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記憶の中のいちじく


ここ数年、毎年岡山県県西部にある道の駅にいちじくを買いに行く。9月初旬からシーズンイン、5~6個入りパックが350~400円くらいで大量に並んでいる。規格外のもの少し見栄えの悪いものはジャム用とラベルが貼られて箱売りされている。見栄えが悪いといっても十分そのまま食べられるようなものだ。足が速い果物だけれどジャム用がきのうの収穫というわけではなさそうだ。そしてパック毎に生産農家さんの名前が印字されている。この地区で栽培されているのは日本いちじくが主で西洋いちじくと比べてやや小ぶりでたぶん甘さが濃いけれどしつこさはない。きのうも車で片道小一時間かけて買いに行った。

子どものころに住んでいた愛知県のとある地域もいちじくの一大産地だった。実家のまわりにも畑がたくさんあって、県内有数の出荷量だったと思う。品種は西洋いちじく。まだ父親と一緒に暮らしていた家の隣が農業を営んでいて、両親の離婚後に最終的にぼくの実家になった家の近所にもいちじく畑を所有していた。

時々そこのおばあさんが出荷できないようなものをよくお裾分けしてくれていた。『◯◯さん(母の名)、これ食べりん』、懐かしい三河弁。いちじくをもらうことそれはそれでありがたいのだけどさっきも書いたようにいちじくはとっっっても足が速い。当然大量にもらっても一度には食べきれない。今なら余ればジャムにでもとすぐ発想が及ぶがその頃の母親にはそれがなくかといってぼくにも兄にもなく、少し日にちが経つと哀れにも酸い匂い臭いを纏うようになる。そしてその匂いが正直言って苦手だった。腐ってダメというわけではないので無理やり食べさせられることもあってそれが心の古傷となって好きな果物というわけではなかった。

就職して倉敷に来て結婚し娘と息子を授かった。

娘が何歳だったかははっきりと覚えていないがまだ小学生くらいのころにフルーツで何が一番好きか訊いてみたことがある。岡山はフルーツ大国なので(そう思っている)その中でも特に売りの白桃や葡萄が筆頭で挙げられると思っていたら、娘はなにやら記憶を辿り始め、赤っぽい皮を剥くと実が白くて割ると赤くて甘くてとしかし名前を思い出せない様子でその果物の説明をした。妻とぼくはその説明で思い浮かぶ果物がなく、桃でもなく葡萄でもなくメロンでもなくそもそもそれらなら娘も名前を言える。

数日、あるいはそれ以上、なんだろうなんだろうと時々その会話を思い出しては推理していた。

ある時何がきっかけだったかそれが隣の市の郊外で兼業農家をしている妻の叔父の家の庭で採れたてをもらって食べたいちじくだというのが判明した。いちじく!なるほど説明どおりだ!

名前がわかって納得はしたが先にも書いたようにぼくにはいちじくに対してネガティブな記憶の方が強い、あの酸い匂い。甘い?腐る直前あるいは腐っている寄りの酸い匂いの記憶しかない。

いちじくなの?というのが正直な感想である。妻にはぼくほどの消極的な理由はないがそれでも意外であることに変わりはないようだ。

しかしそれがわかった時には叔父の家のいちじくの木はもうなかった。古くなったか虫が大量につくかという理由で切り倒したと聞いた。

そこからは時系列や事実関係があやふやになるがある時県内産の新鮮な(重要)日本いちじくを食べる機会があった。

甘い!確かに!2~3個は軽くいけそうだ、しかもしつこさはない。

それからはぼく自身もいちじくの魅力にすっかり惹かれて今に至る。

さらにその数年後にこの道の駅で日本いちじくが売られているのをたまたま見つけて今に至る。家族総出で行ったこともある、いちじくを買いに。

日本いちじくと西洋いちじくの違いは品種にもよると思うが個人の好みだろう。日本いちじくを甘ったるいと感じるひともいるだろう。ただ傷みやすいのは共通だからなるべく新鮮なものを食べるのがいい。可能な限り収穫された当日かせいぜい翌日くらい。追熟という概念は当てはめないこと。個人的にいちじくに課す条件である。

娘は自分の好物を食べている時にとても幸せそうな顔をする。今は夫と隣県に住んでいる。送るくらいなら直接持っていくし(実際したこともある)、それに今は住居の近くに産地があることがわかったらしく、それで満足しているらしい。

ぼくの出身地のいちじく栽培は近年すたれてきて隣の市にその座を譲ったようだ。実家のまわりに広がっていたいちじく畑ものきなみ新興住宅地になっている。

きのう買ったいちじくは、きのうも食べたが今朝も食べた。
当然のように甘くて美味しかった。ぼくも幸せそうな表情をしているのだと思う。

もちろんケーキにしたものも美味しい。老舗洋菓子店に並ぶのも待ち遠しい。



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