな知り合いもいない。知らないだけで通っていても人には黙っているのだろうけれど。
だからぼくはクチコミを真剣に読んで、
またそのクチコミが褒めるか貶すに二分されるのは仕方がない。特に心療内科は患者と医師との相性が大切に思えるからそこは理解する。しかし⭐をひとつにするにももう少し書きようがあるだろうとは思う。
そう、そんな風に感想を持ちながらも、そんなクチコミでも真剣に読んだのだ。
今までも心の不調がある時には何度かやはりインターネットで調べて予約の電話をかけたこともある。しかし大抵は、初診の受け付けは2週間後です(早くて)、あるいは一ヶ月後です、などと言われて諦めるばかりしていた。そして大抵はそうこうしているうちに折り合いをつけてなんとか遣り過ごしていた。
今回はそれができそうになかった。
だからそのクリニックに、3ヶ月前の3月中旬、仕事の昼休み中に電話をし、初診は4月の◯◯日が直近では空いています、とスマートフォンの向こうから女性の声で告げられ、それが一ヶ月以上待つことを意味していても、受け入れることにしたのだ。
他を探す気力はもうなかった。それに、そのクリニックが電車で通うことのできる場所であることは、魅力のひとつだと思えたし、オリジナルのサイトを見て少なくとも悪くはない印象を持てたのは、なにかしらの縁だとも感じたのだ。
場所は、岡山駅から徒歩圏内だ。そこなら自分と近しい誰かに見られて余計な詮索をされたり、勝手な噂を立てられることもない、それも決め手の一つだった。
◇
その日はよく晴れていた。
早めの電車に乗り、早めに岡山駅に降り立った。せっかくなので、と少し街を歩いてみたけれど、診察が気になって、というかそもそもそういう心の状態でもあったのであまり楽しめないでいた。
今年の初めに他の用事があって来た時には、そうではなかったのに。
診察で何を聞かれて何を言われるのか。
まあ、思い過ごしでしょう。
などとは言われないとは思ってみたり、逆を考えたり。ソワソワ。ゾワゾワ。
◇
10分ほど早めに来てくださいと言われていた。予約時間の15分前、クリニックが入っているビルの自動扉をくぐる。エレベーターのボタンを押す。その階を降りる。シンプルなデザインのプレートの横のドアを開けて、スリッパに履き替え、検温、消毒液、受け付けで予約名を告げ、事前に家で印刷し記入も済ませておいた4枚綴りの問診票を渡すと待合室へと促された。
しばらくお待ちください、医師が問診票に目を通しますので。
診察室とは曲線の壁で区切られたその待合室には、ゆったりしたサイズの一人用ソファーが、診察室とは反対側の、備品庫かなにかとやはり曲線で区切られた壁に数脚並んでいて、ぼくは一番奥まで進んでそのひとつに腰をおろした。リュックをぼくの体の横に置けるほどの余裕がソファーにはあった。換気のために窓が細く開けられていて、柔らかい風がレースのカーテンを揺らし、そっとぼくの頬を撫でる。
その下に本棚があった。
週刊誌や新聞の類いは無く、アート系の本や、あるいはスピリチュアルな内容のものが中心に収められていた。1冊手に取っては2、3ページめくって、もとあった隙間に挿し戻すということを繰り返していると、青色の写真が印象的なカバーの写真集で手が止まった。表紙には
Cats OF THE GREEK ISLANDS
とタイトルが印刷されていた。
ギリシャの島々の猫(たち)、と自分で邦題に訳し、中を見てみる。
完全な洋書であることがわかった。
知らない、行ったことのない、ギリシャの海沿いの村で暮らす猫たちが、落ち着かないでいたぼくの心を慰めてくれるようだった。
診察室に呼ばれるまでは結局小一時間は待つことになったと思うのだけど、ぼくはその猫たちのおかげでその時間だけはイライラもソワソワとゾワゾワもせずに過ごすことができた。
◇
診察そのものも小一時間かかったのかもしれない。時計を確認していなかったのでわからない。後の順番の人には申し訳ない。
くたくたになった。もちろん無駄な時間ではなかった。院外の薬局で薬を処方してもらい、少し気を落ち着けるために路面電車に5分ほど乗って、後楽園が対岸に見える場所まで行ってみた。そこは広い空間にも関わらず、遠くで喋る散歩グループ数人の声に気持ちが逆撫でされるような心地になってしまい、30分も耐えられず諦めてもう一度路面電車に乗って、そしてJRに乗って、翌日出勤してから一番に上司に伝えることに考えを巡らせながら帰宅した。
疲れていて風呂にも入れなかった。
写真集のことは記憶から抜けかけていたが、数日後に思い出した。そしてあのギリシャの猫たちのでなくてもいいから写真集を買おうと急に思い立ち、次の週末に倉敷の旧市街の端にある古書店に行ってみると運良くアイルランドの風景の美しい写真集を見つけることができ、それを買った。洋書だった。心が満たされる思いだった。(このことは以前ここで文章にした)
その後は通院するようになり、運が良ければあの猫たちに会うことができたが、運が悪ければ、そのソファーに座れなければ、会えなかった。
試しに通販サイトで検索してみると、すでに古本でしか市場に流通していないようだった。これまでそのサイトで古本を買ったことはなかったけれど、一番上にリストされていたものが、状態は悪くなさそうだったので初めて買うことにした。
送り主の名前に『USA』と入っていたのでアメリカから送られて来るのかと思いながら、発送先、つまり自分の名前と住所の英語表記を登録し、決定ボタンを押した。
2、3日するとぼくのメールに出荷した(shipped)旨のメッセージが入った。ship(ped)は必ずしも船便を指すのではないことはわかっていたけれど、それでも実際は船便なのか航空便なのかと想像するのは楽しかった。
それからさらに2週間ほど待って平日の夕方、自宅のポストがゴトン、と音を立てた。
来た。急いで外に出て確めると、果たしてその荷物が届いていた。海外から自分宛に何かが届くのは初めてかもしれない。
いや、そういえば大学の同級生が留学先のクライストチャーチから下宿に手紙を送ってきていたな。あの手紙はどうしたんだっけ。
すぐにでもその本に触れたかったけれど、包みを開封する前に一応写真だけ撮った。アメリカから来ると思っていたものは、表に貼られた送り状を見ると、実際はイギリス(UK)から届いていた。
封を切るとあの青いカバーの写真集が出てきた。はやる気持ちを抑えながら表紙を開くと、ページの右上に手書き文字があった。
あれ?こんなところに文字なんてあったっけ?
もしかしたら著者である写真家のサインなのかなとなぜだか少し期待して、アルファベットネイティブの、読み慣れていないと難しい文字をなんとか目で追うと、そうではなかった。
Best pictures
I've ever seen
Try page 121
love from
Yvana
それは前の所有者と思われる人物からのメッセージだった。
◇
私が見た中で最高の写真たち。
121ページ目を見てみて
love from Yvana
(love from、愛を込めて、などと訳すとちょっと重い気がする、ありがとう、くらいでちょうど良いか)
◇
その英語ではなさそうな異国風の名前、Yvanaに勧められるまま、121ページ目を開いてみる。
石畳の広場、白い鳩を画面の奥から猫が狙っている。
クリニックの待合室では見た記憶のない写真だった。
でもちょっとユーモラスで楽しい写真。この猫はきっと鳩に逃げられたんじゃないかな。そんな物語を勝手に作ってみる。
そうか、Yvanaの一番はこの写真なんだな。
Yvana
調べてみると、イヴァナ、スラブ語系の女性の名前だということがわかる。手書き文字の最後は『a』なのかどうか怪しいが、恐らく、というかそれ以外には無さそうではある。少なくとも名前だとすれば。
男性形ではYvan、または Ivan(イヴァン、イワン)。
スラブ系の言語は主に中央ヨーロッパから東欧にかけて使われているという認識を持っている。
イヴァナがどこの国の人かはこの情報だけではわからない。ルーツを持つその国に今現在住んでいるのかもわからない。
移民かもしれないし、難民かもしれない。
年齢もわからない、高齢なのか中年なのか少女なのか。
複数の持ち主が過去にいたとすれば、直近まで持っていたのではないかもしれない。1993年、イギリスの出版社から出ている。
先のアイルランドの写真集は1990年、同じくイギリスの出版社だ。
欧米では本を古書として売る時にメッセージを書いたりするものだろうか。単に落書きだと思われたりするんじゃないか。
さらにはイヴァナが生きているのかどうかだってわからない。
もしかしたら誰か、家族の誰かが代筆した可能性もある。きりがない。
なぜお気に入りのこの写真集を手放したのか。
ただ、ぼくがこの本を手にしたのも何かの巡り合わせなのかも、とちょっと飛躍する。
例えて言えば、手紙の入った薄いブルーの瓶が、砂浜を歩いているぼくの足元に異国から流れ着いたような。
◇
Hi, Yvana.
I'm very glad to read your message you've written in this photo book, titled Cats OF THE GREEK ISLANDS.
This lovely book once yours is now mine.
I love the picture on page 121, too.
Thank you, Yvana, I'll keep this book by my side for long.
Love from me, サックスブルー.
◇
特にイヴァナに会いたいわけじゃない。無理に探そうとも思わないし、今ならSNSで知り合うことができる、とも思わない。もちろんそんなチャンスがあるのならストーリーとしては面白いから、逃さないけれど。
ぼくはただぼくのメッセージが、拙すぎて意味が通じるかどうかわからないけれど、それでもこのメッセージがインターネットの世界を旅して、イヴァナYvana本人か、イヴァナYvanaを知る誰かの目に留まり、あ、あのギリシャの猫たちの写真集のことだと思い出してくれれば、それで十分である。
◇
なんて、ロマンチックすぎるだろうか。
◇
そしてこんなことを妄想できる出来事に出逢うのなら、その心療内科のクリニックに通い始めたことだって縁なのかもしれない。
アイルランドとギリシャの写真集、ヨーロッパの全く異なった性格の風景の写真集を並べ眺めて、そう思う。
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