見出し画像

片足ずつをすぅと余春の水面まで

『梅雨の晴れ間のある午後,子供たちが用水路で騒いでいる。一人の男の子が用水路の柵に掴まって片足を用水路の壁面に,もう片足を水面に伸ばしていたのだ。あれ…何しているのだろうか? よく見ると足の先にはボールが水面に浮いていた。遊んでいて用水路にボールが落ちたらしく,それでどうにか取ろうとしているのだ。片足はボールに届いていて動かすことはできる。しかし片足ではどうしようもない。
どうするのかなぁと思って観ていたら,もう一人女の子がすっと用水路の柵を超えて男の子と同じ姿勢をしはじめた。つまり二人の片足ずつでボールを挟んで水面から持ち上げようと考えたのだ。
はたして作戦は成功し,子供たちは歓声を上げた。』

「これ俳句の種!」と思った。よし,俳句に詠んでみようと。

「梅雨晴間」「子どもたち」「用水路」「ボール」「片足ずつ」「伸ばす」「取る」う~む多い。
≪片足ずつを用水路のボールへ梅雨晴間≫
 この場面を全て描くのは難しい。「梅雨晴間に用水路でボール」ならば「子供たち」は伝わりそうだ。でもまだ多い。もっと要素を絞っていかなければ。

≪片足ずつを伸ばしボールへ梅雨晴間≫
 ボールがどこにあるか(用水路)が判らないと状況が伝わり難い。
≪用水路へ片足ずつを梅雨晴間≫
 ”拓庵があれ…何をしている?と気づくまで” にして「ボール」は省く。
「”梅雨晴間”に遊んでいる子どもたち」 だったが季語5文字は長い。季語を代えてみる。
「余春」という季語を見つけた。「余春の用水路」 おおっ「よ」の韻を踏んでいる。「子どもが遊ぶ」季節としてもよき❤

片足ずつを伸ばし余春の用水路   沢拓庵

結構自信をもって投句した。拓庵としては少なくとも「人」以上 だった。
・・・結果は「並」。ちょっとショックだった。数ヶ月ほっといて,それでも気になって推敲を始めた。

まず『季語が主役になりきれていない』 「余春」が悪いとは思わない。ただ「オマケに季語を足しました感」はあるかなと考えた。
またこの句だと「伸ばす足」から「用水路」へアングルが広がっていく。場面を見てる視点の位置がよくないのか。作者の視点を「足を延ばしている子どもたち」にして,アングルを絞っていくことができないかを考えた。子どもたちが見ているのは用水路ではない。水面だ。
「余春の用水路」を「余春の水面」に変えてみた。

片足ずつを伸ばし余春の水面まで

さあ投稿しようという寸前で「およ」と思った。下五に「水面まで」とあるなら「伸ばし」はいらないのではないか。「伸ばす」よりも,どう伸ばしたかの描写の方がよさそうだ,と気づいた。
「そおっと」は4文字「すっと」は動作が早い >「すうと」から最終的には「すぅと」とした。「う」を小さくしたのは見たとき面白いと思ったからである。

自分としては十分にやったと思えた。どうしても組長の評価が聞きたかったので,投稿できる貴重な2句の1句を”≪並≫からの推敲句”にした。≪人≫でなければ≪ハシ坊≫でのアドバイスをお願いした。

(別件だが ”投句2句制限”の変更はあまりにもサービスの低下である。
「≪並≫から≪人≫に挑戦しにくくなった。その推敲がよきかどうか?≪並≫を推敲した句を組長に評価してもらえる機会が少なくなった。・・・という悪態ついた前回の記事」もよろしくお願いしたい❤)

--------------------------------------------------

片足ずつをすぅと余春の水面まで   沢拓庵

≪第27回「凍てつく大河」《ハシ坊と学ぼう!⑧》
結果は・・・《人》になれなかった。

夏井いつき先生より
「第20回『散歩中の紫陽花』並選〈片足ずつを伸ばし余春の用水路〉の推敲です。『季語が主役になりきれていない』『「伸ばす」の是非』というのが、推敲の方向です。現状の私の実力ではここまでなので、宜しければ「ハシ坊」にて、御指導いただけると嬉しいです」と作者のコメント。
後半「余春の水面まで」は美しい調べになりました。
前半、「片足ずつ」という表現にこだわらないで、再考してみてはどうでしょう。 (転載)

そおか
作者の目線を ”女の子から” にしたのなら 女の子にはもう男の子の足は見えなくなる のかとも思えた。例えば

右足をすぅと余春の水面まで

とした方がすっきりするし,場面も明確になる。これなら≪人≫になれたのからし。

しかしなあ…と思う。
 ”自分が最初に観た状況や感動”とは違うとも思った。 ”片足ずつを伸ばしている" にこだわってきたし,今もこだわりたい拓庵がいる。上手く表現できないのは拓庵の俳筋力がないからである。いずれは…

※視点を外側からとするのなら
≪片足ずつを伸ばし余春の用水路≫ ではなく
≪片足ずつ伸びて余春の用水路≫ になるのかなとも思った。

※ ≪片足ずつをすぅと水面の余春まで≫も考えた。どっちがよかったのだろうか。

どちらにしてもこの句は
拓庵の記憶に残る拓庵にとっては佳句である。

☆☆☆☆☆

2023年。
拓庵にとっては信じられないぐらい『グリコのおまけ』に恵まれてしまった俳句の当たり年だった。最初が1月の〔俳句生活〕で,最後の最後は何と12月27日に一報が家に届く というのだからもう年末まで驚きでいっぱいであった。
”自分が最初に観た状況や感動”とは違うし, ”片足ずつを伸ばしている" にこだわりたい拓庵がまだいる。
でもっ と思い立った。

初東風やこだわるべきはココにはあらず     沢拓庵

2024年。
アタマ切り替えてもっと上手く表現できるようになるよう 拓庵の俳筋力がつくよう,これからも精進したい。


 2024年1月1日   沢拓庵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?