社会の窓際、ふみだす勇気
失敗したっていい。
無理に自分をおおきく見せなくたっていい。
ありのままの自分で、だけど昨日の自分よりちょっとだけ前に足を進めてみよう。
その勇気は、きっと今この瞬間から始まっているはずだから。
……という話では、全然ないです。
男子小便器の話です。
本当にね、がっかりですよね。私もです。
皆さんには是非今後も失敗を恐れず、ありのままの自分で、どうかいい感じに前に進んでいってほしいと思います。本当にありがとうございました。
ごめんなさいもうちょっとだけ聞いてください。
先日出掛けた先のお店でトイレに入ったんですね。小便器の前に立ち、社会の窓からよろしくお願いしていたときの話です。
ふと目の前を見ると、こんなメッセージが書かれていました。
「勇気をもって、一歩前へ!!」
なんということでしょうか。
大変ですよこれは。
勇気。
勇気がないと、思われている。
「いつも綺麗に使っていただきありがとうございます」という、存在しない記憶を植え付けられて丸め込まれる、あのタイプではない。
どういうわけか、私がビビっている体で話を進められている。
う~~~~んなんだろう。なんだろうこの気持ち。
「怖がらなくても大丈夫よ〜〜ほぉ〜ら怖くない怖くない」と妙に艶のある笑顔のオバサンから両手を差し出されている気分、とでも言おうか。
なんだろうこの、めちゃくちゃ嫌なアンヨが上手感は。
「できらあ!!!!!」とその手を乱暴に跳ね除けたくなる。
確かに、小便器に体を近づけすぎるのは嫌だ。
ただそれは、便器という一般的には清潔ではないものに、私の社会の窓及びその窓際が直接触れる事態を避けたいという、いわばリスク回避の行動からくるものである。
勇気。
勇気、かな〜〜〜〜〜????
ここまで書いて、そういえばと前から思っていたことがある。
紳士の皆さんならきっと共感してくれると思うのだが、いわゆる「小便器で用を足しているときの状態いくらなんでもフル○ン過ぎないか問題」の話をさせていただきたい。
外なのに。
めっちゃ外なのに、むき身のまま過ぎるだろ。あれ。
小便器を利用し続けて30年余り、ずっと、ずーっと思っている。
駅のトイレだと、入り口に扉すらもないじゃないですか。
ついさっきまで公共すぎるほど公共の場にいたお兄さんやおっさんが、すぐ隣でフルオープンのシンプル排泄行為をしてる事態。
そんな馬鹿な、と思ってしまう。
個室はわかる。
あれはもう「室内」のカウントなのでOK判定だろう。
でも小のほうはさ、もしよ?もしそこに便器がなければ、正真正銘完全な露出にあたるわけで、便器があるからかろうじて感、ないですか??
便器からどれくらい体が離れていると、露出扱いになってしまうんだろう。
逆にどこまでが「用を足している」状態と言えるのか。
そういう意味で考えると、確かにそこには、「勇気」が存在している。
勇気をもって、一歩前へ。
それは自分自身を守る為の、とても大事な勇気なのかもしれない。
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