見出し画像

長旅をしてきた写真集

写真集を買った。

普段は普通の小説など文字が主役の本ばかり買うけれど、写真がメインのものを買うことはあまりない。

それは例えば、大洋を悠然と泳ぐ大きなクジラの、あるいは世界中の様々な種類の愛らしいオオカミの仲間たちの、またあるいは日本の移ろいゆく季節を雲の名前を通して紹介するもの、というようなものを思い出すかぎり自分では持っているが、それらはみな最初から写真が主役の本を探していて見つけたものではなく、なんとなく書店をうろうろしていて目にしたのを、衝動的に購入したものがほとんどだ。

2年前に一眼レフカメラを中古で手に入れて以降、写真を撮ることが趣味といっていいくらいそれを手にもつことが今では当たり前になっているけれど、その後1、2冊の教本を申し訳程度に買った以外に、特別に写真集というものを自分のお金で買ったことがない。


この数日、俄に『写真集がほしい』と考えていた。

収められる写真は多いほどいい。ただしなんでもいいというのではなくて、どこか遠く、知らない国の見たことのない美しい場所を教えてくれるものがいい、と思っていた。それもあまり誰も知らないような。絶景である必要もない。

何気ない景色の中に、撮影者が美しいと感じたものを見せてくれるものがよい。小振りなものよりもできれば大型のサイズのものがよい。そんな曖昧な基準だけである。

市の中心近くに出掛ける用事のできたこの週末、少し足を伸ばして旧市街の歴史地区の端の、何度か足を踏み入れたことのある小さな古書店に行くことにした。

自転車で最初の用件先に行き、そのあと旧市街へと向かい、駅に近い駐輪場に自転車を止める。

開店までまだすこし時間があったので、広いそのエリアのなかでも比較的観光客の多い場所を歩いて数枚写真を撮り、また別の通りから急な階段を上り街を見下ろす神社を参拝した。

開店時間を5分ほど過ぎているのを腕時計で確認して、その神社からは程近い店に向かう。

リュックをお腹の側に回して抱えるようにし、シンプルなデザインの暖簾をくぐり狭い店内に入る。右手に控えめに置いてある消毒液の容器のポンプを押し、掌で液を受けて両手で摺り込みながら狭い店内をさっと見渡す。

わずかに体の向きを変えるだけでリュックが他の棚に当たってしまうような通路。

通路とさえも呼べないような、書架と書架のすきま。

アート系の本が並ぶ棚の背表紙を端から順に目で追う。多くが英語などの外国語のタイトルが付けられていて、一見では内容が掴みにくい。

それでもその中でも気になったものを引っ張り出し表紙を見る、すこし開いてみるなどを何度か繰り返す。写真だけでなく、絵画集がその棚には多いという印象を持つ。

他にはないかと、書架と書架のすきまを数歩移動し、探してみるが、なかなか心にすんなりと入ってくるものが見つからない。

小さな古書店だから、気に入るものがなかったら諦めざるをえないこともあると思ってはいたが、実際にそうなるかと仄かに覚悟をしながら店の入り口近くの本が平積みされているところへ場所を移すと、その台の下に大きな版の堅そうな表紙の本が何冊も、台の上の書籍と比べて若干、雑然と平積みされているのが目に入った。

如何にも自分達は写真集である、という風情を醸している。

その場でなんとか屈んで一番上のものを手に取りページを開いてみると、やはりそうだった。いくつかの写真を確かめて、別の本を開く。

3、4度繰り返すと、IRELAND、と大きく表紙に書かれた一冊があった。

アイルランド。

行ったことはないけれど、地図アプリでは時々旅をする場所のひとつ。ヨーロッパ=アジア大陸の西の端。

これから先も行けるかどうかはわからないけれど、わけもなく郷愁のようなものを感じる土地の名前。

表紙を開いてみると、曇り空の下の陰鬱で、寂寥感があり、しかし魅力的な風景と、英語で書かれた文章が交互に編集されている。

印刷が美しい。

大きさがちょうどリュックに収まりそうなサイズであることを確認し、レジへ向かい、女性の店主に会計をお願いする。

以前ここで本を買った時に、素敵なオリジナルのポストカードと栞を入れてくれたことを思い出し、今日も同じようにしてくれるだろうかと期待する。

お札を何枚か財布から出しているあいだに、視界の隅でその店主は本に付いた埃を布かなにかで拭い、そして次には中が見えない袋に入れられていた。

お釣りを受けとる時に店の外観の写真を撮ってもいいかと尋ねると、控えめな笑顔で答えてくれた。

外に出てリュックの中身を、自転車用のヘルメットから、今自分のものになったばかりの写真集へと入れ換える。

比較的少ない観光客の通行を邪魔しないように、と思いながらカメラのシャッターを何度か切る。

昼までには次の用件先へと向かうつもりだったのが、予定よりも僅かに時間が過ぎている。何度も行き来したことのある通りを早足で抜ける。

帰宅し、簡単に昼食を済ませ、おもむろに袋の中から写真集を取り出した。

改めて表紙を見ると、二人の著者名が書かれている。

ひとりは女性のライター。もうひとりは男性のフォトグラファーであることがカバーの内側から、ぼくの拙い英語力で読み取れた。

そういった二人の組み合わせであるから、写真だけでなく文章の量もボリュームがある。あとがきにはライターの方が書いたと思われる短い文章で、『エッセイを書き終えて…』とあり、これが単に写真集ではなく、文章と写真とが引き立て合うように並べられていることに改めて気づく。

先日、心療内科のクリニックを初めて訪ねた際、診察室に呼び入れられるまでの30分強を待ち合いの本棚で偶然目にした写真集を眺めて過ごした。

英語で『ギリシャの島々の猫』と題されたそれは、碧い海と青い空、白い家並みや海沿いの細い道を自由に生きる猫たちが、時にアップに、時に風景の一部として捉えられ、ぼくは換気のために細く開けられた待ち合いの窓から入る風を感じながらそれらの写真を愛おしい思いで見つめていた。

当日は診察のあと疲れきってしまっていて、その本のことはすっかり忘れていたのだけど、すこし時間を置いてからギリシャの風景の記憶が呼び戻されてきた。

写真集を買おうと思ったのはそういうことだった。

そしてそれは大型のショッピングモールの大型書店ではなく、全国展開の古本チェーンでもなく、街の小さな古書店でなければいけない気がしていた。

写真集『IRELAND(アイルランド)』は、あなただけの場所、という副題が添えられている。

カバーの内側には、「£16.95(16.95ポンド)」と印字されていて、イギリスで出版されたらしいことがわかる。

さらにその下に「18.90」という数字と書店名(THE KILLARNEY BOOKSHOP)とが書かれた小さな値札シールが貼られていて、こちらには単位が書かれていないが、正規の価格より大きい数字であることから、ユーロではないかと想像する。

調べてみて現在の為替レートでは大きな金額の違いが無いように思える。そのことからこの本が日本に来る前に中古市場にでたものかどうかははっきりとはわからないが、いずれにせよ、イギリスで出版されたのは間違いなさそうで、だれかのものになったこの写真集が、一度別の持ち主の手に渡り、その後個人の手ではるばる日本にやってきて、さらに持ち主の何らかの事情で手放すことになったものが、この地方都市の古く細い通りに面した古書店に置かれることになったのではないかと、想いを巡らせている。

そして、今は、ぼくのお金で買ったぼくのものだ。

この写真集に収められた数々の場所は、今、ぼくだけのものだ。

なにかの縁があったのだ。最初の持ち主はどこの国の人だったのだろう。アイルランドを旅行した折りに買ったのかもしれないし、アイルランドに関心をもった人が取り寄せたのかもしれない。

この先、ぼくの手を離れることはあるのだろうか。それとも。

そうそう、肝心なこと。その古書店の店主が入れてくれたポストカードと栞は、今回も素敵なものでした。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?