完璧
これだけ気温が上がってきて、のんびり在宅で仕事をしていたら雨なんか降るものだから、わたしは迷わず、BGMに大瀧詠一の『A LONG VACATION』を選んだ。
このアルバムは完璧だと、聴くたびに感じる。うまいこと表現できれば良いのだが、完璧な作品ほど、言葉で説明するのが難しい。例えばウォール・オブ・サウンドと称されるような楽器隊の厚みだったり、松本隆の輝かしくも切ない歌詞だったり、魅力はいくらでもあげられる。ジャケットすら、永井博の作風がアルバム全体の雰囲気をまとめるどころか、より芳醇なイメージを膨らませる。しかしそんなこと、ロンバケを知っている人なら誰もが気づいていて、わたしがいちいち言葉で説明してもチープになるだけだ。完璧な作品とは、そういうことなのだと思う。
それは反証すれば、プロの解説を受けて「なるほど」と魅力に気づくような類の作品は、いくら優れていても「完璧」とは言い難いのだとわたしは思っている。最近の国産ポップスがまさにその筆頭だ。確かに技術は優れている。目まぐるしくメロディが変わる。展開が不規則だから聞いていて飽きない。一方でリズム隊には単純なループも活用しているから、ノリはいい。そういう、どこで転調するとか、このサビの裏で別のメロディが重なるとか、そういうことを細かに解説されると「なるほど、確かに面白いな」とは思うのだが、なんだか試験されているようで、聞いていて疲れてくる。
そういう作品はきっと、作者の技術とリスナーの感情が一致しないのだと思う。勘違いしてほしくないのだが、わたしは、そういう曲はテクニックを見せびらかしているだけだからだめだとか、表面的な技術だけじゃなくて本質的な音の深みを聞くべきとか、そういったことを言いたいわけではない。各々が好きな曲を聞けばいい、それだけだ。ただわたしが完璧だと感じる作品にはそういった特徴があるのではないかと、ふと思って、だからその対比としてわたしが好感を持っていない種類の作品を例にあげただけである。批判を否定だと勘違いする人が非常に多いので、ここは弁明しておきたい。
ただしこれは、わたしにとって音楽に限定される価値基準だ。小説や映画は、完璧なものを好まない傾向にある。
例えば小説なら、『グレート・ギャツビー』や『コインロッカー・ベイビーズ』なんかを完璧だと感じる。映画なら『カサブランカ』とか『ヒート』とか。でもそのどれもが、わたしにとって最高の一作にはなっていない。
村上龍の作品ならむしろ、自叙伝のような立ち位置の『69』の方が圧倒的に好きだし、ギャングものなら演技は劣るが、『ザ・タウン』の方がストーリーの展開に意外性があって好みだ。きっと小説や映画は、音楽よりも物語がより具体的な分、好みの反映が大きくなるのだと思う。完璧な物語を見るともちろん素晴らしいとは感じるが、それがすなわちマイ・ベストになるかといえば、そうではないのだろう。
改めて完璧だと思う作品を考えると、どうしても1960〜90’sに限定されてしまう。これでは懐古主義のようで恥ずかしいので、今世紀に入ってから作られた「完璧」だと思う作品を、簡単に紹介させてもらう。完全に個人の好みなので、まあ共感できたら奇跡くらいに思ってもらえるといい。
ミュージックアルバムなら斉藤和義の『ARE YOU READY?』だ。まさにロックンロールの名盤といった出立ちなので、とりあえず聞いてみてほしい。小説なら小川洋子の『博士の愛した数式』をお勧めする。小説の可能性が大きく広がった、誰にでもお勧めできる作品だ。そして映画なら、迷わず『ダークナイト』シリーズを選ぶ。アクション、サスペンス、ドラマ全てが完璧な、美しい映画だ。
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