短編小説「流された行き先」
「落ち着けよ」
そう言いながら、俺は車のハンドルを握っている。
白の軽自動車。
運転席に俺がいて、助手席には友人の雄介がいた。
中田は右手の爪を噛みながら答える。
「落ち着いているよ。純也こそ冷静になれよ」
「冷静だわ。いいからタバコくれ」
俺はそう言って左手を雄介に伸ばした。
すると雄介はポケットからタバコを取り出し、そのうちの一本を俺に手渡す。
俺はそれを加えてると、視線を前に向けたままタバコの先を雄介に向けた。
「おい、火もくれよ」
「あ、ああ。ほらよ」
火をつけてもらうと俺は大きく吸う。
口から喉、そして肺に広がっていく煙を感じると頭がスッキリしていった。
呼吸を整え、俺はひたすら道をまっすぐ進む。
暗い夜道、走っている車はこの車だけだった。
軽自動車の頼りないライトの光と揺れを伴うエンジン音だけを感じながら目的地を目指す。
「つか、どうするんだよ」
雄介はそう言いながら、自らもタバコを吸い始めた。
俺は煙を吐き出してから、答える。
「とりあえず向かうしかないだろ。もう後にはひけない」
「そうだけどよ。やっぱヤベェって」
「分かってるよ。つか、雄介も分かってて話に乗ったんじゃないのか」
声を少し荒げて俺が言い返すと雄介は右足を小刻みに揺らした。
精神的に追い詰められているのだろう。
それは俺も同じだった。
心臓がバクバクと音を立てて追い詰めてくる。
「くそっ、なんでスピード出ないんだよ、この車」
俺がそう言うと、雄介は声を荒げた。
「おい、まずいって。スピード違反で捕まったらどうすんだよ。スピード出さなくていいって」
「馬鹿かよ。ゆっくりしてられねぇだろうが」
「それで捕まったら本末転倒だろうが」
確かにその通りだが、急ぐ気持ちもわかるはずだろう。
俺はつい一時間前のことを思い出した。
「儲け話があるから来いよ」
そんな電話がかかってきたのである。
相手は梶谷さんだ。
梶谷さんは高校の時の先輩である。
良からぬ噂のある先輩だったが、金に困っていた俺と雄介は話に飛び乗った。
指定された場所に向かうとそこには返り血を浴びた男と梶谷さん。そして血だらけで倒れている男がいたのだ。
「ど、どういうことですか、これ」
雄介がそう尋ねると返り血を浴びている男が梶谷さんの腹部を左手で殴る。
「おい、梶谷ぁ。お前、何も説明してねぇのかよ」
殴られた梶谷さんは腹部を押さえながら頭を下げた。
「す、すみません、五十嵐さん」
いつも偉そうにしている梶谷さんが五十嵐と言う男の前では、小さくなっている。
五十嵐と言う男をよく見ると右手には拳銃が握られていた。
俺と雄介はそこで状況を察する。
ああ、そういうことか、と心の中でつぶやく。
理解してしまうと、冷や汗が溢れ、呼吸がしにくくなった。
「ほら、説明してこいや」
五十嵐はそう言って梶谷さんを蹴り上げる。
蹴られた勢いのまま梶谷さんは俺たちに近づき、話を始めた。
「お、おう。お前らにしてもらいたいことは簡単だ。あそこで倒れてる男を山行って埋めてこい」
思っていた通りの展開である。
想像していた通りだったが状況が状況なだけに言葉が出ない。
沈黙していると、五十嵐が声を荒げた。
「おいっ、まさか断るつもりはねぇよなぁ」
五十嵐の言葉を聞いた梶谷さんは一瞬震えてから言葉を続ける。
「か、金ならやるから、さっさと受けろ。もうここまできたら断れないことくらいわかんだろ。埋めるもんが三つになっちまう」
断ったら殺す。
そう言っているのだ。
そりゃそうだ、とおれは心の中で呟く。
こんな現場を見た以上、何もせずに帰ることなどできないだろう。
くそ、なんで来てしまったんだ。
後悔しても遅い。
「わ、わかりました」
俺はそう答えてしまった。
そして、今、俺と雄介は山に向かっている。
「なぁ、聞いてんのか純也」
雄介がそう叫んだ。
一時間前を思い出していた俺は雄介の声が聞こえていなかったらしい。
「なんだよ」
「だから、どうやって埋めるんだって聞いてんだよ」
「梶谷さんが言ってただろ。後部座席にスコップ乗ってる」
俺がそう話すと、雄介が後部座席を覗き込む。
そこにはスコップが二本、無造作に置かれていた。
「ああ、これか」
その瞬間である。
後部座席よりも後方、荷物を乗せる場所で物音がした。
「お、おい。音がしなかったか?」
俺がそう言うと雄介は首を横に振る。
「馬鹿言うなよ。あそこにはあの死体が乗ってんだぞ。動くわけねぇだろうが」
「いや、そだけどよ」
「いいから、さっさと行けよ」
緊張と恐怖から幻聴が聞こえたのかもしれない。
止まらない冷や汗と動悸。
かつてないほどのプレッシャーを感じながら俺はアクセルを踏んだ。
徐々に暗くなる道路。
街灯もなくなり、まるで別世界に向かっているようだった。
「この辺でいいだろ」
外を見ながら雄介がそう話す。
何時間もかけてようやく山の中に辿り着いた。
俺は頷き、ブレーキを踏む。
人生の中で一番疲れる運転だった。
「さっさと終わらせるぞ」
俺はそう言ってドアを開け、外に出る。
深夜の空気が冷たくて気持ちいい。
そのまま俺は後部座席のドアを開け、スコップを手にした。
「ほら、掘るぞ」
言いながら俺は雄介にスコップを手渡す。
「わかってるよ」
そう言いながら雄介は足元を掘り始めた。
ザクッと音を立てて地面が抉れる。
土と枯れ葉、小石や木片などが混じりスコップの進入を防いでくる。
それに負けないようにと俺は雄介と一緒に地面にスコップを突き立てた。
不思議とお互いに無言である。
何かを言葉にすれば、心が折れてしまいそうで何も言えない。
ただ、心の中で後悔するばかりである。
何故、あんな話に乗ってしまったのだろう。
何故、あんな先輩との付き合いをやめられなかったのだろう。
次第に涙が溢れてきた。
「ううっ」
「おい、泣くなよ純也!」
そう言う雄介の頬にも涙が伝っている。
「雄介も泣いてんじゃねぇか」
「だ、だってよぉ」
「なんでこうなっちまったんだ」
俺が心からの後悔を言葉にした瞬間、背後からこう聞こえた。
「馬鹿だからだよ」
一気に背筋が凍る。
誰もいないはずの山中で、俺と雄介以外の声が聞こえるわけがない。
あと一人、存在するのは。
俺と雄介が振り返ると、そこには想像通りの男がいた。
荷物置きの乗せたはずの死体が拳銃を握り、こちらに銃口を向けている。
「な、なんで・・・・・・」
男は傷口を押さえながら面倒そうにため息をついた。
「何でもかんでも答えがもらえると思うなよ。行動の果てにあんのは結果だけだ。そして・・・・・・」
その瞬間、銃声が響く。
「これが結果だ」
男は言いながらもう一度引き金を引いた。
破裂音が空気を揺らす。
熱い。
ただその熱さだけが脳に伝わった。
左胸が熱い。熱した鉄の棒を押し付けられているように感じる。
「あ、ああ、あ」
言葉にならない声が漏れた。
隣で雄介が同じように左胸を押さえている。
その手からは赤い血が溢れ出していた。
撃たれた。
俺はそこでようやく気づく。
そして、それはもう遅かった。
地面が消えてしまったかのように体勢を崩し、気づけば空が目の前にある。
背後にあった穴に俺と雄介は倒れ込んでしまった。
意識が遠の木、命が消えかかっていることがわかる。
「ゆう・・・・・・すけ・・・・・・」
なんとか声を出すが返事はない。
既に雄介はそこにいないのだろう。
俺は穴の外に手を伸ばした。
その手は何も掴めず、地面に叩きつけられる。
最後に聞いたのは自分を撃った男の独り言だった。
「ちっ、弾を無駄にしたか」
俺たちの命は十段よりも安いのかよ。
絶望のままに俺は意識を失った。
「おい、起きろよ純也」
その声を聞いた俺は飛び起きる。
自分の部屋のソファ、目の前にいるのは雄介だった。
「ゆ、雄介。生きてる・・・・・・俺も」
俺は自分の左胸に触れる。もちろん傷などない。
「夢だったのか」
そう呟くと、雄介は笑った。
「何言ってんだよ。なんかうなされてたけど、悪い夢でも見てたのか?」
「あ、ああ、めちゃくちゃ悪夢だった」
「どんな夢なんだよ」
「いや・・・・・・ちょっと思い出したくない」
俺はそう言いながら自分の目を押さえる。
夢でよかった、と心の底から安心した。
深呼吸してから俺は雄介に問いかける。
「そういえば何で起こしたんだよ」
「ああ、さっき・・・・・・」
雄介が言いかけた途端、俺のスマホが鳴った。
画面には梶谷さんの名前が表示されている。
一気に冷や汗が溢れた。
そんな俺の気も知らずに雄介がスマホを手渡してくる。
「ほら、早く出ろよ。さっきも梶谷さんから電話が鳴ってたんだ。無視するとブチギレられるぞ」
「あ、ああ」
俺は躊躇いながらも、画面を操作してスマホを耳につけた。
「も、もしもし」
そう俺が話すと梶谷さんはこう言ったのである。
「儲け話があるから来いよ」
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