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ベートーヴェン生誕250年 その5

 ベートーヴェンの第九と交響曲第9番合唱は「いとこ」のような関係だと思いませんか。第九と交響曲第9番は近いが遠い。

 第九はそれ自体で法則と魔法を持っている。どんどん交響曲第9番から離れていき、第九は知っているがそれがどんな曲だったのかわからなくなり。そもそも通しで聞いたこともあっただろうかと思い始める。

第九の法則

 毎年12月に入ると第九の広告や告知が増える。チラシ、雑誌、フリーペーパー、新聞の文化面の催し物コーナーが触れる。第九の法則を素描すると。


1.年末に向けて合唱団が練習し始める。市民が多いらしい
2.歌詞はドイツ語だけれども合唱団に参加するひとが多い
3.12月に入ると第九に関する情報が増える
4.12月31日に演奏会が開催される
5.スポットニュースで第九演奏会の様子が10秒程度で放映される
6.映像はいつどこのホールで参加者人数が何名いて合唱があった
7.参加者インタビューが添えられる
8.アナウンサーがニュース映像に感慨深く微笑む

 例年繰り返される。今年は気が変わってマーラーの交響曲第2番復活を演奏したとはならない。私の知っている第九は交響曲第9番合唱とはまったく無縁。師走のひとつのイベント開催。指揮者が誰だったか、オーケストラはどこか、演奏の良さへの関心が起こらずそもそも好き嫌いということもない。おなじみだか、音楽は良く知らない。

第九の魔法


 音楽ラックを調べてみた。ラックに交響曲第9番が複数枚あった。指揮者基準で書くとブルーノ・ワルター、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン、アンドレ・クリュイタンス、サー・コリン・デイヴィスらと名指揮者の演奏ばかり。日々聞いている記憶がないにも関わらず持っている。

 人に音源を購入させる力を持つけれども、積極的には聞こうとはなかなか思わない。感覚的には春にクリスマスソングを聞くのはどうかなというもの。そして買ったことを忘れさせ違う指揮者の第九をどんどん買ってしまう。

 そこで今回、魔法からさめて一歩飛び出し思い切って聞いてみた。交響曲第9番はこんな曲だったのかと感心してしまった。

第1楽章


 通して聞いてみるとオープニングとそれ以降のメロディはどこかで聞いたことがあると感じた。メロディが同じではなく、受け取る印象です。オープニングは映画だ。2001年宇宙の旅のオープニングに使われたリヒャルト・シュトラウス「ツァラトストラはかく語りき」。

 静かに遠くから音が聞こえてきて、近づいたと思ったら激しく音がかき鳴らされる。オープニングは似た構造をもっている。

 それ以降のメロディはアントン・ブルックナーの交響曲。ブルックナーの音楽はひたすらグルグルとまわる。螺旋階段と呼ぶ人もいる。降りるのではなく登るイメージ。階段を上がっていき屋上について一息ついて開けたという感じです。

 けれども、この行動は非常事態や避難訓練でしかないのでイメージはたっぷりありますが経験は少ないと思う。

 身近なところで言えば、朝の出勤・通学で踏切をしかも開かずの踏切があくのを待つ感じです。カンカンカンカンと警告音が鳴り左からの列車がくるという矢印が点灯している。

 すると、右からの矢印も点灯する。左からの列車が目の前を通過し矢印が消えてホッとしていると右からも列車通過し矢印がきえる。

 けれども、踏切がなかなかあかないと思っているとまた矢印が点灯する。何度かこの繰り返しをしているうちに踏切が上がる。第1楽章はこのように感じた。
 ベートーヴェンはブルックナーやシュトラウスよりも人生の先輩ですが。
 

第2楽章
 

 交響曲はたいてい第2楽章はゆっくりした曲が続くが、交響曲第9番は違う。出だしからティンパニが叩かれる。以降もティンパニは叩きまくられる。暴れティンパニ。

 奏者はきっと楽しいだろうと思う。ここまで叩いていると第2楽章で奏者は燃え尽きるというか充実感に浸って、今日は「もういいかな」という気持ちにならないのだろうか。あるいは、第2楽章が終わると「ひとり、ビールでカンパイ」の気分に。加えて、暴れティンパニの音を聞いていると近くに座っている他の楽器の奏者は興奮してこないのだろうか。


 第2楽章は暴れティンパニに合わせてなのか木管、金管、弦楽器も長いメロディを優雅に奏でるというよりも、短くキレのあるメロディを聞かせます。

 ドンドンドン、ジャンジャンという感じです。メロディをタ〜リラ、タ〜リラと口ずさむよりも、足を組んで膝に手を当てて足先を揺らして
膝に手を置いてリズムをとってからだを動かして刻んで楽しめるなとか、音楽系のクラブで軽く体を揺するような楽しみ方に近いと思います。これはソウルミュージックなんじゃないか?

第3楽章
 

 うってかわってザ・クラシック音楽な楽章です。映画音楽のオープニングのような第1楽章、ソウルフルな第2楽章とは違う。これもどこかで聞いたことがあると思いました。弦楽器の響きはマーラーの交響曲第4番第3楽章、木管と金管の調べはモーツァルトのグランパルティータ第3楽章。

 弦楽器は流麗な音色と同時に細切れで弾く音を奏でる。このメロディをベースに木管と金管が近くから遠くからさまざなま音を奏でる。穏やかに口ずさむ。タ〜リラ、タ〜リラの世界。
 

 豊かな弦の響きと重なり合う笛の音を聞いているとクラシック音楽は良いなと思う。

第4楽章
 

 ライブイベントしかも夏のビックフェスのトリのバンドがやる音楽に聞こえる。私がドイツ語ネイティブだったら楽しみが倍増だと思う。
 オープニングは騒がしい始まり。いかにも最後の曲の始まりにふさわしい感じがしますが、低音だけが何か違うメロディを弾いていることが気になります。

 曲が進んでいくとコントラバスでメロディ(あーこれが歓喜の歌)が繰り返されて、ファゴットが重ねる。バイオリンが引き継ぎオーケストラによる合奏になる。初めてきく人にも曲の終わりの方で何か仕掛けがあるんだな、おそらくかけ合い?と気がつくと思う。

 バリトンが独唱で煽りコーラスが重なる。フェスであれば「こんな感じだ、わかったか!」とボーカルが煽り立てるところだと思います。ソプラノ、アルト、テナーが歌い出しさらにイメージをつけていきあとは大合唱。
 独唱者と合唱団が大合唱していくのだから、微妙なニュアンスや絶妙なハーモニーは聞いている側はよくわからない。感じるのは迫力。

 そもそも曲のオープニングから歓喜の歌のメロディを楽器を替えて演奏し気がつかせているのだから、歌いたい人がいたらどうぞ参加してください、いっしょに歌いましょう。

 声の高い低いのパートはどれも用意しています、歌に自信がなくても合唱ではなく"大合唱"だからまあなんとかなります、好きな歌詞だけ歌うでもかまいません、自信があれば次は独唱でもかまいませんやってみますか?、楽器が弾けなくても歌は歌えるでしょ。

 本音を言えば、誰かダンスをつけてくれれば完成なんですけど、と聞こえる。

素晴らしい交響曲第9番合唱

 歓喜は個人というよりも集団でのお祭り騒ぎによせられている感じがします。歓喜よりも強振でしょうか。いま歓喜と言えばプロ・アマ問わずスポーツの勝ち負けに集中している気がします。

 
 交響曲第9番合唱の歓喜は集団というところは似ていますがちょっと違う。あつまりはするものの身ひとつでどうぞ。今風にいいますと映画音楽のような曲もソウルミュージックもクラシック音楽も聞くことができます。最後には歌も歌えます、ただしまだダンスや振り付けはついていないのですが。
 勝ち負けは無いです、上手い下手もないです。素晴らしい理念はもちろんあるのです。
 理念は各国の言葉で表現されます。表現したいと思う気持ちは魂が震えないと表現は出てこないのでまずは来て見てください。いろいろありますし震えてみませんかと。

 どうもベートーヴェンの音楽はそのものに近づくのは思いのほか難しい。聞いたことのある音楽を思い出したり、フェスの情景が目に浮かんだり。知識が先行したり。ドグマを大切にしたり。

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