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余分な仕事が嫌い

仕事をこなすのは、わりかし得意だと思う。素早いし、標準化させたり簡素化させたりするような仕組みづくりもできる。企画力やプレゼン力も高い。交渉の場では然るべき態度で臨める。ちゃんと礼儀もある。正しい敬語が使える。総じていい営業担当だと自負している。

でも一方で、仕事を作るのは苦手だ。この認識を明確にしておく必要がある。

例えばの話。お気に入りのラーメン屋がある。職場の近くに位置し、出社頻度が高ければ週に一度は食べに行くような店だ。そこはテーブルに水が入った透明の大きなポットが置いてあり、客がセルフで水を注ぐシステムになっている。あるとき、わたしが水をコップに注ぎ、ポットの水位が全体の5%位下がった。しばらくすると、アルバイト店員がポットを新しいものに入れ替えにくる。まだ全然足りているのに……。

別の例え話だ。後輩にとある調べ物をお願いする。わたしの見立てでは10分で終わるような仕事だ。後輩もすぐに手をつけると言っていた。しかし1時間経っても報告がない。痺れを切らして後輩の元へ行くと、リサーチ先のHPから引っ張ってきた画像の見出しをつけ、URLやその他の情報を合わせてきれいにリスト化していた。わたしはただ、URLをチャットしてくれればよかったのに……。

こういうことはしばしば起こり得る。わざわざ作りにいった仕事。そういうのを見るとわたしは、よせばいいのにと思う。やられた側は気づいている。本来は必要ないのに、本来の意図とは違う目的のせいで作られた仕事であることに気づいている。

わたしの会社にはいまだに、恥ずかしいことだが、メールに「いいね」をつけると怒る年配者がいる。予定表に予定をサイレントで追加することにケチをつけるものもいる。その人たちはいい。長年の慣例があり、それを急に変えるのは難しいことは理解する。

わたしが嫌いなのは、そういった無駄を作る人たちに合わせる人だ。合わせておいて,陰で「無駄だよな」なんて愚痴をこぼしているのは最悪だ。悪い慣例に合わせてしまうと、なにも変わらない。わざわざ返信メールを打つのに数分使う必要はない。「いいね」で済まして、残業なくのびのび働けるほうがよっぽどいい。それで会社に無駄な不満を抱かず、もう1年くらい長く従事してもらった方が管理職からしても嬉しいはずだ。あるべき姿を作るのは、ボトムアップでも構わない。

多分飲食店のアルバイトや、上長に過剰なまでに気を使う世代の人々は、こういった無駄な仕事を作れる人こそ優秀だと勘違いされやすい。職場ごとに優秀な人材の定義は違うのでこれはあくまでわたしの価値観によるものだが、でもそんなものはなくしていくべきだと思う。

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