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1/1 年が明けた日の真夜中の祈り


年が明けるとかどうでもいい。

だってそんなの誰かが勝手に決めた区切れ目でしかなく、時間がたまたま今日で区切られ新年だと定められているだけのことじゃないか。などと胸に棲む捻くれた小人が独り言ち、わたしもそんな言葉に流され気づけば波間をぷかぷかと漂っている。だから大晦日に向かって走る日々は毎年どうにも心もとない。
時間ばかりが過ぎ去って心はどこまでも紅葉の絨毯の上に置いてけぼりにされているような心地。

そんなわたしを引き戻すのは、大好きな人たちからの新年の挨拶と、画面越しに広がる無数の愛おしい喧騒だ。そこにはありがとう、よろしく、好き、等の、簡潔なのにどこまでも暖かい言葉が満ちている。言葉というのはプレゼントだ、世界で唯一人類が持ちうる、身近にして最大の贈り物。そんな風に暖かな言葉を差し出すことを許してくれる日が、わたしには本当に有難い。

なぜならわたしは全然素直じゃなくて、普段誰かにすきとかありがとうとか言うことを、投げられたボールを取り損ねるように言いそびれてばかりだから。好きとかありがとうとか、言った側も満たされる言葉はなるべく全部渡したいのに、どうやらわたしは鈍すぎて。そうして取り損ねたボールを拾って相手に丁寧に返すとき、それがわたしにとっての時の区切れめ。
年越しだけじゃない、元号が変わるのだって、誕生日だって、新学期だって学期末だってそう。だからわたしはそんな区切れ目を斜に構えつつも両の腕でしっかりと享受して花束を編む。

などとつらつら書きながら、区切れ目によって「過去」となったわたしの直近の歴史に想いを馳せる。暗い雲の中を泳いだり、海の底に触れたり虹の橋を渡ったりした日々を。人生が夜空だとしたならば、昨年の思い出でわたしはきっと美しい冬の星座が編める。今後の人生においてわたしを絶えず照らし続けてくれる記憶、そして感情。そんな出来事がたくさん訪れた年だった、いや、訪れたというよりも、わたしが迎えにいったのだ。
足元もおぼつかない中で、地面を蹴り空へ飛び出し、身を燃やしながら星を掴みにいった年。

昔どこかの詩人が、人は心にひっそりと終わらぬ後悔や秘密の喜びの隠し場所を持っていると言っていた。そこにしまった宝物は、誰も奪うことができないだろう。
わたしだけの湖。わたしだけの月。わたしだけの花束。わたしだけの砂時計。わたしだけのフィルム。きっと、その場所にどれだけ秘密を増やせるかが生の密度。
今年は、昨年以上にこの場所に宝物を増やしたい。何度だって星を見つけて、新しい星座を描きたい。

来年の今日見上げるわたしの夜空が、今日よりもずっと輝いたものでありますように。

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