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さみしさの答え合わせ


 宇多田ヒカルのインスタライブでの、ある言葉が話題になっていた。


 このツイートを見かけてから、慌ててアーカイブを見に行った。Why getting over someone is so painful?(どうして誰かを失うのは悲しいの?)という問いと、それに対する宇多田ヒカルの温かく、丁寧な言葉。この人は、どんな深淵の中を彷徨って生きてきたんだろうと思った。

 これが必死に聞き取って訳した全文だ。

"Sometimes when a relationship ends, or you lose someone, maybe if it’s painful, I think the pain was already there to begin with, maybe the relationship was serving like a painkiller, a destruction, something to take your focus away from yourself, the pain you have inside already. And sometimes when you lose the crutch, you feel that difficulty with a pain again, I think there’s a bit(?) of that, because no matter how you try to stay not too codependent or addicted to stuffs like that, it can be a bit of like a substance, if you have pain already. At least that’s what I’ve learned from my own experiences."
「関係が終わりを告げたり、誰かを失ったりしたときに辛いなら、きっとその痛みは最初から存在していたってことなんだと思う。関係が痛みを打ち消してくれていただけ。自分から、抱えている痛みから目を逸らしていただけ。だからその支えを失ったとき、その痛みと向かい合う苦しみを味わう。そういうことなんだと思う。だってどんなに人と共依存にならないように、人に溺れないように気をつけていても、痛みが既にあるならそれは薬物のようになる。これが少なくとも経験から学んだことかな。」

 
 「別れ」というテーマについて話しているから、その内容はちょっぴり壮大であるように見える。でも考えれば考えるほど、この言葉は、いまのわたしのためにある言葉だ、と思わずにはいられない。外出を自粛し、他人との直接的な関わりを断つことも、一時的な「別れ」であると思うからだ。

 もちろん、周囲の人間がいなくなったわけではない。LINEもあればzoomもあって、「繋がる」ことは充分にできる。でも、わたしにとってオンラインのやり取りは、ショーウィンドウの向こうにある商品に手を伸ばしてガラスに触れるときのような、どうしようもない無機質な冷たさが宿っているように思えてしまう。

 相手が何かを話すときの、ちょっとした空気の変貌を、五感で感じられないこと。zoomで相手の顔を見るときに、それはいつもカメラよりちょっと下にあるから、視線を重ねることができないこと。相手の瞳の色を、その明暗の移り変わりを、観察することができないこと(引かれそうであまり話したことはないのだけど、わたしは会話の最中に相手の虹彩の色を眺めるのがとても好きだ)。笑いあっていても、その笑いにはちょっとした時差があって、自分の周りの空気は冷たくて、鏡を見て笑っているときのような、独りよがりな笑顔。

 敢えてオンラインで繋がることで、繋がっていないときよりもかえって距離を感じてしまう。ソーシャルディスタンスならぬ、メンタルディスタンス。好きな人たちと空気を共有していないと、心の一部が腐って剥がれて落ちていくような気がする。治療のできない虫歯みたいに。心が減っていく。
 
 そうか、人と直接会って話したり、くだらないことで笑ったり、同じものを食べたり、空気を共有することで、わたしは痛くて仕方ない自分の心を和らげていたんだな、と気付く。そしてそれを当然のものとして受け入れて、無意識に依存していたのだと。

 人に会えない日々が続くと、皮が剥かれてむき出しになった果実みたいに、寂しさに無防備に晒される。それは、人が本来抱えていた、どこまでも広くて冷たい孤独。きっと私たちは、海の真ん中で生まれて、そして生を紡いでいくのだろう。漂ってやってくる他人と交わったり、運命の波に押し流されたりしながら。

 そんな海の冷たさを認識するのはやっぱり怖い。失った「空気の共有」の代替品を求め、わたしはゲームに手を伸ばす。変な時間にご飯を食べる。意味もなくSNSを彷徨する。

 それらはやっぱり薬みたいで、抜け出せなくて、夜はどんどん長くなる。生きることは孤独で、冷たくて寂しいのだと、否応なしに突きつけられる、そんな誰にも会えない夜。


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