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ちっぽけなひとりの人間、だけれど


 
 ここ数日の中東情勢の緊張が、とにかく怖くて仕方がない。日本語の情報だけでは補いきれないからと英語と仏語で執拗に拾い集めた断片的な情報は却って不安を煽り立て、わたしの中で核戦争のイメージをそのキノコ雲のごとく屹立させた。
 歴史という個々人の意図を無視し独りでに闊歩する生物を前にしたときの無力さ、そして何度殺戮しあっても学ぶことのできない人間のどうしようもない程の愚かさ、すべてが頭の中で哀しげに踊り狂い、わたしにできるのはその踊りをただ愕然と眺め続けることだけだった。

 
 わたしは戦争が怖い。原爆資料館に展示してあった、被爆者によって描かれた真っ赤な絵画と、禍々しくただれた皮膚の写真を思い出す。大好きな漫画『鋼の錬金術師』で、殺戮を繰り返し目の鋭さが変わってしまった軍人の登場人物を思い出す。留学中に巡ったナチス関連施設での、ヒトラーに向けられた大衆の熱狂と、大衆によって容認・遂行された差別を切り取った写真が脳裏を過る。証言者は誰もが言う、あんなことになるとは思っていなかったんだ、と。
 5歳くらいのときにニュースで見た、対テロ戦争の短い映像を思い出す。人間がこんなにも醜く殺し合うという事実に衝撃を受け、母親に「どうして人間は戦争をするの?」と、号泣しながら訴えたニュース。あのとき感じたその莫大な怒りと悲しみは今でもこの心臓の底の方に眠っていて、ふとした瞬間に血管を通して全身まで行き渡り、わたしを内部から容赦なく殴りつける。

 だって、人は、誰もが等しく理不尽な痛みや苦しみに見舞われるべきではないから。誰もが理不尽に脅かされていいはずがない。だから戦争で罪のない命が奪われるなんてことも、難民として祖国を追われるなんてことも、属性を理由に公共物の使用が制限されたりある権利を与えられないなんてことも、絶対に、絶対にあってはならない。
 日々、それらが実現できない社会の不完全性に打ちひしがれ、差別や悪意にまみれた他者の通り魔のような言葉にいちいち傷つき、同時に学ぶ限りは暴かれ続ける自分の中の差別意識にも絶望してばかりだ。


 本当は、頭の片隅で分かっている。きっと、どんな時代になっても争いや差別や苦しみがこの世界から100%消え去ることなど、ないのだと。生まれてから一緒に暮らし続ける家族でさえも腹の底から分かり合えはしないし、好きだと思っていた相手が一瞬にして憎しみの対象と変化してしまうことだってあり得る世界だ。どんなに人類が手を尽くしたところできっと人も国も他より優位に立つために争い続けるし、どんなに人道的な法律があったとしてもきっと人は人を殺すだろう。わたしにだってそれらの醜い衝動の萌芽が芽生える瞬間はあるのだから。
 それが人間の本能なのだと、わたしには何もできないのだと、そんな諦念は幼い頃からずっと心の奥底に澱となって漂っている。でもやっぱり、ニュースを見て痛む心を無視することはできなくて、わたしはいつでも諦念と希望の間でがんじがらめになってどこにもゆけない。


 そのように、「平和」はいつでもわたしにとって人生の一大テーマであったのに、「平和」を生活のメインに組み込むような生活は、選択することが出来なかった。苦しみを「現実の事象」として消化するのがどうにも苦しくて、国際法・政治や平和構築をダイレクトに大学で学ぶという選択はできなかった(学んでいる人たちは本当にすごいと思っている)し、無力さを生業を通して感じ続け苦しむ自分の図が見えたため、国際機関への就職という夢も抱けなかった。
 国連欧州本部の在るジュネーヴに留学したときに、ほかの日本人学生が熱意を持って国連インターンに応募していたのを眺めながら、それらに興味の持てない自分は自己本位な人間なんじゃないかという不安に苛まれた。結局わたしは世界をよくするとかどうでも良くて、自分さえのうのうと平穏に生きられればそれでいいと思っている、無慈悲で冷酷な一介の偽善者なのではないかと、ずっと、ずっと自問していた。

 でも、違った。それは冷酷だとか自己本位だとか性質の問題ではなくて、単に向き不向きの問題で、そもそも学問も職業もこの世界では種類が違えど緩やかに繋がっているのだから、国際関係を学んだり、国際機関に勤めたりする、直接的な方法でなくても違う角度から平和にアプローチすることはいくらでも可能なのだ。
 

 わたしがしたいこと、それは、理不尽な苦しみに襲われた人々のその「声」を聞き、できるだけその鮮度を保ったまま他者に伝えてゆくこと、その苦しみを少しでも緩和すること、優しさを自分の周囲から少しでも広げていくこと、だ。たとえ、理不尽な苦しみの原因を根本から解決させることができなかったとしても。
 理不尽に巻き込まれ命を失った人、伝える力を持たない人、その絶望から這い出せないままに生きている人の、苦痛に満ちた声を、叫びを、拾い上げてわたしのでき得る範囲で届けたい。拾われることで光の射す絶望があると信じている。
 もしかしたらただの偽善に見えてしまうかもしれない、それでも「やらない善よりやる偽善」だ。これも、大好きな『鋼の錬金術師』の戦争の回で出てきたある登場人物の台詞から引用した。出逢った瞬間脳天をガツンと殴られて、生涯をかけて実現しようと心に刻んだ台詞。


 そして、わたしにとってその「声」を、間接的に、しかし一番真摯に届けてくれたのは、いつだって小説だった。知らない世界で信じられないほどの苦しみを味わっている人の「声」を聞くたびに、自分の無知に目眩がすると同時に、その小説での舞台となった国や人種や属性について調べていく契機となった。わたしの世界は、物語によって拡張され、彩られ、そして形作られ続けてきた。だから大学でも、その「声」に寄り添い続けたいと思って文学ゼミを選んだ。
 文学は本当にすごい、大好きだ、ただの言葉の羅列なのに、他者の人生をこんなにも生々しさを持って経験させてくれるのだから。生きたことのない世界を生き、味わったことのない感情を教えてくれるのだから。小説はもちろん創作物でしかないが、林真理子さんの言葉をお借りすれば、「創作物だからこそ真実に最も近づく瞬間がある」のだと、わたしは信じている。

 いま読んでいるのはフランスの作家レティシア・コロンバニの『三つ編み』。異なる国で女性としての抑圧を受けながら生きる三人の女性が主人公の物語で、そのうちの一人はインドのダリット(不可触民)の女性。恥ずかしながらわたしは、「ダリット」という言葉が不可触民を意味することすら知らなかったし、なんならインドではカースト制度は残ってはいるものの解決にほぼ近いような状態だと思っていた。どんな仕打ちを受けているのか、計100ページ以上にわたって滔々と語られる差別の実態は、ぜひ本を通して知っていただきたいと思うので、細かい言及は避けるけれど、代わりにその悲惨さをまざまざと覗かせる、本文中の一節を貼ってこの小説の話を終わらせる。

”教室のそうじをさせる、その意味はーおまえにはここにいる資格はない。おまえはダリット、スカヴェンジャー、そのように生まれ、そのように生き、母や祖母のように糞便にまみれて死ぬ。おまえの子も孫も、子孫もみな同じ。未来永劫、おまえたち不可触民、人間の屑には、忌まわしい悪臭と他人の糞便、世界中の糞便を集める余地ほかの行き方は許されない。”(『三つ編み』p.70)


 先ほど、自分らしい生き方に漸く気がついた、なんて語ったけれど、そういえば今通っている大学を志したのも、割と似たような理由だった。わたしの大学は外国語教育に定評のあるところなのだけれど、そこを選んだのは、外国文学を原書で読みその機微を直接的に理解できるようになりたいから、「声」を聞き取りたいからだった。そして、外国語を通して概念を引き出しを増やし、自分の紡ぐ言葉の表現を増やしたいからだった。やっぱり、わたしの核は本当はわたしと共にあった、ずっと。気がつかなかっただけで。
 『三つ編み』も、日本語版が終わったらフランス語版を読もう。



 間接的に「声」を届けてくれたのは小説だが、直接的に世界の「声」を届けてくれたのは、どう考えても留学先で出会った世界中の友人たちと、旅行先で邂逅を果たした人々だ。
 スイスは多民族国家だから、人種国籍属性宗教を問わず多様な人がいて、イラク、イランから難民として逃れてきた人々とも巡り会った。彼らが今回の中東情勢を受けて切実に吐き出した「声」、インスタに投稿された祖国の平和を祈った文章や、密かに共有を続ける現地のニュース。それらを見るたびに、わたしは重い石を飲み込むような苦しさを覚えた。初めて中東に関する情報を、ただの情報として処理するのではなく、実際に息をしている人々の物語として認識できるようになった。無関心を美徳とする国でこう叫ぶのもなんだか空虚だが、どんな遠い国のニュースだって、「外国の話だから関係ない」ではないと思うようになった。
 私たちの生活は、どんなに物理的に離れていたって、この世界で生きる限りは必ず地続きで、誰もの生活が必ず緩やかに絡み合って一枚の美しい布を織り成している。

 他にも、アウシュヴィッツで出会ったガイドさん。笑顔を浮かべたパレスチナのレストランのおじさん。今はドイツにいる、生い立ちを語ってくれたチベット人の女の子。世界中ですれ違った様々な人の顔が脳裏をよぎる。新たな人と出会うことは、その人から見た世界を知るということ、世界において識別できる色がひとつ増えるということだ。数多くの出会いを通して、わたしの世界は圧倒的にその彩りを増した。これからももっとたくさんのものを見て、学び、色を増やし続けたい。わたしにしか見えない世界が見たい。そして、もしも世界がモノクロームに染まっている人、あるいは存在が透明になってしまっている人が現れた際に、手を尽くして色を蘇らせるような存在になりたいと、強く願う。
 


 「声」を拾い、届けて生きてゆきたい、というところまで話を戻そう。もちろん、わたしは自分の身体をひとつしか有しておらず、分身を生み出すことだってできない。だからきっと、「声」を拾い集めるのにも、「声」を届けるのにも、当然のように限度がある。だからこそ、こんな風にいつ戦争に転がり込むかわからないような危うい世界で生きる私たちにできる唯一のことは、本当にシンプルなことなのだけれど、みんながそれぞれ自分の見てきた世界を、聞いたことのある「声」を、周囲の人たちと分かち合うことなんだと思う。noteを書けとかフォロワー増やせとか、そんな難しいことではなくて、ただ単に、日常会話の延長でちょっと話そうよ、ということ。

 要するに、あなたが聞いてきた「声」を、わたしに語って聞かせてほしい。どんなときに、どんな場所で、どんな差別を見たとか、どんな慣習があったとか、どんな偏見を向けられたかとか、どんなに些細なことだって構わない。その「声」をわたしはしっかり受け止めて、調べるから、学ぶから、伝えていくから。話して分かち合っていくこと、記憶と声を受け継ぐこと。それがわたしにとっての平和のための対話の正体だ。


”手を繋いで居て悲しみで一杯の情景を握り返して
この結び目で世界を護るのさ”
東京事変「夢のあと」

 言葉にするとあまりにも陳腐で泣きそうになってしまうけれど、そうやってみんなで手を取り合って前を向いて進んでいくこと。結局それしかないだろう。でもその声の輪を確かに繋げていけば、きっと、地球一個覆えるくらいにはなるだろう。


 そしてわたしは、書いていたい。
 言葉は人を生かしもすれば殺しもする。そのことを念頭に置き、自分の言葉に責任を持った上で、わたしはそれを人を生かすために使いたい。先日、自分の苦しかった違和感を綴じ込んだあるエッセイを「かがみよかがみ」に掲載していただいたのだけど、そのときに予想以上の反響をいただいて、その暖かいメッセージの裏側に、今までの自分は一人ではなかったのだと教えてもらったような心地がした。苦しみがどんどん昇華させられていくのを感じた。
 人を救いたいとか言っているけれど、究極、わたしは自分を救いたいだけなのかもしれない。
 でも、もしわたしが自分を救おうともがくことが、結果的にあなたを救うことに繋がるのかもしれないとしたら。
 わたしは、わたしのできる方法でもがき続けるだろう。結局それが、わたしが世界のためにできる唯一で最大のことなのだ。

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